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佐紀の里_西の京の道(奈良) [ウォーキング奈良県]

「佐紀の里_西の京の道」ウォークに参加してきました。(20150418)

平城宮跡
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法華寺
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられたそうです。
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東院庭園
1967年に平城旧跡の東端に発見された庭園の遺跡。復元されて1998年から一般公開。池とその周辺に建物が配置されたこの庭はなんとも優美で、奈良時代の天皇や貴族がここで儀式や宴会を行っていたそうです。
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朱雀門まで歩きます。
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朱雀門(すざくもん)
古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。宮城の12の門のうち最も重要な門であったそうです。
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平城宮跡
平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
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秋篠寺
奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたために秋篠寺と呼ばれているそうです。
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西大寺
称徳天皇の勅願により、常騰を開基として天平神護元年(765)に創建。当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並び、東大寺と共に栄えていたが、承和13年(846)以後数多の火災にあい、創建当時の建物はほとんど焼失。戦国時代には再び火災で焼失。現在残っている本堂(重文)、愛染堂(重文)、四王堂(重文)などは江戸時代中期に建てられたものだそうです。
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唐招提寺
聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立。鑑真は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺から解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の場を営むことになったそうです。
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途中で見かけた歴史之道標
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ご訪問していただきありがとうございました。




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