太古のロマン斑鳩の里大和郡山の道を歩く [ウォーキング奈良県]
太古のロマン斑鳩の里大和郡山の道を歩く(20221115)
コスモス
コロナ感染に注意しながら、「太古のロマン斑鳩の里大和郡山の道を歩く」に参加しました。(2022/11/12)
当日は晴れ、24.0℃。秋晴れの中、気持ち良いウォーキングになりました。
大和小泉駅から、大法寺、法起寺、法輪寺、法隆寺、藤ノ木古墳、龍田神社から法隆寺駅まで約12㎞を歩きました。
大和小泉駅を出発します。
暫く歩くと富雄川を渡ります。
富雄川沿いのサイクリングロードを歩きます。
小泉の交差点を左に曲がり、奈良県道9号奈良大和郡山斑鳩線沿いに大法寺に向かいます。
大法寺
ここで、少し休憩になりました。
休憩後、法起寺、法輪寺に向かいます。
法起寺
法起寺は、以前の「ほっきじ」から1993年に世界遺産登録されるときに「法」の呼び名が統一されて正式名称「ほうきじ」になったそうです。法起寺の三重塔は現存する中では日本最古で国宝に指定されているそうです。有名なコスモスは見頃が過ぎていました。
法輪寺
享保12年(1727)大愚和尚を開山とし、開基荒木宗禎に帰依を受けた万海和尚が創立した。十六羅漢木像、徳川時代の鋳匠藤原国次作の妙音の弁天鐘、珍しい等身の金箔大寝釈迦木像や、白隠禅師の夜船閑話で知られた白幽子の旧墓石がある。 三国一を称する起上り達磨をはじめ、諸願成就に奉納された達磨およそ八千余をまつる達磨堂は特に有名で、節分は参詣者でにぎわうそうです。
少し休憩後、斑鳩神社を経由して中宮寺史跡公園に向かいます。
中宮寺史跡公園
「中宮寺跡史跡公園」は、法隆寺東伽藍夢殿の東隣に位置する現在の中宮寺より、約500m東の場所にある創建時の跡地。聖徳太子が母である穴穂部間人皇后のために建立した宮殿を、尼寺に改めたことが始まりとされていて、江戸時代初期に現在の場所へ移転。跡地は歴史公園として整備されており、土壇(土で一段高く盛って築いた場所)に塔と金堂跡が残っている。塔と金堂跡の土壇の周囲にはコスモス畑があります。
当日、コスモスは満開でした。ラッキーでした。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、法隆寺に向います。
法隆寺
聖徳宗の総本山。7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設。聖徳太子ゆかりの寺院。1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたそうです。
みごとに紅葉が色づいていました。
法隆寺に来ると、池端にある正岡子規の句碑に目が留まります。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
法隆寺西大門
近くの藤ノ木古墳に着きました。
藤ノ木古墳
当日は普段見れない古墳の中が公開されていました。
しかし、見るには事前申し込みが必要でした。
龍田神社に向かいます。
龍田神社
聖徳太子が法隆寺建立の地を探していたところ、白髪の老人に化身した龍田大明神が現れ、「斑鳩の郷は、仏法が末永興隆する地として伽藍建立に適している」と告げられ、太子は建立する寺の守護を願い、龍田大明神を祀る神社を創建したといわれているそうです。
このあと、法隆寺駅まで歩きました。
新型コロナウィルス
11月14日(月)感染者数は東京4,025人、大阪1,547人、沖縄138人、全国37,555人。先週に引き続き、7日平均前週比が東京、大阪、全国などで100%を越えています。また、北海道が1万人を超えましたね。これ以上感染が拡大しないことを祈っています。
追記) 11/16(水)
11/15(火)の感染者数は東京11,196人、全国102,829人とともに、9/14以来2か月振りに1万人、10万人を超えたそうです。旅行支援などの施策が行われているので当然の成り行きなのでしょうか。
コロナワクチン
11/16(水)、5回目のコロナワクチンを受けてきました。3,4回目同様ファイザー製にしました。早速、解熱剤タイレノールを服用しました。副反応が少ないことを祈っています。
追記)11/18(金)
11/17 02:00 体温37.9℃ 注射部分の痛み有り
平温35.6℃、結構つらかったです。
11/17 07:00 体温37.4℃ 注射部分の痛み有り
11/17 12:00 体温36.9℃ 注射部分の痛み有り
再度、解熱剤タイレノール服用
11/18 18:00 体温36.0℃ 注射部分少しの痛み
ご訪問していただきありがとうございました。
コスモス
コロナ感染に注意しながら、「太古のロマン斑鳩の里大和郡山の道を歩く」に参加しました。(2022/11/12)
当日は晴れ、24.0℃。秋晴れの中、気持ち良いウォーキングになりました。
大和小泉駅から、大法寺、法起寺、法輪寺、法隆寺、藤ノ木古墳、龍田神社から法隆寺駅まで約12㎞を歩きました。
大和小泉駅を出発します。
暫く歩くと富雄川を渡ります。
富雄川沿いのサイクリングロードを歩きます。
小泉の交差点を左に曲がり、奈良県道9号奈良大和郡山斑鳩線沿いに大法寺に向かいます。
大法寺
ここで、少し休憩になりました。
休憩後、法起寺、法輪寺に向かいます。
法起寺
法起寺は、以前の「ほっきじ」から1993年に世界遺産登録されるときに「法」の呼び名が統一されて正式名称「ほうきじ」になったそうです。法起寺の三重塔は現存する中では日本最古で国宝に指定されているそうです。有名なコスモスは見頃が過ぎていました。
法輪寺
享保12年(1727)大愚和尚を開山とし、開基荒木宗禎に帰依を受けた万海和尚が創立した。十六羅漢木像、徳川時代の鋳匠藤原国次作の妙音の弁天鐘、珍しい等身の金箔大寝釈迦木像や、白隠禅師の夜船閑話で知られた白幽子の旧墓石がある。 三国一を称する起上り達磨をはじめ、諸願成就に奉納された達磨およそ八千余をまつる達磨堂は特に有名で、節分は参詣者でにぎわうそうです。
少し休憩後、斑鳩神社を経由して中宮寺史跡公園に向かいます。
中宮寺史跡公園
「中宮寺跡史跡公園」は、法隆寺東伽藍夢殿の東隣に位置する現在の中宮寺より、約500m東の場所にある創建時の跡地。聖徳太子が母である穴穂部間人皇后のために建立した宮殿を、尼寺に改めたことが始まりとされていて、江戸時代初期に現在の場所へ移転。跡地は歴史公園として整備されており、土壇(土で一段高く盛って築いた場所)に塔と金堂跡が残っている。塔と金堂跡の土壇の周囲にはコスモス畑があります。
当日、コスモスは満開でした。ラッキーでした。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、法隆寺に向います。
法隆寺
聖徳宗の総本山。7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設。聖徳太子ゆかりの寺院。1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたそうです。
みごとに紅葉が色づいていました。
法隆寺に来ると、池端にある正岡子規の句碑に目が留まります。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
法隆寺西大門
近くの藤ノ木古墳に着きました。
藤ノ木古墳
当日は普段見れない古墳の中が公開されていました。
しかし、見るには事前申し込みが必要でした。
龍田神社に向かいます。
龍田神社
聖徳太子が法隆寺建立の地を探していたところ、白髪の老人に化身した龍田大明神が現れ、「斑鳩の郷は、仏法が末永興隆する地として伽藍建立に適している」と告げられ、太子は建立する寺の守護を願い、龍田大明神を祀る神社を創建したといわれているそうです。
このあと、法隆寺駅まで歩きました。
新型コロナウィルス
11月14日(月)感染者数は東京4,025人、大阪1,547人、沖縄138人、全国37,555人。先週に引き続き、7日平均前週比が東京、大阪、全国などで100%を越えています。また、北海道が1万人を超えましたね。これ以上感染が拡大しないことを祈っています。
追記) 11/16(水)
11/15(火)の感染者数は東京11,196人、全国102,829人とともに、9/14以来2か月振りに1万人、10万人を超えたそうです。旅行支援などの施策が行われているので当然の成り行きなのでしょうか。
コロナワクチン
11/16(水)、5回目のコロナワクチンを受けてきました。3,4回目同様ファイザー製にしました。早速、解熱剤タイレノールを服用しました。副反応が少ないことを祈っています。
追記)11/18(金)
11/17 02:00 体温37.9℃ 注射部分の痛み有り
平温35.6℃、結構つらかったです。
11/17 07:00 体温37.4℃ 注射部分の痛み有り
11/17 12:00 体温36.9℃ 注射部分の痛み有り
再度、解熱剤タイレノール服用
11/18 18:00 体温36.0℃ 注射部分少しの痛み
ご訪問していただきありがとうございました。
生駒山麓・納涼ウォーク(奈良県) [ウォーキング奈良県]
「生駒山麓・納涼ウォーク」に参加してきました。(20180727)
宝山寺
奈良生駒市の宝山寺、生駒山麓公園など森林の景色などを楽しみながら歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温34.4℃、暑かったですが気持良いウォークになりました。
集合場所生駒駅から近鉄生駒ケーブルで宝山寺駅まで移動して宝山寺から生駒山麓公園まで歩きます。
集合場所の生駒駅
近鉄生駒ケーブルで宝山寺駅に向かいます。
生駒ケーブル 宝山寺線
生駒ケーブルは日本最初のケーブルカーとして、1918年8月29日に営業を開始、2018年で開業100周年。当初宝山寺(生駒聖天)参拝の利便性向上のため、宝山寺線(鳥居前・宝山寺間)が開業し、1929年に生駒山上遊園地の開業に合わせて山上線(宝山寺・生駒山上間)が開業。太平洋戦争中には生駒山上に海軍基地が設置され、営業を休止した時期もあったが、駅設備や車両等の更新・改良を重ねながら、この100年間営業を続けてきたそうです。
鳥居前駅
ケーブルカーに乗ります。
ケーブルカー車内からの眺め
宝山寺駅に着きました。
宝山寺駅からの景色です。
宝山寺駅
宝山寺まで歩きます。
宝山寺に着きました。
宝山寺(ほうざんじ)
もともとは役行者や空海がが修験の場として開いたこの寺を、延宝6年(1678)に宝山湛海が中興し歓喜天を祀った。般若窟と呼ばれる大岩壁を背景に本堂、聖天堂、多宝堂、絵馬堂などが立ち並ぶ。色ガラスのはまった獅子閣(重要文化財)は明治17年(1884)に迎賓館として建てられた洋風建築で、訪れる人の目をひく。現世のあらゆる願いを叶えてくれるとされ、生駒の聖天さまと呼ばれ親しまれている。中でも商売繁盛の現世利益や禁酒といった断ちものを祈願する庶民信仰の寺として知られるそうです。
宝山寺の境内
コース説明などを受けます。
準備体操の後、宝山寺を出発します。
森林を歩きます。
途中の木陰で休憩になりました。
再び、森林の中を歩いた後、生駒山麓公園に向かいます。
生駒山麓公園に着きました。
生駒山麓公園ふれあいセンタを通過します。
生駒山麓公園ふれあいセンター(いこまさんろくこうえんふれあいせんたー)
園内にあるふれあいセンターは温浴施設や宿泊研修室等があり、子どもからお年寄りまで誰もがゆっくり過ごせる憩いの場となっているそうです。
生駒山麓公園(いこまさんろくこうえん)
市街地から約2kmの距離にありながら、緑豊かな自然に囲まれている生駒山麓公園。30ポイントもの関門が立ちはだかるフィールドアスレチックや、小さなお子様でも楽しめるローラー滑り台を備えた大型木製遊具と、子どもたちが夢中になってしまう設備が満載だそうです。
生駒山麓公園で昼食休憩になりました。
生駒山麓公園に保存されている近鉄生駒鋼索線のコ1形「いのり」
この車輌は1928(昭和3)年11月に一代目の車輌の一部を使って製作されたというコ1形1号「いのり」で、2000(平成12)年2月28日に新型車輌が導入されるまで現役を貫いた古参車輌だそうです。
昼食休憩後、生駒市芸術会館を経由して生駒駅まで歩きました。
生駒山麓公園を出発します。
森林の中を下っていきます。
住宅街に出てきました。
生駒市芸術会館に着きました。
生駒市芸術会館「美楽来(みらく)」
芸術・文化の学習施設として研修、会議、創作、展示などの学習活動に利用できる機能を備え、1階ロビーから一望できる日本庭園を配している。名前の「美楽来(みらく)」は「美に触れ市民に楽しい時間や空間がやって来る」と言う意味で市民応募の中から名付けたものだそうです。
この後、生駒駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
宝山寺
奈良生駒市の宝山寺、生駒山麓公園など森林の景色などを楽しみながら歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温34.4℃、暑かったですが気持良いウォークになりました。
集合場所生駒駅から近鉄生駒ケーブルで宝山寺駅まで移動して宝山寺から生駒山麓公園まで歩きます。
集合場所の生駒駅
近鉄生駒ケーブルで宝山寺駅に向かいます。
生駒ケーブル 宝山寺線
生駒ケーブルは日本最初のケーブルカーとして、1918年8月29日に営業を開始、2018年で開業100周年。当初宝山寺(生駒聖天)参拝の利便性向上のため、宝山寺線(鳥居前・宝山寺間)が開業し、1929年に生駒山上遊園地の開業に合わせて山上線(宝山寺・生駒山上間)が開業。太平洋戦争中には生駒山上に海軍基地が設置され、営業を休止した時期もあったが、駅設備や車両等の更新・改良を重ねながら、この100年間営業を続けてきたそうです。
鳥居前駅
ケーブルカーに乗ります。
ケーブルカー車内からの眺め
宝山寺駅に着きました。
宝山寺駅からの景色です。
宝山寺駅
宝山寺まで歩きます。
宝山寺に着きました。
宝山寺(ほうざんじ)
もともとは役行者や空海がが修験の場として開いたこの寺を、延宝6年(1678)に宝山湛海が中興し歓喜天を祀った。般若窟と呼ばれる大岩壁を背景に本堂、聖天堂、多宝堂、絵馬堂などが立ち並ぶ。色ガラスのはまった獅子閣(重要文化財)は明治17年(1884)に迎賓館として建てられた洋風建築で、訪れる人の目をひく。現世のあらゆる願いを叶えてくれるとされ、生駒の聖天さまと呼ばれ親しまれている。中でも商売繁盛の現世利益や禁酒といった断ちものを祈願する庶民信仰の寺として知られるそうです。
宝山寺の境内
コース説明などを受けます。
準備体操の後、宝山寺を出発します。
森林を歩きます。
途中の木陰で休憩になりました。
再び、森林の中を歩いた後、生駒山麓公園に向かいます。
生駒山麓公園に着きました。
生駒山麓公園ふれあいセンタを通過します。
生駒山麓公園ふれあいセンター(いこまさんろくこうえんふれあいせんたー)
園内にあるふれあいセンターは温浴施設や宿泊研修室等があり、子どもからお年寄りまで誰もがゆっくり過ごせる憩いの場となっているそうです。
生駒山麓公園(いこまさんろくこうえん)
市街地から約2kmの距離にありながら、緑豊かな自然に囲まれている生駒山麓公園。30ポイントもの関門が立ちはだかるフィールドアスレチックや、小さなお子様でも楽しめるローラー滑り台を備えた大型木製遊具と、子どもたちが夢中になってしまう設備が満載だそうです。
生駒山麓公園で昼食休憩になりました。
生駒山麓公園に保存されている近鉄生駒鋼索線のコ1形「いのり」
この車輌は1928(昭和3)年11月に一代目の車輌の一部を使って製作されたというコ1形1号「いのり」で、2000(平成12)年2月28日に新型車輌が導入されるまで現役を貫いた古参車輌だそうです。
昼食休憩後、生駒市芸術会館を経由して生駒駅まで歩きました。
生駒山麓公園を出発します。
森林の中を下っていきます。
住宅街に出てきました。
生駒市芸術会館に着きました。
生駒市芸術会館「美楽来(みらく)」
芸術・文化の学習施設として研修、会議、創作、展示などの学習活動に利用できる機能を備え、1階ロビーから一望できる日本庭園を配している。名前の「美楽来(みらく)」は「美に触れ市民に楽しい時間や空間がやって来る」と言う意味で市民応募の中から名付けたものだそうです。
この後、生駒駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
歩くなら平群の里(奈良) [ウォーキング奈良県]
「歩くなら平群の里」に参加してきました。(20161113)
奈良平群町周辺の歴史的な神社、古墳などを訪れてきました。
当日は秋晴れ、気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所JR平群駅を出発してツボリ山古墳、楢本神社、紀氏神社、吉備内親王墓・長屋王墓、平等寺春日神社、椿井春日神社、椿井井戸、道の駅、平群神社を経由して西宮古墳、平群中央公園まで歩きます。
集合場所のJR平群駅です。
ツボリ山古墳(つぼりやまこふん)
生駒山地より東に延びる丘陵の南斜面に築造された古墳で、墳丘は造成工事で削平され、当初の姿を留めていないが、一辺20m程の方墳の可能性が考えられている。主体部は南に開口する横穴式石室、玄室長4.25m、幅2.2~2.55m、高さ2.45m。羨道は長さ4.65m、幅1.7~1.82m、高さ約1.7m。玄室は二段積みで、2石目が大きく内傾し、前壁も同様だったとみられるそうです。
竜田川を渡ります。
楢本神社(ならもとじんじゃ)
式内社で梨本と吉新の氏神。大正4年の神社調査書では、野間田明神または白山権現とも呼ばれたとあり、
社地は34坪で、南面した神社の広庭正面と右側面に参詣口がある。祭神は、菊理姫命で雷難除去の神とされ、左に春日神社が明治45年吉新から合祀されているそうです。
紀氏神社(きしじんじゃ)
上庄に所在する式内大社。正式名は平群坐紀氏神社、別名辻の宮とも呼ばれる。紀氏の創建で、平群氏の祖・木莵宿禰を祀り、中世には天児屋根命を祀る春日大社(春日大明神)とされていた。現在、上庄・椣原・西向の氏神で西向きの本殿、拝殿に向かって三方にそれぞれの「宮座(座小屋)」が置かれている。境内には石鳥居や石灯籠、狛犬等の石造文化財があり、そのうちで延宝2年(1674)銘の石灯籠が最も古いものだそうです。
吉備内親王墓(きびないしんのうはか)
長屋王墓北西150mのやや高所、丘陵斜面の中段に所在する塚で、現状は直径20m、高さ2m程の円墳である。長屋王墓と共に明治34年に治定されているそうです。
長屋王墓 (ながやおうぼ)
平群谷の北より矢田丘陵より西に長く延びる丘陵の南斜面裾にある塚。直径15m、高さ1.5m程の円墳状をしている。宮内庁により明治34年に奈良時代初期の皇親政治家、長屋王の墳墓に治定されているそうです。
平等寺春日神社に向かう途中にコスモスが咲いていました。
平等寺春日神社(びょうどうじかすがじんじゃ)
平等寺と下垣内の氏神。祭神は天児屋根命。本殿は春日造り極彩色檜皮葺。割拝殿の両側には数枚の絵馬が奉納されているそうです
平等寺春日神社西側から見た景色です。
椿井春日神社(つばいかすがじんじゃ)
祭神は天児屋根命。椿井の集落のすぐ上の丘陵に鎮座する。正面の本殿は、桁行2.9m梁間2m向背の出が97㎝と1.9mの春日造朱塗りで屋根は銅板葺。棟には千木堅魚木がおかれている。創祀・由緒はわかっていないそうです。
椿井井戸(つばいいど)
今も清水が湧いていて、井戸の横には文政4年(1821)の石碑が立てられている。この井戸には、椿井氏の祖先と伝えられる平群神手将軍の逸話が伝えられているそうです。
道の駅で休憩になりました。
平群神社(へぐりじんじゃ)
西宮の北端、人家に接した城山の丘陵上、森の繁みの中に鎮座する。式内社で5柱の神が祀られていることから、平群氏がその祖神を祀った社ではないかとも考えられるが断定できないそうです。
西宮古墳(にしのみやこふん)
昭和58年宅地開発に伴って直径42cmの柱の根の部分が発見され、遺跡の存在が明らかにされたそうです。
平群中央公園
ここで昼食休憩になりました。
休憩後、石床神社、烏土塚古墳を経由してJR竜田川駅まで歩きました。
石床神社(いわとこじんじゃ)
竜田川の支流井文字川を見下ろす崖面に露頭した高さ約8m、幅約20数mの巨大な[磐座][陰石]をご神体としている。貞観元年(859年)正月に従5位上を授けられ、平安時代の「延喜式神名帳」には“平群石床神社大.月次新嘗.”との記載がある。祭神は剣刃石床別命(ケンジンイワトコワケノミコト)。本殿や拝殿は当初からなく、磐座を遥拝する古い形態を伝えている。ご神体と同じ石材(片麻状黒雲母花崗岩)が柿塚、烏土塚、西宮の各古墳の横穴式石室に使用されているそうです。
烏土塚古墳(うどづかこふん)
烏土塚古墳は、住宅地の真ん中にある古墳時代後期の古墳だそうです。
階段を上ると素晴らしい見晴らしでした。
この後、竜田川駅まで歩きました。
(感謝とお詫び)
いつも訪問して頂き有難うございます。
勝手を言って申し訳ありませんが、今回、Niceを閉じさせて頂きます。
ご訪問していただきありがとうございました。
奈良平群町周辺の歴史的な神社、古墳などを訪れてきました。
当日は秋晴れ、気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所JR平群駅を出発してツボリ山古墳、楢本神社、紀氏神社、吉備内親王墓・長屋王墓、平等寺春日神社、椿井春日神社、椿井井戸、道の駅、平群神社を経由して西宮古墳、平群中央公園まで歩きます。
集合場所のJR平群駅です。
ツボリ山古墳(つぼりやまこふん)
生駒山地より東に延びる丘陵の南斜面に築造された古墳で、墳丘は造成工事で削平され、当初の姿を留めていないが、一辺20m程の方墳の可能性が考えられている。主体部は南に開口する横穴式石室、玄室長4.25m、幅2.2~2.55m、高さ2.45m。羨道は長さ4.65m、幅1.7~1.82m、高さ約1.7m。玄室は二段積みで、2石目が大きく内傾し、前壁も同様だったとみられるそうです。
竜田川を渡ります。
楢本神社(ならもとじんじゃ)
式内社で梨本と吉新の氏神。大正4年の神社調査書では、野間田明神または白山権現とも呼ばれたとあり、
社地は34坪で、南面した神社の広庭正面と右側面に参詣口がある。祭神は、菊理姫命で雷難除去の神とされ、左に春日神社が明治45年吉新から合祀されているそうです。
紀氏神社(きしじんじゃ)
上庄に所在する式内大社。正式名は平群坐紀氏神社、別名辻の宮とも呼ばれる。紀氏の創建で、平群氏の祖・木莵宿禰を祀り、中世には天児屋根命を祀る春日大社(春日大明神)とされていた。現在、上庄・椣原・西向の氏神で西向きの本殿、拝殿に向かって三方にそれぞれの「宮座(座小屋)」が置かれている。境内には石鳥居や石灯籠、狛犬等の石造文化財があり、そのうちで延宝2年(1674)銘の石灯籠が最も古いものだそうです。
吉備内親王墓(きびないしんのうはか)
長屋王墓北西150mのやや高所、丘陵斜面の中段に所在する塚で、現状は直径20m、高さ2m程の円墳である。長屋王墓と共に明治34年に治定されているそうです。
長屋王墓 (ながやおうぼ)
平群谷の北より矢田丘陵より西に長く延びる丘陵の南斜面裾にある塚。直径15m、高さ1.5m程の円墳状をしている。宮内庁により明治34年に奈良時代初期の皇親政治家、長屋王の墳墓に治定されているそうです。
平等寺春日神社に向かう途中にコスモスが咲いていました。
平等寺春日神社(びょうどうじかすがじんじゃ)
平等寺と下垣内の氏神。祭神は天児屋根命。本殿は春日造り極彩色檜皮葺。割拝殿の両側には数枚の絵馬が奉納されているそうです
平等寺春日神社西側から見た景色です。
椿井春日神社(つばいかすがじんじゃ)
祭神は天児屋根命。椿井の集落のすぐ上の丘陵に鎮座する。正面の本殿は、桁行2.9m梁間2m向背の出が97㎝と1.9mの春日造朱塗りで屋根は銅板葺。棟には千木堅魚木がおかれている。創祀・由緒はわかっていないそうです。
椿井井戸(つばいいど)
今も清水が湧いていて、井戸の横には文政4年(1821)の石碑が立てられている。この井戸には、椿井氏の祖先と伝えられる平群神手将軍の逸話が伝えられているそうです。
道の駅で休憩になりました。
平群神社(へぐりじんじゃ)
西宮の北端、人家に接した城山の丘陵上、森の繁みの中に鎮座する。式内社で5柱の神が祀られていることから、平群氏がその祖神を祀った社ではないかとも考えられるが断定できないそうです。
西宮古墳(にしのみやこふん)
昭和58年宅地開発に伴って直径42cmの柱の根の部分が発見され、遺跡の存在が明らかにされたそうです。
平群中央公園
ここで昼食休憩になりました。
休憩後、石床神社、烏土塚古墳を経由してJR竜田川駅まで歩きました。
石床神社(いわとこじんじゃ)
竜田川の支流井文字川を見下ろす崖面に露頭した高さ約8m、幅約20数mの巨大な[磐座][陰石]をご神体としている。貞観元年(859年)正月に従5位上を授けられ、平安時代の「延喜式神名帳」には“平群石床神社大.月次新嘗.”との記載がある。祭神は剣刃石床別命(ケンジンイワトコワケノミコト)。本殿や拝殿は当初からなく、磐座を遥拝する古い形態を伝えている。ご神体と同じ石材(片麻状黒雲母花崗岩)が柿塚、烏土塚、西宮の各古墳の横穴式石室に使用されているそうです。
烏土塚古墳(うどづかこふん)
烏土塚古墳は、住宅地の真ん中にある古墳時代後期の古墳だそうです。
階段を上ると素晴らしい見晴らしでした。
この後、竜田川駅まで歩きました。
(感謝とお詫び)
いつも訪問して頂き有難うございます。
勝手を言って申し訳ありませんが、今回、Niceを閉じさせて頂きます。
ご訪問していただきありがとうございました。
彼岸花と役行者誕生地を訪ねて(奈良) [ウォーキング奈良県]
「彼岸花と役行者誕生地を訪ねて」に参加してきました。(20160925)
一言主神社近くに咲く彼岸花
奈良の修験道の祖・役行者の誕生地、御所吉祥草寺を訪ねた後、青少年期に修業した金剛山・葛城山の山麓を歩いてきました。
当日は晴れ、彼岸花が満開に咲いている中の気持よいウォーキングになりました。
集合場所近鉄御所駅近くの葛城公園を出発して円照寺、吉祥草寺、熊野神社、鴨都波神社を経由して一言主神社まで歩きます。
近鉄御所駅
葛城公園
御所の街並みを歩きます。
円照寺(えんしょうじ)
浄土真宗大和五ヶ所御坊のひとつに数えられる。天文15年(1546)桑山源吾(釋笑雲)によって、常徳寺として建立されたが、後に、慶長15年3月、本山准如上人より懸所坊舎を命ぜられ円照寺と改称されたそうです。
吉祥草寺(きっしょうそうじ)
吉祥草寺は修験道の開祖、役行者が飛鳥時代の634年(舒明天皇6年)に生誕した寺として知られる。寺伝によれば、本山は舒明天皇の発願により創建され、その後、南北朝時代の1349年(貞和5年)高師直の兵火にかかり焼失した。本堂とそれとつながる祖師堂(行者堂)は応永年間(1394~1428年)に再建されている。この本堂は老朽化が進み、建て替えが計画され、取り壊されており、現在はその姿を見ることが出来ない。吉祥草寺最大の祭りは「大とんど(左義長)法要」で、1978年(昭和53年)国の無形民族文化財に指定。この祭りは、役行者が冤罪により伊豆に流され、701年(大宝元年)に無事帰還した折、茅原の里人がこれを喜び、大きな松明を焚いて祝ったのが始まりとされ、古い行事を今に伝えているそうです。
熊野神社(くまのじんじゃ)
茅原集落の吉祥寺東に接して鎮座する旧指定村社。祭神伊邪那美命・速玉男命・大事忍男命。境内に伝承役行者うぶ湯の井戸・おいかけ杉・腰掛石などがあり、役行者ゆかりの伝承地。もと吉祥草寺の鎮守として創始されたのでないかと考えられているそうです。
長閑な感じの道を西に向かって歩きます。
鴨都波神社(かもつばじんじゃ)
第10代崇神天皇の御代、大国主命第11世太田田根子の孫、大賀茂都美命に勅を奉りて葛城邑加茂の地に奉斎されたのが始めとされている。葛城加茂社、下津加茂社とも称され全国の加茂(鴨)社の根源である。宮中八神の一社にして鎮魂の祭礼に預かり給う延喜式内名神大社である。事代主神は元来「鴨族」が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源である。大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大国主命の子に当たることから、「大神神社の別宮」とも称される。当社の古い社名は「鴨都味波八重事代主命(かもつみわやえことしろぬしのみこと)神社」であり、「鴨の水端(みづは)の神」と解され、当地が葛城川と柳田川の合流地点で水に恵まれていたことから、元々「水の神」を祀っていたものとする説もあるそうです。
道沿いの彼岸花を見ながら歩きます。
葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)
全国各地の一言主神を奉斎する神社の総本社。『古事記』や『日本書紀』によると、祭神の葛城之一言主大神は、第21代雄略天皇が葛城山で狩りをされた時に天皇と同じ姿で現れ、天皇が「お前は誰だ」と問いかけたところ、私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と申され、天皇はひれ伏し、一緒に狩りを楽しんだと伝えられています。地元の人からは「いちごんさん」と呼ばれ、親しまれているそうです。
ここで昼食休憩になりました。
昼食休憩の間に彼岸花を写しました。
休憩の後は九品寺、六地蔵、鴨山口神社を経由して近鉄御所駅まで歩きました。
長閑な感じの道を今度は北に向かって歩きます。
九品寺 (くほんじ)
聖武天皇によって行基が開基したお寺。本尊は木造阿弥陀如来坐像で重要文化財に指定されている。それと同時に、境内や本堂の裏山に数多くの石仏があることでも有名。戦火時に身変りとして作られたとも伝わっていますがその数1000体あまりと多いのも珍しいそうです。
道沿いの彼岸花を見ながら歩きます。
六地蔵の所を東に曲がります。
鴨山口神社(かもやまぐちじんじゃ)
神社の創立は不詳ですが、記録によりますと以前は当神社西北方俗称岸ノ山に鎮座なされておったのが天災起こり山岳崩れて今の此の地に奉られたと記されております。貞観元年(平安時代859年~877年)第五十七代清和天皇の御代に正五位を授けられており、その当時すでに神社が創立され奉られていた事が推察されます。御祭神の大山祇神は山の神とされています。これは葛城山の入り口に鎮座し当時の住民が重要な作物である稲作造りに必要な雨・風を神に願う気持ちが山の入口にそれを治める神として奉られたものと思われます。また、御相殿に配祀奉る大日霎貴命・御霊大神は、昭和24年2月文部省より国の重要文化財に指定を受けその造りは木造で姿は座像で大日霎貴命は衣冠を付けられて大きさは56cm。御霊大神の方は女神とされ大きさは50cm。造られた時代は藤原時代前期(西暦800年代)の作とされているそうです。
この後、近鉄御所駅まで歩きました。
前回及び前々回の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。
一言主神社近くに咲く彼岸花
奈良の修験道の祖・役行者の誕生地、御所吉祥草寺を訪ねた後、青少年期に修業した金剛山・葛城山の山麓を歩いてきました。
当日は晴れ、彼岸花が満開に咲いている中の気持よいウォーキングになりました。
集合場所近鉄御所駅近くの葛城公園を出発して円照寺、吉祥草寺、熊野神社、鴨都波神社を経由して一言主神社まで歩きます。
近鉄御所駅
葛城公園
御所の街並みを歩きます。
円照寺(えんしょうじ)
浄土真宗大和五ヶ所御坊のひとつに数えられる。天文15年(1546)桑山源吾(釋笑雲)によって、常徳寺として建立されたが、後に、慶長15年3月、本山准如上人より懸所坊舎を命ぜられ円照寺と改称されたそうです。
吉祥草寺(きっしょうそうじ)
吉祥草寺は修験道の開祖、役行者が飛鳥時代の634年(舒明天皇6年)に生誕した寺として知られる。寺伝によれば、本山は舒明天皇の発願により創建され、その後、南北朝時代の1349年(貞和5年)高師直の兵火にかかり焼失した。本堂とそれとつながる祖師堂(行者堂)は応永年間(1394~1428年)に再建されている。この本堂は老朽化が進み、建て替えが計画され、取り壊されており、現在はその姿を見ることが出来ない。吉祥草寺最大の祭りは「大とんど(左義長)法要」で、1978年(昭和53年)国の無形民族文化財に指定。この祭りは、役行者が冤罪により伊豆に流され、701年(大宝元年)に無事帰還した折、茅原の里人がこれを喜び、大きな松明を焚いて祝ったのが始まりとされ、古い行事を今に伝えているそうです。
熊野神社(くまのじんじゃ)
茅原集落の吉祥寺東に接して鎮座する旧指定村社。祭神伊邪那美命・速玉男命・大事忍男命。境内に伝承役行者うぶ湯の井戸・おいかけ杉・腰掛石などがあり、役行者ゆかりの伝承地。もと吉祥草寺の鎮守として創始されたのでないかと考えられているそうです。
長閑な感じの道を西に向かって歩きます。
鴨都波神社(かもつばじんじゃ)
第10代崇神天皇の御代、大国主命第11世太田田根子の孫、大賀茂都美命に勅を奉りて葛城邑加茂の地に奉斎されたのが始めとされている。葛城加茂社、下津加茂社とも称され全国の加茂(鴨)社の根源である。宮中八神の一社にして鎮魂の祭礼に預かり給う延喜式内名神大社である。事代主神は元来「鴨族」が信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源である。大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大国主命の子に当たることから、「大神神社の別宮」とも称される。当社の古い社名は「鴨都味波八重事代主命(かもつみわやえことしろぬしのみこと)神社」であり、「鴨の水端(みづは)の神」と解され、当地が葛城川と柳田川の合流地点で水に恵まれていたことから、元々「水の神」を祀っていたものとする説もあるそうです。
道沿いの彼岸花を見ながら歩きます。
葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)
全国各地の一言主神を奉斎する神社の総本社。『古事記』や『日本書紀』によると、祭神の葛城之一言主大神は、第21代雄略天皇が葛城山で狩りをされた時に天皇と同じ姿で現れ、天皇が「お前は誰だ」と問いかけたところ、私は善事も悪事も一言で言い放つ神である」と申され、天皇はひれ伏し、一緒に狩りを楽しんだと伝えられています。地元の人からは「いちごんさん」と呼ばれ、親しまれているそうです。
ここで昼食休憩になりました。
昼食休憩の間に彼岸花を写しました。
休憩の後は九品寺、六地蔵、鴨山口神社を経由して近鉄御所駅まで歩きました。
長閑な感じの道を今度は北に向かって歩きます。
九品寺 (くほんじ)
聖武天皇によって行基が開基したお寺。本尊は木造阿弥陀如来坐像で重要文化財に指定されている。それと同時に、境内や本堂の裏山に数多くの石仏があることでも有名。戦火時に身変りとして作られたとも伝わっていますがその数1000体あまりと多いのも珍しいそうです。
道沿いの彼岸花を見ながら歩きます。
六地蔵の所を東に曲がります。
鴨山口神社(かもやまぐちじんじゃ)
神社の創立は不詳ですが、記録によりますと以前は当神社西北方俗称岸ノ山に鎮座なされておったのが天災起こり山岳崩れて今の此の地に奉られたと記されております。貞観元年(平安時代859年~877年)第五十七代清和天皇の御代に正五位を授けられており、その当時すでに神社が創立され奉られていた事が推察されます。御祭神の大山祇神は山の神とされています。これは葛城山の入り口に鎮座し当時の住民が重要な作物である稲作造りに必要な雨・風を神に願う気持ちが山の入口にそれを治める神として奉られたものと思われます。また、御相殿に配祀奉る大日霎貴命・御霊大神は、昭和24年2月文部省より国の重要文化財に指定を受けその造りは木造で姿は座像で大日霎貴命は衣冠を付けられて大きさは56cm。御霊大神の方は女神とされ大きさは50cm。造られた時代は藤原時代前期(西暦800年代)の作とされているそうです。
この後、近鉄御所駅まで歩きました。
前回及び前々回の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。
佐紀の里_西の京の道(奈良) [ウォーキング奈良県]
「佐紀の里_西の京の道」ウォークに参加してきました。(20150418)
平城宮跡
法華寺
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられたそうです。
東院庭園
1967年に平城旧跡の東端に発見された庭園の遺跡。復元されて1998年から一般公開。池とその周辺に建物が配置されたこの庭はなんとも優美で、奈良時代の天皇や貴族がここで儀式や宴会を行っていたそうです。
朱雀門まで歩きます。
朱雀門(すざくもん)
古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門であったそうです。
平城宮跡
平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
秋篠寺
奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたために秋篠寺と呼ばれているそうです。
西大寺
称徳天皇の勅願により、常騰を開基として天平神護元年(765)に創建。当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並び、東大寺と共に栄えていたが、承和13年(846)以後数多の火災にあい、創建当時の建物はほとんど焼失。戦国時代には再び火災で焼失。現在残っている本堂(重文)、愛染堂(重文)、四王堂(重文)などは江戸時代中期に建てられたものだそうです。
唐招提寺
聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立。鑑真は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺から解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の場を営むことになったそうです。
途中で見かけた歴史之道標
ご訪問していただきありがとうございました。
平城宮跡
法華寺
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられたそうです。
東院庭園
1967年に平城旧跡の東端に発見された庭園の遺跡。復元されて1998年から一般公開。池とその周辺に建物が配置されたこの庭はなんとも優美で、奈良時代の天皇や貴族がここで儀式や宴会を行っていたそうです。
朱雀門まで歩きます。
朱雀門(すざくもん)
古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門であったそうです。
平城宮跡
平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
秋篠寺
奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたために秋篠寺と呼ばれているそうです。
西大寺
称徳天皇の勅願により、常騰を開基として天平神護元年(765)に創建。当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並び、東大寺と共に栄えていたが、承和13年(846)以後数多の火災にあい、創建当時の建物はほとんど焼失。戦国時代には再び火災で焼失。現在残っている本堂(重文)、愛染堂(重文)、四王堂(重文)などは江戸時代中期に建てられたものだそうです。
唐招提寺
聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立。鑑真は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺から解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の場を営むことになったそうです。
途中で見かけた歴史之道標
ご訪問していただきありがとうございました。
斑鳩と竜田川ウォーク(奈良) [ウォーキング奈良県]
斑鳩と竜田川ウォークに参加してきました。(20150128)
法輪寺
当日は午後に少し小雪が降ってくる寒さでしたが、冬の斑鳩の有名な神社、寺などを見ながら田園風景を歩く楽しいウォーキングになりました。
内容はメインブログ「とんぼちゃんのウォークぶらぶら日記」に公開しました。
こちらです。
ご訪問していただきありがとうございました。
法輪寺
当日は午後に少し小雪が降ってくる寒さでしたが、冬の斑鳩の有名な神社、寺などを見ながら田園風景を歩く楽しいウォーキングになりました。
内容はメインブログ「とんぼちゃんのウォークぶらぶら日記」に公開しました。
こちらです。
ご訪問していただきありがとうございました。