西国街道をあるく(その2)(兵庫) [ウォーキング西国街道]
西国街道をあるく(その2)に参加してきました。(20160223)
新西宮ヨットハーバー
今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。
今回はJR住吉駅から阪神今津駅まで歩きました。
当日は曇り、少し寒かったですが気持ち良いウォーキングになりました。
JR住吉駅の直ぐ近くにある本住吉神社をお参りして、花松首地蔵、三王神社、日吉神社、芦屋川、打出天神社を経由して春日公園まで歩きます。
集合場所のJR住吉駅です。
本住吉神社
JR住吉駅の南、国道2号線に面して鎮座する神社が本住吉神社。摂社・末社あわせて全国2,000社あまりを数える住吉神社の本家本元・総本宮であるという誇りを込めて「本」住吉神社と呼ばれているそうです。
花松首地蔵
この地には花松地蔵という石仏が祭られていて、首から上の病気平癒に霊験があると信仰されていて、大正中期にその信者たちが新たに首から上の地蔵像を造ったのが、この首地蔵だそうです。
三王神社
三王神社の創建に関して詳しいことは不明ですが、1781年から1788年にかけての天明年間にはすでにこの場所に石で作られた祠が祀られていたそうです。
小寄公園
五郎丸さんの影響もあるのでしょうか、
幼い子たちがラグビーをしていました。
公園の中に市電、汽車が設置されていました
日吉神社
創建は不詳。古来山王権現社と称せられ、この地の産生神で遠く近江国坂本の日吉大社の御分霊をご鎮座申し上げ、大山昨大神(おおやまくいのおおみこと)を祭神とし、当神社は六甲山諸峯を奉拝し、国土安泰、諸民繁栄の守護社である当社内、弁天島に永正14年(1517)つち(槌)村の在銘ある石合籠があり、旧津知村が古い由緒地であることが知られ、明治6年8月に村社格、加列し現在に至るそうです。
芦屋川沿いを歩きます。
打出天神社
当神社が鎮座する打出は、西国街道が箕面の山麓から武庫の平野を横断して、初めて海岸に打ち出る地点。さらに打出の小槌の伝説のある所である。古くから交通の要所である打出は、幾度となく戦火にまみれ、又この大戦(太平洋戦争)にも本殿はじめ焼失し、当神社には古記録はない。それ故当神社の創建は明らかでないが、古来、産土神を祀っていたものを、天神信仰が盛んになり、天神さま(菅原道真公)を勧請したものと思われる。この地が古くから交通の要地であったので、天神信仰が早くから伝わったと思われ、天暦元年(947)に北野天満宮に道真公が祀られて、ほど遠くない時期に勧請された。又、時代は下がるが室町時代には北野社(天満宮)領の葦屋荘の記録があるのも、なにかしら深い縁があるそうです。
春日公園で昼食休憩になりました。
休憩後、夙川沿い、御前浜公園、住吉神社、今津駅まで歩きました。
夙川沿い
桜が綺麗で有名な所でもあります。
御前の浜(御前浜公園)
住吉神社
江戸時代末頃に西宮で米穀商を営んでいた當舎屋金兵衛(とうしゃやきんべえ)は、江戸へ送る酒の船積みなどで栄える西宮の港が夙川からの土砂で埋まり、使いづらくなるため、港の改修を決意した。そのため沖へ1kmほど伸びる防波堤を造ろうと計画し、寄附を募り、完成図を描いた絵馬を西宮神社へ奉納して祈念したそうです。
ゴールの阪神今津駅です。
ご訪問していただきありがとうございました。
新西宮ヨットハーバー
今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。
今回はJR住吉駅から阪神今津駅まで歩きました。
当日は曇り、少し寒かったですが気持ち良いウォーキングになりました。
JR住吉駅の直ぐ近くにある本住吉神社をお参りして、花松首地蔵、三王神社、日吉神社、芦屋川、打出天神社を経由して春日公園まで歩きます。
集合場所のJR住吉駅です。
本住吉神社
JR住吉駅の南、国道2号線に面して鎮座する神社が本住吉神社。摂社・末社あわせて全国2,000社あまりを数える住吉神社の本家本元・総本宮であるという誇りを込めて「本」住吉神社と呼ばれているそうです。
花松首地蔵
この地には花松地蔵という石仏が祭られていて、首から上の病気平癒に霊験があると信仰されていて、大正中期にその信者たちが新たに首から上の地蔵像を造ったのが、この首地蔵だそうです。
三王神社
三王神社の創建に関して詳しいことは不明ですが、1781年から1788年にかけての天明年間にはすでにこの場所に石で作られた祠が祀られていたそうです。
小寄公園
五郎丸さんの影響もあるのでしょうか、
幼い子たちがラグビーをしていました。
公園の中に市電、汽車が設置されていました
日吉神社
創建は不詳。古来山王権現社と称せられ、この地の産生神で遠く近江国坂本の日吉大社の御分霊をご鎮座申し上げ、大山昨大神(おおやまくいのおおみこと)を祭神とし、当神社は六甲山諸峯を奉拝し、国土安泰、諸民繁栄の守護社である当社内、弁天島に永正14年(1517)つち(槌)村の在銘ある石合籠があり、旧津知村が古い由緒地であることが知られ、明治6年8月に村社格、加列し現在に至るそうです。
芦屋川沿いを歩きます。
打出天神社
当神社が鎮座する打出は、西国街道が箕面の山麓から武庫の平野を横断して、初めて海岸に打ち出る地点。さらに打出の小槌の伝説のある所である。古くから交通の要所である打出は、幾度となく戦火にまみれ、又この大戦(太平洋戦争)にも本殿はじめ焼失し、当神社には古記録はない。それ故当神社の創建は明らかでないが、古来、産土神を祀っていたものを、天神信仰が盛んになり、天神さま(菅原道真公)を勧請したものと思われる。この地が古くから交通の要地であったので、天神信仰が早くから伝わったと思われ、天暦元年(947)に北野天満宮に道真公が祀られて、ほど遠くない時期に勧請された。又、時代は下がるが室町時代には北野社(天満宮)領の葦屋荘の記録があるのも、なにかしら深い縁があるそうです。
春日公園で昼食休憩になりました。
休憩後、夙川沿い、御前浜公園、住吉神社、今津駅まで歩きました。
夙川沿い
桜が綺麗で有名な所でもあります。
御前の浜(御前浜公園)
住吉神社
江戸時代末頃に西宮で米穀商を営んでいた當舎屋金兵衛(とうしゃやきんべえ)は、江戸へ送る酒の船積みなどで栄える西宮の港が夙川からの土砂で埋まり、使いづらくなるため、港の改修を決意した。そのため沖へ1kmほど伸びる防波堤を造ろうと計画し、寄附を募り、完成図を描いた絵馬を西宮神社へ奉納して祈念したそうです。
ゴールの阪神今津駅です。
ご訪問していただきありがとうございました。