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83.伊勢本街道をあるく その3(大阪) [ウォーキング伊勢本街道]

「伊勢本街道をあるく その3」に参加してきました。(20190326)

暗峠
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暗峠から見た奈良方面
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今年は「伊勢本街道をあるく」をウォーキングの目標の一つにしました。

伊勢本街道
江戸時代庶民の間で大流行した伊勢参り(おかげ参り)の道は、上方からの場合、大阪玉造が起点となり、暗越奈良街道、上ツ道、初瀬街道を経て伊勢本街道に入り伊勢神宮内宮までの170km の道のりだそうです。

今回の「伊勢本街道をあるく」は、玉造稲荷神社から伊勢神宮内宮までを分割して2年間で歩きます。1年目は玉造稲荷神社から榛原まで、2年目は榛原から伊勢神宮まで歩きます。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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第3回目は枚岡駅近くの枚岡神社に集合して、暗峠を越えて南生駒駅まで歩きました。

当日は晴れ、最高気温15.1℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所枚岡駅近くの枚岡神社を出発して、観音寺、弘法の水と笠塔婆を経由して「ぬかた園地」まで歩きます。

枚岡駅近くの枚岡神社

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)
延喜式の神名帳にもその名がある河内国一ノ宮の古社で、創祀は神武天皇即位前3年と伝えられる。後に奈良の春日大社に枚岡神社の二分霊を祀ったことから「元春日」とも呼ばれている。本殿は豊臣秀頼が片桐且元に造営させたと伝えられるが、現在の本殿は1826年に再建されたもの。府下随一と言われる秋祭りは、ふとん太鼓の宮入や地車の曳行などが行なわれ、勇壮かつ華やか。毎年年末の12月23日に、新しいしめ縄を掛け替えて大勢で笑う「注連縄掛神事」(しめかけしんじ)通称「お笑い神事」が行われます。年初には、その年の稲の実りを、小豆粥を使って占う「粥占神事」が行なわれるそうです。

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枚岡神社を出発します。
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椋ヶ根橋(くらがねばし)で少し休憩になりました。
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いよいよ、暗峠奈良街道、国道308号の急坂を登ります。
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観音寺を通過します。

観音寺(かんのんじ)
聖法山観音寺は、生駒山中腹の大阪府東大阪市から奈良県生駒市を通る国道308号線沿いにあり、この道の県境にある峠を「暗峠(くらがりとうげ)」、そしてこの道を「暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)」といい、数ある奈良街道の一つで「日本の道百選」にも選定されています。またこの道は、松尾芭蕉が1694年(元禄7年)に大坂へ向かう途中に通り、「菊の香に くらがり登る 節句哉」という句を詠んでいます。当寺の境内には豊浦川が流れ、平行して旧奈良街道があるそうです。
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道路の所々に八土(大阪府八尾土木事務所)が設置した国道308号線の標識がありました。
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弘法の水と笠塔婆(こうぼうのみずとかさとうば)
弘法の水のあるところに弘法さんが祀られ、その横に笠塔婆があります。高さ181cm、鎌倉中期弘安7年(1284)に建てられたもので阿弥陀如来座像の下に「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれています。笠は、後に乗せられたようです。
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ぬかた園地で昼食休憩になりました。
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休憩後、暗峠、阿弥陀石仏、石仏寺を経由して南生駒駅まで歩きました。

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再び、国道308号を歩きます。

狭い道路ですね。
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暗峠に着きました。

暗峠(くらがりとうげ)
暗峠は奈良時代から大阪と奈良を結ぶ一番の近道であった。古くは闇峠とも書かれ、標高は455m。 暗越奈良街道の生駒山地における難所で、つづら折りの少ない直線的な急勾配が続く。特に大阪府側は、麓から峠まで約2.5kmにわたる勾配である。峠道の沿道や道端に、古寺や地蔵、石仏も多くあり、ハイキングコースとしても有名だそうです。
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伊勢本街道保存会の看板がありました。
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暗峠で少し休憩した後、南生駒駅に向かいます。

阿弥陀石仏(あみだせきぶつ)
1270年鎌倉時代中期。総高(残存値)136.0cm 像高107.5cm 石造 上部欠損 鎌倉時代 文永7年(1270)造立。藤尾町内の暗越奈良街道沿いにあります。正面左に「南無阿弥陀仏」、右側面に「文永七广(庚)牛六月日 為西佛過去也」と刻まれているそうです。
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下り道を歩きます。
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石仏寺(せきぶつじ)
暗越奈良街道の脇にある石仏寺は、創建年代や寺歴が明らかではありません。本尊は花崗岩を用いた丸彫坐像の阿弥陀三尊石仏(秘仏)で、永仁2年(1294年)に石工・伊行氏(いのゆきうじ)によって作られたことが、刻まれた銘によってわかっています。その右には嘉元4年(1306年)と銘のある、石造りの阿弥陀如来立像が、左には地蔵立像(ともに秘仏)の石仏があり、当時の優れた手法を示しているそうです。
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この後、南生駒駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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伊勢本街道をあるく その2(伊勢本街道) [ウォーキング伊勢本街道]

「伊勢本街道をあるく その2」に参加してきました。(20190226)

石切剣箭神社
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花園ラグビー場
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伊勢本街道
江戸時代庶民の間で大流行した伊勢参り(おかげ参り)の道は、上方からの場合、大阪玉造が起点となり、暗越奈良街道、上ツ道、初瀬街道を経て伊勢本街道に入り伊勢神宮内宮までの170km の道のりだそうです。

今回の「伊勢本街道をあるく」は、玉造稲荷神社から伊勢神宮内宮までを分割して2年間で歩きます。1年目は玉造稲荷神社から榛原まで、2年目は榛原から伊勢神宮まで歩きます。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「伊勢本街道をあるく」の第2回目は河内永和駅に集合して、花園ラグビー場、石切剣箭神社から枚岡神社まで歩きました。

当日は晴れ、最高気温15.1℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所河内永和駅近くの鴨高田神社を出発して、天神社、三井会所跡、春日若宮神社、八剱神社、吉田春日神社を経由して花園ラグビー場まで歩きます。

河内永和駅近くの鴨高田神社

鴨高田神社(かもたかだじんじゃ))
当社は鴨(賀茂)氏の一族が673年(白鳳2年)に創建したと伝えられる延喜式内社で、祭神に速須佐之男命及び大鴨積命(素盞鳴命の十一世孫で、鴨氏の開祖)を祀ったのが当社の始まりで、中世に入り、岩清水八幡宮領となり、神功皇后、応神天皇を合祀し、「八幡宮」と称される様になった。1615年(元和元年)大坂夏の陣にはこの付近が戦場となり、当社も兵火にかかり、社殿はことごとく烏有に帰したが、後数年を経て、再建されている。 隣接している長栄寺とは掛かり合いが深く、江戸時代の案内書「河内名所図会」には、『長栄寺の鎮守となり、今八幡と称される』とある。1868年(明治元年)の神仏分離後、1872年(明治5年)郷社に列せられた。現在の社殿及び拝殿は1907年(明治14年)の再建だそうです。
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鴨高田神社を出発します。
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天神社(あまつかむやしろ)
旧御厨村の中央に位置し、大名持命、少彦名命の二神をおまつりしています。創建年代は文献が無く解りませんが、延喜式神名帳にみえる意岐部神社がこの神社であるとも伝えられています。古くは御厨神社と呼ばれ、近世以後に現在の社名が使われるようになりました。また、大正4年には新家村の菅原神社と菱屋東の稲荷神社と山科神社、荒本の荒本神社の4社が合祀されました。境内には、市の天然記念物に指定されている「くすの木」があるほか、本殿東側にある小さな四社の殿前の元禄10年(1697)銘の石燈篭や拝殿西側にある高さが3mもある堂々とした八角形大型石燈篭など数々、寛成9年(1797)銘の狛犬、正徳元年銘の手水鉢などの石造物があります。また、枚岡神社から移築された能舞台や村相撲が盛んであったことを示す番付表も保存されています。ところで、御厨という地名は、朝廷にお供えする魚介類を獲るため、平安時代の延喜5年(908)、付近に拡がる湖沼一体を「大江御厨」と定めたことに由来するそうです。
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三井会所跡(みついかいしょあと)
植田家のすぐ東に三井新田会所跡がある。小さな祠は玉岡神社といい会所により管理されていた。新家村の商人・菱屋庄左衛門が新田開発を請負ったので、ここの地名は「菱屋中」となっている。大和川付け替え工事後に開発されたこれらの新田は、享保17年(1732)江戸の三井家の所有となった。三井新田会所跡はこの新田を管理する事務所だったそうです。
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荒本西公園で少し休憩になりました。
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春日若宮神社(かすがわかみやじんじゃ)
神社入口鳥居に架かる注連縄の〆の子の緒に、可愛い飾り結びがあり、境内にはいると、拝殿前に「七大龍王 白龍大神」と書かれた額が架かるご神木が大事に祀られています。荒本の産土神で、御祭神は天押雲根命(天児屋根命の子)ですが、案内が無く、勧請年月・縁起・沿革等は全て不明だそうです。
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八剱神社(やつるぎじんじゃ)
稲荷神社の鎮座していた社地に、後から八劔大明神が奉祀されたそうです。御祭神は宇賀御魂之神(稲荷の祖神)・味耜高彦根之命(八劔大神)。境内は古代大和川河口に島があり、その西側に、応永三年(1396)に稲荷神である宇賀御魂神を勧請して創祀しました。 応永3年(1396)の頃、先住者はこの地で劔を作っていたといわれ、この地にも神社創建請願の声が高まり、文久2年(1862)放出の阿遅速雄神社の味耜高彦根之命を勧請して八剣神社を祭祀したそうです。
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河内花園駅を通過して駅前の商店街を歩きます。
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吉田春日神社(よしだかすがじんじゃ)
奈良の春日大社の御祭神を勧請した御分社。本殿は大阪府の有形文化財に指定。花園ラグビー場に近く、大きなラグビーボールが奉納されている。別称ラグビー神社とも呼ばれており、正月の全国高校ラグビー大会、ジャパントップリーグの開催期間には関係者の参詣が多く、全国唯一のラグビー守袋を扱うそうです。
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花園ラグビー場(はなぞのらぐびーじょう)
東大阪市花園ラグビー場は日本最初のラグビー専用グラウンドで収容人数3万人のスタジアム。全国高等学校ラグビーフットボール大会、ジャパンラグビートップリーグなど数多くの国際試合などが開催され、全国高校ラグビーの聖地であり、2019年ラグビーワールドカップ開催地の一つに決定。
2019年9月22日、9月28日、10月3日の試合の看板が掲示されていました。

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花園ラグビー場で昼食休憩になりました。


休憩後、松原宿跡、石切剣箭神社、額田戎神社を経由して枚岡神社まで歩きました。

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直ぐに、松原宿跡に着きました。

松原宿跡(まつばらじゅくあと)
松原宿は、旧大和川の分流吉田川と恩智川との間に位置し、江戸時代初期に伊勢参りなどで暗越奈良街道を通る旅人の利用を見込み、幕府が街道唯一の宿場として創設したそうです。
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石切剣箭神社に向かいます。

正面の生駒山のふもとにある枚方神社まで歩きます。
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恩智川沿いを歩きます。
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石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)
石切劔箭神社は「石切さん」と呼ばれ「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名だそうです。この日もお百度参りしている人が多くいました。
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石切参道商店街を歩きます。
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額田戎神社(ぬかたえびすじんじゃ)
創建は江戸時代末。祭神はヱビスさん(事代主命)。当社は始め当地の人が毎夜霊感に悩まされて、西宮のヱビス神を勧請したと(夢のお告)云われています。明治5年枚岡神社へ合祀され、後に復社しました。天保15年(1844)村明細帳に夷大明神とあります。明治5年以降、額田戎神社として村人達によりお祭りされています。また、二匹の狛犬は足止の犬として狛犬の足に願い事を書いた白布をしっかりと結びつけて置くと願い事が叶うと言われているそうです。
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枚岡神社に着きました。

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)
延喜式の神名帳にものせられ河内の国一の宮を誇る古社。毎年初めにその年の豊作、凶作を小豆粥を使って占う粥占神事が行われ、秋祭りには多くの太鼓台や地車が宮入りし、華やかで勇壮だそうです。
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枚岡駅は目の前にありました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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伊勢本街道をあるく その1(伊勢本街道) [ウォーキング伊勢本街道]

「伊勢本街道をあるく その1」に参加してきました。(20190122)

玉造稲荷神社
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暗越奈良街道
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今年は「伊勢本街道をあるく」をウォーキングの目標の一つにしました。


伊勢本街道(いせほんかいどう)
江戸時代庶民の間で大流行した伊勢参り(おかげ参り)の道は、上方からの場合、大阪玉造が起点となり、暗越奈良街道、上ツ道、初瀬街道を経て伊勢本街道に入り伊勢神宮内宮までの170km の道のりだそうです。

今回の「伊勢本街道をあるく」は、玉造稲荷神社から伊勢神宮内宮までを分割して2年間で歩きます。1年目は玉造稲荷神社から榛原まで、2年目は榛原から伊勢神宮まで歩きます。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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伊勢街道全体 .jpg



第一回目は大阪市役所に集合して、玉造稲荷神社まで歩き、玉造稲荷神社で伊勢参りのお祈りをして頂いた後、暗越奈良街道を経由して河内永和駅まで歩きました。

当日は晴れ、最高気温11.6℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所大阪市役所を出発して、里程元標、大阪城公園、難波宮跡公園 、浪花講発祥の地を経由して玉造稲荷神社まで歩きます。

集合場所の大阪市役所
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大阪市役所を出発します。
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里程元標(りていげんぴょう)
江戸時代の里程計算の起点は、高麗橋の東詰にあった。ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点。明治9年道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、高麗橋の東南詰に元標がたてられた。現在は道路元標として梅田新道交差点西北角に移されている。また高麗橋は、江戸時代から公儀橋のなかでも重視され、西詰には町奉行所の制札場があった。なお高麗橋は大阪で最初の鉄橋(明治3年)だそうです。
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大阪城公園に向かいます。

大阪城公園
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難波宮跡公園近くの歩道橋を渡ります。
右前方にNHK大阪放送局が見えます。
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難波宮跡公園
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浪花講発祥の地(なにわこうはっしょうのち)
浪花講は江戸後期、街道宿駅の風紀紊乱(びんらん)の弊風を打破するため結成された旅宿組合の一つ。1804年(文化1)大坂玉造上清水町の綿弓(わたゆみ)の弦(つる)師松屋甚四郎と江戸の鍋屋甚八が講元(こうもと)、甚四郎の手代松屋源助が発起人となり、大坂より諸国に下る商人を浪花組に加入させて旅行鑑札を渡し、諸街道で誠実な宿屋を選んで、店頭に浪花組の招牌(しょうはい)を掲げさせ、宿屋には浪花講の規定(賭博(とばく)、遊女買い、酒宴、喧騒などをする旅客の止宿禁止)の遵守を義務づけ、旅行者が浪花講の定宿帳を得て各宿駅ごとに招牌を目印に休泊できるようにしたので、大いに好評を博し五街道、脇(わき)街道など全国に及び三都講など類似の講も出現したそうです。
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玉造稲荷神社に着きました。

玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
紀元前12年の秋に創祀されたと伝えられる由緒ある神社。豊臣秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などが並ぶ豊臣家ゆかりの神社でもあるそうです。
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玉造稲荷神社はお伊勢参りの起点になっています。
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玉造稲荷神社で道中の安全を祈願していただきました。
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伊勢神宮目指して出発します。
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蓮久寺(れんきゅうじ)を通過します。
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東小橋北公園で昼食休憩になりました。
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休憩後、暗越奈良街道顕彰碑、熊野大神宮、深江稲荷神社、長栄寺を経由して河内永和駅まで歩きました。

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暗越奈良街道顕彰碑(くらがりごえならかいどうけんしょうひ)
大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道。生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったころから、この名称の由来になっているそうです。
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熊野大神宮(くまのだいじんぐう)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)ほか五柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。石山合戦の際、兵火にあいましたが再建され、元和(17世紀前期)以降大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした社で、熊野権現と称し、明治5年(1872)に現社号に改め、同44年(1911)旧東今里村氏神八剣神社を合祀したそうです。
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深江稲荷神社に向かいます。
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深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)
宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡に指定されているそうです。
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長栄寺(ちょうえいじ)
長栄寺は、聖徳太子の開創と伝えられ、本尊の十一面観世音-重要文化財-も太子が自ら刻んだものといわれ、府の文化財に指定されています。本堂は火災で焼失し、文政8年(1825年)に再建されました。境内の奥には、慈雲尊者が修禅研学をしたという双龍庵禅那台が端正な姿で残っているそうです。
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河内永和駅に着きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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