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西国街道をあるく 最終回(京都) [ウォーキング西国街道]

「西国街道をあるく 最終回」に参加してきました。(20161227)

東寺
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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりしました。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第11回目(最終回)。

今回は阪急西向日駅から東寺を経由して京都駅まで歩きました。

当日は曇り時々雨、楽しいウォーキングになりました。

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集合場所阪急西向日駅を出発して大極殿跡、厳島神社、久世橋西詰公園を経由して吉祥院運動公園まで歩きます。

集合場所阪急西向日駅近くの長岡京朝堂院跡を出発します。

長岡京朝堂院跡(ながおかきょうちょうどういんあと)
約1200年前の都・長岡京(784~794年)の中心部である長岡宮には、大極殿(天皇が政務を司どる場)や内裏(天皇の住まい)、朝堂院(国儀の場)など、国の重要な施設が置かれていました。その一部は発掘調査によって確認され、国の史跡に指定されています。このうち、朝堂院の西第四堂跡と南門にとりつく楼閣跡を含む3,452.83㎡が史跡公園として整備され、平成22年に一般公開されたそうです。
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大極殿跡(だいごくでん)
桓武天皇が政治を司ったところ。昭和39年に国の史跡に指定され、現在、大極殿公園として市民の憩いの場となっていて、毎年11月11日には長岡京遷都を記念して大極殿祭が行われるそうです。
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西国街道を歩きます。
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厳島神社(いつくしまじんじゃ)
京都御苑間ノ町口を入った池のそばに建つ。平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。祇園女御も祀る。池と傍らの拾翠亭はもと九条家のもので、この社は同家の鎮守社だった。社前の石鳥居は笠木が唐破風で京都三珍鳥居の一つだそうです。
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久世橋西詰公園
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久世橋西詰公園から桂川にかかる久世橋を渡ります。
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桂川沿いを歩きます。
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吉祥院運動公園で昼食休憩になりました。
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昼食休憩後は吉祥院天満宮、唐橋西寺公園、羅城門跡、ゴールの東寺まで歩きました。


吉祥院天満宮(きっ しょういんてんまんぐう)
朱雀天皇が菅原道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。また遺唐使だった道真の祖父が船で唐へ向かう途中、海上で霊験を得たという吉祥天女を帰国後自ら刻みまつったのがはじまりといわれている。本殿、舞楽殿のほか吉祥天女堂がある。春季大祭の4月25日・夏季大祭の8月25日には六斎念仏が奉納されるそうです。
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唐橋西寺に向かいます。
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唐橋西寺公園
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西寺跡(さいじあと)
唐橋西寺公園の中。平安京の右京九条一坊にあった官寺。羅城門西側にあり、羅城門を挟んで東寺と対をなしたそうです。
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羅城門跡を通過して東寺に向かいます。

東寺(とうじ)
東寺真言宗の総本山。794年(延暦13)の平安京造営に際し、その2年後、国家鎮護のため羅城門の東に創建。823年(弘仁14)空海(弘法大師)に下賜された。講堂(重文)には大日如来を中心に国宝の五大明王など21体の仏像を安置。この配列は立体曼荼羅といわれる。金堂(国宝)は豊臣秀頼の再建。大師堂(御影堂・国宝)は、大師在世時の住房で、弘法大師像(国宝)と、大師念持仏の不動明王坐像(国宝)を安置。五重塔(国宝)は徳川家光が再建、高さ55メートルで、わが国最高。内部は非公開。宝物館に真言密教の文化財多数を陳列。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されたそうです。
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東寺が今回の「西国街道をあるく」のゴールでした。


この後、伏見稲荷大社御旅所、京都駅まで歩きました。

伏見稲荷大社御旅所(ふしみいなりたいしゃおたびしょ)
御旅所とは、祭礼のときに神輿を本宮から移し一時的に奉安する場所のことで、伏見稲荷大社の御旅所は、
かつては「油小路七条」と「八条坊門猪熊」の2箇所にありましたが、豊臣秀吉が一つに合わせてこの地に
移したと伝えられている。4月・5月の稲荷祭は大変賑わうそうです。
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昨年(2016年)、「西国街道をあるく」を無事に完歩することが出来ました。
スタッフの皆さま、有難うございました。


今年(2017年)は京都から大阪に向けて京街道、更に熊野街道を歩くコースが計画されているそうです。是非参加したいと思っています。


過去3回分の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。


ご訪問していただきありがとうございました。



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西国街道をあるく その10(京都) [ウォーキング西国街道]

「西国街道をあるく その10」に参加してきました。(20161122)


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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第10回目。


今回は阪急西山天王山駅から阪急西向日駅まで歩きました。

当日は晴れ、爽やかな天気の中のウォーキングになりました。

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集合場所阪急西山天王山駅を出発して恵解山古墳、勝龍寺、勝龍寺城跡、神足神社、長岡天満宮を経由して西山公園まで歩きます。


阪急西山天王山駅近くの公園を出発します。
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前回、お世話になったビール工場の前を通過します。
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恵解山古墳(いげのやまこふん)
恵解山古墳は、古墳時代中期(今から約1600年前)に造られた前方後円墳。古墳の大きさは全長128m、後円部の直径約78.6m、前方部の幅約78.6mで、乙訓地域最大の規模。古墳の周囲には幅約25mの浅い周濠(しゅうごう)があり、周濠を含めた古墳の全長は約180mに及ぶそうです。
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勝龍寺(しょうりゅうじ)
大同元年(806)空海(弘法大師)の開基。寺号は恵解山青龍寺で、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれます。大干ばつ大飢饉の年に住職千観(せんかん)上人の祈とうで雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されました。本尊は鎌倉時代につくられた十一面観音で、国の重要文化財に指定されているそうです。
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勝龍寺城跡(しょうりゅうじしろあと)
暦応2年(1339)に細川頼春が築城したと伝えられている。天正6年(1578)明智光秀の三女、玉(細川ガラシャ)が細川忠興に嫁ぎこの城で過ごした。のちの山崎合戦では光秀がここに本陣を構えたが、光秀とともに落城するなど、歴史とロマンを秘めた城である。平成4年(1992)に公園として復興、市民の憩いの広場として親しまれている。堀、城門等を再現した日本庭園と、城関連の展示室。全国で初めてのアメニティ下水道モデル事業による下水処理水を送水した外堀や、地下水100%の水道水供給施設「ガラシャおもかげの水」があるそうです。
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神足神社(こうたりじんじゃ)
長岡京市神足の東端にあるある。かつて神足は、「こうだにの」「かむたり」とも呼ばれた。旧神足村の産土神として信仰された。祭神は、天神立命(あめのかみたちのみこと)。また、舎人親王(第40代・天武天皇)、遠津山岬多良斯神(とほつやまさきたらしのかみ、本居宣長説)、第50代・桓武天皇(伴信友説)ともされた。また、祭神不詳ともいう。式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「乙訓郡十九座 大五座 小十四座」の「神足(かうだにの)神社」に比定されていて、強脚、足の怪我予防などの信仰があるそうです。
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この後、西国街道を歩き長岡天満宮に向かいます。

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長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)
ご祭神は学問の神様として有名な菅原道真公。道真公が太宰府へ左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残を惜しんだ事から「見返り天神」とも呼ばれていて、太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像をご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われているそうです。
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長岡天満宮の紅葉が綺麗でした。
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少し休憩をした後、西山公園に向かいます。

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西山公園
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西山公園で昼食休憩になりました。

休憩後、光明寺、赤根天神社、向日神社を経由して西向日駅まで歩きました。

光明寺(こうみょうじ)
西山浄土宗の総本山光明寺は長岡京市西山のふもと粟生広谷。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、
日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地だそうです。
拝観は有料になっていました。
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赤根天神社(あかねてんじんしゃ)
当神社は赤根天神社と称し、祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀(まつ)っている。 古い昔より、その神徳を願し、地域住民は家内安全、五穀豊穣を祈願して参り、古い書物や今里(いまざと)自治会館に保管してある古文書にも色々と記録されている。 古老の話などでは、その昔、今里には神輿(みこし)が一基あって向日(むこう)神社のお旅所でもあったそうです。
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向日神社に向かう途中の景色です。
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向日神社(むこうじんじゃ)
「明神(みょうじん)さん」の名で親しまれている養老2年(西暦718年)創建の古社。應永25年(西暦1418年)に
建造された本殿は、室町時代の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という建築様式で国の重要文化財に
指定されているそうです。
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元稲荷古墳(もといなりこふん)
向日神社北側の勝山公園内にあり、古墳時代前期(4世紀初頭)の全長約94mの前方後方墳。出土品には、
刀剣類、斧、土師器の壺がありま、また、埴輪の原型となる特殊壺形土器や特殊円筒埴輪も前方部から出土。周辺には、弥生時代の高地性集落と考えられる北山遺跡があるそうです。
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この後、西向日駅まで歩きました。
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西国街道をあるくも後1回になりました。
何とか頑張りたいと思っています。


ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく その9(大阪、京都) [ウォーキング西国街道]

「西国街道をあるく その9」に参加してきました。(20161025)

島本町立歴史文化資料館(JR島本駅前)
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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第9回目。

今回は阪急上牧駅から阪急西山天王山駅まで歩きました。

当日は曇り、雨。久しぶりに雨の中のウォーキングになりました。

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集合場所阪急上牧駅を出発して桜井駅跡史跡公園、水無瀬神社、関大明神、離宮八幡宮、妙喜庵を経由して山崎聖天まで歩きます。

桜井駅跡史跡公園
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西国街道を歩きます。
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水無瀬神宮(みなせじんぐう)
水無瀬神宮では、後鳥羽天皇(ごとばてんのう)・土御門天皇(つちみかどてんのう)・順徳天皇(じゅんとくてんのう)が祭られています。後鳥羽上皇がこの地に水無瀬殿を造営し、水無瀬離宮と称されていたものを、承久の乱で隠岐に流されそこで崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年(仁治元年)、藤原信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇を祀ったことに始まるそうです。この水無瀬神宮には、大阪で唯一環境庁に「名水百選」に選ばれた「離宮の水」が飲める場所があります。
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境内に貼ってありました。立派な成績を残した人の言葉は響きますね。
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田園風景の所を歩きます。サントリー山崎蒸溜所が見えます。

サントリー 山崎蒸溜所
1923年サントリーの創業者、鳥井信治郎が建設した、日本初のモルトウイスキー蒸溜所だそうです。
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関大明神(せきだいみょうじんじゃ)
JR大山崎駅から徒歩3分程度、三笑亭の前、ちょうど大阪と京都の境にある神社。大己貴命、天児屋根命または大智明神を祭神とします。本殿は、正面の彫刻、頭貫木鼻の若葉彫刻などから室町時代中ごろに建てられたといわれており、大阪府指定有形文化財に指定されているそうです。
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離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)
離宮八幡宮は、石清水八幡宮の元社にあたり、八幡大神を祭神とする神社。離宮八幡宮は油の独占で栄えます。、油座として離宮八幡宮は幕府・朝廷の保護の下、大山崎油座として油の専売特許を持ち栄えていきます。安土桃山~江戸時代には、「西の日光」と呼ばれるほどの壮大な社殿を構え栄華を極めたそうです。
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山崎駅の前を通過します。
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妙喜庵(みょうきあん)
妙喜庵は京都府乙訓郡大山崎町にある仏教寺院のことで、山号は豊興山。妙喜禅庵とも称す。待庵は、日本最古の茶室建造物であると同時に、千利休が作ったと信じうる唯一の現存している茶室だそうです。
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山崎聖天(やまざきしょうてん)
観音寺は通称、山崎聖天(やまざきしょうてん)と言う古寺です。山号は妙音山といい、地中から現れた薬師如来の石像に「妙音山寛平法皇剏建地(そうけんち)」と彫ってあったことに由来。桜と紅葉の名所としても有名で、春と秋のシーズンには多くの行楽客が訪れるそうです。
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山崎聖天の前にある公園で昼食休憩になりました。

休憩後、小倉神社を経由して阪急西山天王山駅まで歩きました。


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小倉神社(おぐらじんじゃ)
平安時代に編纂された延喜式神明帳に載っており、乙訓地方で最も古い神社のひとつ。天正10年(1582)6月に起こった山崎合戦に際し、羽柴秀吉は家臣の片桐祐作を本社に遣わし戦勝祈願をしたといわれていて、毎年5月には春祭りが催されるそうです。
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阪急西山天王山駅
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希望者は更にサントリービール工場に向かいました。

サントリービール工場
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出来たてのビール、3種類頂きました。
其々に美味しかったです。
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今回、京都に入りました。残る2回、何とか頑張りたいと思っています。


前回及び前々回の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。

ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく その8(大阪) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく その8に参加してきました。(20160927)

今城塚古墳
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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第8回目。


今回はJR摂津富田駅からJR上牧駅まで歩きました。

当日は晴れ、とても暑かったですが、気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所JR摂津富田駅を出発して春日神社、今城塚古墳、素盞嗚尊神社、嶋上郡衛跡、芥川一里塚、野見神社を経由して城跡公園まで歩きます。

JR摂津富田駅を出発します。
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春日神社(かすがじんじゃ)
古い歴史を持つ社だが、神殿が朽ち果て、昭和55年に再建。大阪府内で唯一の宮大工となった「金剛組」が設計施工したそうです。
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今城塚古墳(いましろづかこふん)
日本で唯一、人が自由に出入りできる巨大な古代大王墓。三島平野のほぼ中央に位置する、淀川流域で最大級の前方後円墳であり、第26代継体天皇の真の陵墓と考えられている。発掘調査も国内では類を見ない長期なものだったそうです。
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素盞嗚尊神社(すさのおのみことじんじゃ)
創建は不詳だが、慶長年間には既に建っていたと言われている。立派な樹木に覆われた、美しい境内は心が安らぐ。地域の住民から崇敬を集めているそうです。
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近くの畑には案山子がありました。
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嶋上郡衛跡(しまかみぐんがあと)
古代・摂津国嶋上郡(高槻・島本)を治めた、律令制時代の役所跡。都や国の役所にならい、儀式の場・庁院や税を納める正倉などが整えられていた。たくさんの建物や倉庫、道路などがみつかっており、墨書土器や銅銭なども出土しているそうです。
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芥川です
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芥川一里塚(あくたがわいちりづか)
街道の目印として、1里(約4キロメートル)ごとにおかれたのが一里塚。豊臣秀吉が作らせたのが始まりとされ、江戸時代に整備されたという。この塚から西側に芥川宿が広がっていたといわれている。平成5年に大阪府指定の記念物として認定されているそうです。
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JR高槻駅、阪急高槻市駅を通過します。


野見神社(のみじんじゃ)
宇多天皇の頃に、当地で流行した疫病を防ぐため、「牛頭天王(須佐之男命)を祀れば悪病が治まる」というご神託により創建。江戸期までは「牛頭天王社」と称した。明治期に野見宿禰命を合祀して、「野見神社」と改称しているそうです。
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城跡公園
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城跡公園内にある歴史民俗資料館
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城跡公園で昼食休憩になりました。

休憩後、八幡大神宮、八丁松原、安満遺跡、磐手杜神社、畑山神社、一乗寺、梶原一里塚跡を経由してJR上牧駅まで歩きました。

八幡大神宮(はちまんだいじんぐう)
創建は不詳だが、洪水により応神天皇の像と白羽矢がこの地に流れ着き、それを祀ったのが起こりという。
江戸時代初期の高槻城主・松平家信は、社領を寄進するほど厚く敬い、その後も高槻城の守護神として歴代城主の信仰が厚かった。戦国期にはキリシタンの高山氏の兵火で焼失したこともあるそうです。
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八丁松原(はっちょうまつばら)
高槻の城下町に入る六口のひとつで、京口と呼ばれた高槻城から西国街道まで続いた松の並木道。慶安2年(1649年)に、高槻城主・永井直清によって整備され、現在の八丁畷町・松原町に名残をとどめるそうです。
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ここからブロック地図2に移ります。
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八丁松原を過ぎると京大農学部農場の中を歩きます。歴史的な建物が目にとまります。
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安満遺跡(あまいせき)
昭和3年、京大農場建設の際に発見された弥生時代の環濠集落跡。さらに昭和41年頃に始まった宅地開発では、農場北側の発掘調査も行われ、比較的大きい規模の集落があったことが判明。また土器や石器、木製農具、ガラス製勾玉(まがたま)などが出土している。遺跡中心部は国の史跡に指定されているそうです。
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磐手杜神社(いわてもりじんじゃ)
創建は666年で、天智天皇の頃に遡る。藤原鎌足の勧請により、後方にそびえる安満山(桧尾山)を守り続けてきた社。境内にある夜啼き石は、社頭から高槻城へ動かしたら夜啼きをしたため、社頭に返されたといういわれを持つそうです。
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檜尾川沿いを歩きました。
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畑山神社(はたやまじんじゃ)
元は高槻最古の寺の一つ梶原寺があった場所。そこに元亀年中(1570年代)に創建され、永福寺と号した。慶長年中の火災で焼失したが、村民協議により再建され、明治元年の神仏分離令により、畑山神社に改めたそうです。
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一乗寺(いちじょうじ)
西国街道の風情残る町並みのほど近くにある一乗寺。創建は不明で荒廃していたが、応永34年(1427年)、「鍋かむり上人」と呼ばれた日親上人が、地元住人に請われ建立したそうです。
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梶原一里塚跡(かじわらいちりづかあと)
街道の1里(約4km)ごとに榎を植え、路程の目印とした一里塚のあったところ。江戸時代の街道絵図にも、塚前に茶店があったことなど、当時の様子が描かれている。現在は、淀川沿いの中村から水害を逃れ、ここに落ち着かれたという「水あがりの地蔵さん」の地蔵堂が建っています。
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この後、JR上牧駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく その7(大阪) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく その7に参加してきました。(20160823)

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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。


(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第7回目。

今回は千里北公園からJR摂津富田駅まで歩きました。
当日は晴れ、気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所千里北公園を出発して、春日神社、理照寺、正念寺、春日神社、豊川駅、春日神社、郡山宿本陣を経由して耳原公園まで歩きます。


集合場所の千里北公園
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春日神社(かすがじんじゃ)
大阪府箕面市小野原西に鎮座する神社。春日神社は藤原鎌足にゆかりが深い神社だそうです。
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理照寺(りしょうじ)
平成7年の阪神大震災で本堂が半壊したが、檀信徒の大きなお力添えで立派に再建できたそうです。
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正念寺(しょうねんじ)
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春日神社御旅所(かすがじんじゃごりょしょ)
石造りの神輿台が2基。春日神社大祭の際、神輿が巡行し、この神輿台に安置されるそうです。
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豊川駅
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春日神社(かすがじんじゃ)豊川
春日神社は藤原鎌足にゆかりが深い神社だそうです。
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勝尾寺川沿いを歩きます。
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郡山宿本陣(こおりやまじゅくほんじん)
浅野内匠頭も宿泊し、宿場の面影を残す郡山宿本陣。参勤交代の往時のにぎわいが感じられる。西国街道にある山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の宿場の一つとして郡山宿本陣は重要な役割を果たしてきた。また御成門のそばにあった椿の木が、毎年五色の花を咲かせたことから、「椿の本陣」とよばれ、人々に親しまれているそうです。
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耳原公園の近く佐保川
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耳原公園(みみはらこうえん)
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耳原公園で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、鼻摺古墳、阿為神社御旅所、継体天皇陵、女九神社、鴨神社を経由してJR摂津富田駅まで歩きました。

鼻摺古墳(はなずりこふん)
昭和35年の発掘調査の結果、墳丘の一片の長さ約33m、高さ約5.5mのほぼ正方形をなし、濠を有していたらしいことがわかっています。以前に盗掘にあったらしく、わずかに須恵器の破片が出土。築造時期は、6世紀から7世紀にかけてのものと考えられているそうです
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阿為神社御旅所(あいじんじゃごりょしょ)
約1.5km北にある阿為神社の御旅所。御旅所とは、神社の御例祭の際に。本宮から出た神輿がしばらく 仮にとどまる所。阿為神社、平安時代の延喜五年(905年)、醍醐天皇の命により編纂された「延喜式」の神明帳に記されている式内社のひとつで中臣藍連が初めてこの地に来て、祖先である天児屋根命を 氏神として祀ったのが始まりだといわれていて、明治41年(1908年)には、手久良山の 幣久良神社(式内社)を合祀されたそうです。
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継体天皇陵(けいたいてんのうりょう)
継体天皇日本の第26代天皇。在位は継体天皇元年2月4日(507年)-同25年2月7日(531年)。戦後、現皇室は継体天皇を初代として樹立されたとする新王朝論が盛んになった。それ以前のヤマト王権との血縁関係については議論が続いているそうです。
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女九神社(めくじんじゃ)
女九神社は継体天皇后妃を祀る神社です
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鴨神社(かもじんじゃ)
創建は不明。百済系渡来人が関係すると言われるが、4世紀頃の摂津国の県主・三島氏の氏神ともいわれ、全国に数千ある三島神社の発祥の地である。境内に入ると千舌を照らす深い森に、朱を配したあざやかな社殿が美しい。また高倉天皇ご誕生の祈願社としても名を残すそうです。
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このあと、ゴールの阪急北千里駅まで歩きました。


前回及び前々回の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。


ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく その6(大阪) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく その6に参加してきました。(20160628)


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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。

(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。
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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第6回目。

今回は阪急石橋駅から阪急北千里駅まで歩きました。

当日は晴れ、気持ち良いウォーキングになりました。
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集合場所阪急伊丹駅近くの公園を出発して、瀬川神社、牧落八幡宮、教学寺、萱野三平旧宅、木戸ケ池緑地、大鳥居、松出公園、千里北公園を経由して阪急北千里駅まで歩きました。

阪急伊丹駅近くの公園
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瀬川神社(せがわじんじゃ)
藤原氏の祖神である天児屋根命が祀られています。 また、神社の境内にある井戸は龍が水を飲んで天に昇ったという言い伝えが残っており、井戸を「龍の井」と称し、この宮は「龍の宮」とも呼ばれているそうです。
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牧落駅北側の西国街道を歩きます。
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牧落八幡宮(まきおちはちまんぐう)
箕面市牧落地区の氏神さま。寛文2年石清水八幡宮の分霊を頂いてこの箕面し牧落の地に鎮座。神社名は八幡大八幡宮、通称、牧落八幡宮、牧落地区の鎮守社として創建されたそうです。
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教学寺(きょうがくじ)
水稲山と号し、浄土真宗本願寺派で阿弥陀仏が本尊。 天文元年(1532)当村の三嶌吉左ヱ門が本願寺十世證如法主に師事し、剃髪して「教惠」と法名を名乗り、天文元年8月に道場を創立。そして、元禄2年(1689)、四世住職榮玄が西本願寺の認可により教学寺とし、檀家の協力を得て建立。 13世法城の息子三島海雲は、カルピスの創始者で、境内には記念碑も残っているそうです。
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萱野三平旧宅(かやのさんぺいきゅうたく)
萱野三平氏は赤穂浪士の一人として今に伝わる名士で、長屋門はその厳かな姿を街道に向けて残しています。
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ここで昼食休憩になりました。


昼食休憩後、木戸ケ池緑地、大鳥居、松出公園、千里北公園を経由して北千里駅を目指して歩きます。
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木戸ケ池緑地(きどがいけりょくち)
従来農業用ため池の「木戸ケ池」があった場所。調整池機能をもった自然共生型の親水空間となっています。バードウォッチングテラスでは、ここに飛来する野鳥を観察することができるそうです。
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大鳥居(おおとりい)
1245年、当時は粟生や萱野の材木が使って建てられ、その後数回にわたって修理や再建が行われた。 この大鳥居を起点とし、勝尾寺まで続く道が表参道。勝尾寺まで1町(約109m)毎に町石という道のりを示した石が立っており大鳥居の脇に36町石が立っていることから、ここから勝尾寺まで約4km。 鎌倉時代の歌人藤原定家の「明月記」には、有馬の湯に出かけた帰りに、この鳥居からはるか勝尾寺を拝んだという逸話も残っているそうです
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松出公園(まついでこうえん)
規模12,000平方m。芝生や多目的広場で親子がゆっくりとくつろげ、木製遊具やアスレチック遊具で体力つくりが出来るそうです。
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千里北公園(せんりきたこうえん)
吹田市内にある公園の中では万博公園の次に大きい公園。広々とした原っぱがあって、風と空を感じられる公園だそうです。
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このあと、ゴールの阪急北千里駅まで歩きました。

「西国街道をあるく」は8月は休みになり、9月から再開するそうです。
引き続き京都を目指して行きたいと思います。


前回記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。


ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく その5(兵庫) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく その5に参加してきました。(20160524)


釈迦院
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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第5回目。
今回は阪急伊丹駅から阪急池田駅まで歩きました。

当日は曇り、少し暑かったですが気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所阪急伊丹駅近くの公園を出発して、猪名川沿い、下河原緑地、受楽寺、十二神社、亀の森住吉神社、阪急石橋駅を経由して水月公園まで歩きます。

阪急伊丹駅近くの公園
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猪名川
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下河原緑地
エア・フロント・オアシス下河原。伊丹空港を離発着する飛行機が良く見えるところです。
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受楽寺
受楽寺境内に初代・二代目の桂春團治を顕彰する「春團治之碑」が平成20年に建立されたそうです。
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十二神社
祭神は天神七代,地神五代の十二神。かつて北今在家,西市場,北轟木の産土神として崇敬を集めたが,明治42年(1909年)に八坂神社(池田市神田)に合併された。しかし昭和21年(1946年),旧社地である現在地にふたたび創建されたそうです。
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亀の森住吉神社
宝亀元年(770)の創立。祭神は住吉三神と神功皇后。伝承によると,往古は一帯が入り海になっていたが,応神天皇のころに亀の形の小島があらわれてから開発が進み,光仁天皇の御代に住吉の神を勧請したという。「亀之森住吉神社」とも呼ばれて崇敬を集めているそうです。
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水月公園
鯉のぼりが飾られていました。また、水月公園の花菖蒲はとても綺麗ですが、当日は少し咲き出したところでした。
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水月公園で昼食休憩になりました。

昼食休憩後は釈迦院、五社神社、星の宮、 伊居太神社、呉服神社を経由して阪急池田駅まで歩きました。

釈迦院
行基菩薩によって開創され、聖武天皇勅願寺となっていた寺。厄神さんと呼び親しまれ、毎年1月18日、19日に行われる厄神大祭は、採灯大護摩供や大般若経転続法要などが行われ、1年間の厄除開運、家内安全を祈願する多くの人々で賑わうそうです。
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冒頭の写真のところです。


五社神社
神亀元年(724)に行基がこの地に多羅山若王子(釈迦院)を創建し,、その鎮守社として奉祀したのが発祥とされるそうです。
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星の宮
創建の経緯は不詳。ここは呉から来朝した穴織媛(あやはとりのひめ)らの織殿があった場所だとする説や,織媛を祭る伊居太神社の御旅所だとする説があり、「星の宮」という呼称は穴織媛らが夜遅くまで機を織っていると天上から七星が降って織殿を照らし作業を助けたという美しい伝承によるそうです。
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伊居太神社(いけだじんじゃ)
池田市に現在する最古の神社とされており、別名穴織(あやは)社で姫室塚がある。「織姫伝説」にまつわる神社でもあり、祭神は「応神天皇」「仁徳天皇」「穴織大明神」。本殿は信長によって焼かれ秀頼によって1604年に再建されたそうです。
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猪名川に鯉のぼりが泳いでいました。
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呉服神社
日本書紀にある「呉服・穴織伝承」を今に受け継ぐ神社。応神天皇の時代、呉服(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)という姉妹がこの地に住みつき、機織・栽縫の技術を伝えたとされている。絹布類を指す「呉服(ごふく)」はここから。現在も服飾関係者の信仰を集めていて、毎年1月の十日戒には多くの人が訪れ、賑わうそうです。
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このあと、ゴールの阪急池田駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく その4(兵庫) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく その4に参加してきました。(20160426)

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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。
今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第4回目。
今回は阪急門戸厄神駅からJR伊丹駅まで歩きました。

当日は晴れ、気持ち良いウォーキングになりました。
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阪急門戸厄神駅から西国街道を武庫川河川敷まで歩きます。そこで、今回のコース説明を受け、武庫川河川敷を南下して、甲武橋を渡り、再び武庫川河川敷を北上、春日神社、昆陽寺、猪名野神社を経由して昆陽池まで歩きます。


集合場所の阪急門戸厄神駅です。
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西国街道
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武庫川河川敷
ここで説明を受けた後、甲武橋まで南下します。
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甲武橋を渡り、再び河川敷を北上します。
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春日神社(常松春日神社)
安徳天皇の元暦二年(十二世紀)に、奈良春日社より勧請し、守護神として鎮祭されるようになったのが創祀と伝えられる。寛永三年には焼失したが、宝暦二年に再建され、同地の幸之神社(御祭神・磐爾山比売命)を合祀するに至ったそうです。
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昆陽寺(こやでら)
昆陽寺は奈良時代の名僧、行基が建立した畿内49院の一つで、天平3年(731年)創建の昆陽施院の後身寺院。朱塗りの山門と境内の観音堂が昭和44年に、また山門内に安置されていた広目天・多聞天立像が平成10年に、それぞれ兵庫県指定文化財となっているそうです。
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猪名野神社(いなのじんじゃ)
猪名野神社(伊丹市寺本)は神々の系図により第一は天の御中主神で第二が神社の高皇産霊尊で、非常に古い御主神であられ、旧殿は明和6年(1769)に創建されたそうです。
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昆陽(こや)池公園
昆陽池は都市部には珍しい渡り鳥の飛来地として知られています。奈良時代の東大寺大仏殿建設で有名な名僧行基が731年に農業開拓のために築造。昆陽池を中心とした公園の広さは、27.8haにおよぶそうです。
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ここで昼食になりました。

昼食の後は天神社、辻の碑、宮の前の猪名野神社を経由してJR伊丹駅まで歩きました。


天神社
神社誌には創立年月不詳とされていますが、「摂陽群談」と当社の由緒書きには、和銅六年(713)行基法師、熊野に詣で一夕神に見ゆ、明旦麗容を彫刻して、この地に帰って猪名権現として祀り、池、田、畑の開拓達成を祈願されたとあるそうです。
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辻の碑
昭和40年(1965年)に市の史跡に指定された辻の碑は、西国街道と多田街道とが交叉するいわゆる「辻」に建っていて、高さ92センチ,幅76センチの自然石。鋭角を上方に向けて建てられている。平成9年末に碑を納める覆屋が新調され、石張りの広場が整備されたそうです。
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猪名野神社(いなのじんじゃ)
猪名野神社(伊丹市宮ノ前)は元県社で伊丹の氏神様。建連須佐之男命を祀る神社。創立年月日は確かではありませんが、延喜4年(904)に猪名寺(尼崎市)から現在地に遷座されました。神域は1万5千平方mと広く「えべっさん」や「天神さん」など17もの社が並び、商売繁盛、家内安全などのご利益があるといわれています。本殿は貞享3年(1686)に建立されたもので、西側には伊丹の俳人・鬼貫の句が刻まれています。境内には、酒造家・商人の寄進した97基の石灯篭が並び、樹高約13.5mの巨木・ムクロジ(無患子)は、昭和61年に市の文化財に指定されました。また元禄16年(1703)以降には、「お渡り」の祭事が行われていたことが「猪名野神社神幸絵巻」(市指定文化財)に描かれています。戦国時代、荒木村重の有岡城の惣構(そうがまえ)北端「岸の砦」が置かれていた所でもあり、境内西側には土塁と堀跡が残っています。JR伊丹駅前の有岡城本丸跡とともに国指定史跡となっているそうです。
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この後、JR伊丹駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく その3(兵庫) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく その3に参加してきました。(20160329)

夙川河川敷
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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。
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西国街道の神戸生田神社から京都(東寺口)まで歩くウォーキングの第3回目。
今回は阪神西宮駅から西宮北口駅まで歩きました。

当日は曇り、気持ち良いウォーキングになりました。
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阪神西宮駅の近くにある西宮神社にお参りして、夙川河川敷、夙川公園、越木岩神社、名次神社を経由して震災記念碑公園まで歩きます。


集合場所の阪神西宮駅です。
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西宮神社
西宮神社は 福の神として崇敬されている えびす様をおまつりする神社の総本社だそうです。
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夙川公園
夙川公園などの河川敷は桜の名所。当日も桜の木の下で園児たちの笑顔がみれました。
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越木岩神社
本殿の祭神は明暦2年(1656年)円満寺の僧 教順が西宮神社から勧請した蛭児大神(ひるこおおかみ、戎神)。この周辺地域に村が形成されていく過程で地域の繁栄のために西宮神社から蛭子大神が勧請されたと思われる。 しかし、元々は当地にある「甑岩」等の磐座を祀ったもので、自然崇拝が中心であった、所謂古代信仰の時代、当地から北山・目神山や六甲山を一大霊場とした磐座・磐境祭祀のランドマーク・霊岩として「甑岩」が祀られたと考えられているそうです。
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甑(こしき)岩
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北の磐座(きたのいわくら)
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越木岩神社にお参りした後、再び夙川河川敷を歩き名次神社、震災記念碑公園まで歩きます。

夙川河川敷
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名次神社
ニテコ池の北西にあり現在は広田神社の摂社となっている小さな神社。平安時代の書物『延喜式』にも名が見える古い神社で、社殿の横に「上総国浦々、西宮講中、正徳五乙未歳正月吉日」(1715年)と背面に刻まれた石の祠がある。これは江戸時代中頃に西宮から関東へ漁に出かけ、またその地に定住した人々が故郷に奉納したものと考えられるそうです。
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震災記念碑公園
桜の花が満開でした。
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震災記念碑公園で昼食休憩した後、広田神社、門戸厄神を経由して西宮北口まで歩きました。


広田神社
神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を教え、皇子(第15代應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照皇大神荒御魂の御神誨により、御凱旋の帰途、神功皇后により武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に御創建されたことが、我が国最古の国史書「日本書紀」に記されている兵庫県第一の古社(旧官幣大社)です。 境内総坪数は16,000坪。4月上旬には約2万株のコバノミツバツツジ(兵庫県天然記念物)が境内一帯に咲きます。阪神タイガースの必勝祈願でも知られます。
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広田神社の横にある広田山公園には兵庫県天然記念物のコバノミツバツツジが咲いていました。
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門戸厄神
門戸厄神東光寺は兵庫県西宮市門戸西町にある寺。高野山真言宗別格本山。正式名は松泰山東光寺。「西国薬師霊場第20番」「西国愛染17霊場第2番」「摂津国八十八箇所第76番」。日本三大厄神のうちの一つ。あらゆる災厄を打ち払うという厄神明王(門戸厄神)が有名で、厄年にあたる年齢の人が厄払いをするほか、十三詣(じゅうさんまいり)といい、数えで13歳の子どもが厄除けと学業成就を願って虚空蔵菩薩に詣でる。初宮参り、交通安全祈願、護摩祈祷、人形供養も受け付ける。毎年1月18・19日に厄除大祭が、2月3日に星祭が行なわれる。特に厄除大祭では数多くの屋台が出店され、何万人もの参拝者で賑わいを見せるそうです。
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このあと、ゴールの西宮北口駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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西国街道をあるく(その2)(兵庫) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく(その2)に参加してきました。(20160223)

新西宮ヨットハーバー
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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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今回はJR住吉駅から阪神今津駅まで歩きました。
当日は曇り、少し寒かったですが気持ち良いウォーキングになりました。

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JR住吉駅の直ぐ近くにある本住吉神社をお参りして、花松首地蔵、三王神社、日吉神社、芦屋川、打出天神社を経由して春日公園まで歩きます。


集合場所のJR住吉駅です。
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本住吉神社
JR住吉駅の南、国道2号線に面して鎮座する神社が本住吉神社。摂社・末社あわせて全国2,000社あまりを数える住吉神社の本家本元・総本宮であるという誇りを込めて「本」住吉神社と呼ばれているそうです。
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花松首地蔵
この地には花松地蔵という石仏が祭られていて、首から上の病気平癒に霊験があると信仰されていて、大正中期にその信者たちが新たに首から上の地蔵像を造ったのが、この首地蔵だそうです。
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三王神社
三王神社の創建に関して詳しいことは不明ですが、1781年から1788年にかけての天明年間にはすでにこの場所に石で作られた祠が祀られていたそうです。
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小寄公園
五郎丸さんの影響もあるのでしょうか、
幼い子たちがラグビーをしていました。
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公園の中に市電、汽車が設置されていました
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日吉神社
創建は不詳。古来山王権現社と称せられ、この地の産生神で遠く近江国坂本の日吉大社の御分霊をご鎮座申し上げ、大山昨大神(おおやまくいのおおみこと)を祭神とし、当神社は六甲山諸峯を奉拝し、国土安泰、諸民繁栄の守護社である当社内、弁天島に永正14年(1517)つち(槌)村の在銘ある石合籠があり、旧津知村が古い由緒地であることが知られ、明治6年8月に村社格、加列し現在に至るそうです。
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芦屋川沿いを歩きます。
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打出天神社
当神社が鎮座する打出は、西国街道が箕面の山麓から武庫の平野を横断して、初めて海岸に打ち出る地点。さらに打出の小槌の伝説のある所である。古くから交通の要所である打出は、幾度となく戦火にまみれ、又この大戦(太平洋戦争)にも本殿はじめ焼失し、当神社には古記録はない。それ故当神社の創建は明らかでないが、古来、産土神を祀っていたものを、天神信仰が盛んになり、天神さま(菅原道真公)を勧請したものと思われる。この地が古くから交通の要地であったので、天神信仰が早くから伝わったと思われ、天暦元年(947)に北野天満宮に道真公が祀られて、ほど遠くない時期に勧請された。又、時代は下がるが室町時代には北野社(天満宮)領の葦屋荘の記録があるのも、なにかしら深い縁があるそうです。
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春日公園で昼食休憩になりました。



休憩後、夙川沿い、御前浜公園、住吉神社、今津駅まで歩きました。


夙川沿い
桜が綺麗で有名な所でもあります。
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御前の浜(御前浜公園)
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住吉神社
江戸時代末頃に西宮で米穀商を営んでいた當舎屋金兵衛(とうしゃやきんべえ)は、江戸へ送る酒の船積みなどで栄える西宮の港が夙川からの土砂で埋まり、使いづらくなるため、港の改修を決意した。そのため沖へ1kmほど伸びる防波堤を造ろうと計画し、寄附を募り、完成図を描いた絵馬を西宮神社へ奉納して祈念したそうです。
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ゴールの阪神今津駅です。
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ご訪問していただきありがとうございました。





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西国街道をあるく(その1)(兵庫) [ウォーキング西国街道]

西国街道をあるく (その1)に参加してきました。(20160126)

生田神社
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今年は「西国街道をあるく」の完歩をウォーキングの目標の一つにしました。
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。

今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。
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今回のコースは生田神社から魚崎駅までになります。
当日は晴れ曇り、少し寒かったですが気持ち良いウォーキングになりました。
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集合場所の生田神社を出発して、大安亭市場、中村八幡宮、敏馬神社、船寺神社を経由して灘浜緑地まで歩きます。
前半のコースです。
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旧西国街道の案内板と道標
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集合場所の生田神社です。
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西国街道の神戸から京都まで歩くウォーキングの出発です。
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三宮駅から山側の景色です。青空が綺麗でした。
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暫く間、三宮東側の商店街などを歩き、生田川を渡ると大安亭市場の中を歩きます。
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大安亭市場の近くにある中村八幡宮です。

中村八幡宮(中村八幡神社)
明確な創建年代は不明ですが、9世紀末の元慶年間の頃に当地の有力者が京都の男山八幡宮から八幡大神(=応神天皇)を勧請してお社を建てたのが始まりとされているそうです。
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中村八幡宮の後は西国街道を東へ阪神岩屋駅の横を通り、敏馬神社まで歩きます。

阪神岩屋駅
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敏馬神社(みぬめじんじゃ)
漢字が伝わる前からあった「みぬめ」という呼び名に「敏馬」という漢字を当てたもので、とても古くからある名前。もともとの祭神である「彌都波能売神(みずはのめのかみ=水の神)」の名前がその由来となっているそうです。
どのように読むのか分からなかったですが、「みぬめ」だったとは。
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公園の中を歩きます。
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船寺神社(ふなでらじんじゃ)
船寺神社はもともとは摂津国有馬郡の羽束郷にある大舟山の山上に創建された「船寺」という名の寺院の鎮守社として創祀された「八幡神社」にそのルーツがあるといわれ、のちに莵原郡の大石川の西に遷されたと伝えられているそうです。
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灘浜緑地
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灘浜緑地で昼食休憩です。
昼食休憩のあとは神戸酒心館、徳川道起点、菊正宗酒造記念館を経由して阪神魚崎駅まで歩きました。

後半のコースです。
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神戸酒心館
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徳川道起点
幻の道として知られている徳川道の起点。徳川道は江戸時代末期(慶応3年)に幕府が兵庫港を開港するにあたって開港場付近の外国人と西国街道を往来する諸大名や武士との衝突を避けるために作られた迂回路であったそうです。(案内板の文字が見えにくくなっていました。)
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案内板の付近
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住吉川沿いを歩きます。
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菊正宗酒造記念館
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住吉川を再び魚崎駅まで戻ります。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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