古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く(奈良市) [ウォーキング奈良市]
「古の雅と季節あふれる奈良公園を歩く」に参加してきました。(20190220)
東大寺
いにしえの奈良の街並みなどを歩いてきました。
当日は曇り、最高気温15.4℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所奈良駅を出発して、猿沢池、興福寺、東大寺、二月堂を経由して奈良公園まで歩きます。
奈良駅旧駅舎を通過します。
三条通りを東に向けて歩きます。
猿沢池に着きました。
猿沢池(さるさわいけ)
奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつになっているそうです。
少し休憩後、東大寺に向かいます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
五重塔の横を歩きます。
雰囲気のある街並みを歩きます。
東大寺に着きました。
東大寺(とうだいじ)
大仏さまで知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大級の木造建築物。天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏造立の詔を発令し、その大仏を安置する寺として天平勝宝3年(751)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって伽藍が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしまい、重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものだそうです。
鹿が可愛いかったです。
二月堂(にがつどう)
奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残しているそうです。
長い階段を上がります。
二月堂の上から見た眺めです。
奈良公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は春日大社、志賀直哉旧居、浮見堂を経由して奈良駅まで歩きました。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
志賀直哉旧居に向かいます。
志賀直哉旧居(しがなおやきゅうきょ)
志賀直哉が昭和4年から9年間住んだ旧居。「暗夜行路」はここで完結しました。近代的で、自然と平和と調和と静を愛した、文人直哉の人間性が偲ばれるそうです。
浮見堂(うきみどう)
奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせたそうです。
この後、奈良駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
東大寺
いにしえの奈良の街並みなどを歩いてきました。
当日は曇り、最高気温15.4℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所奈良駅を出発して、猿沢池、興福寺、東大寺、二月堂を経由して奈良公園まで歩きます。
奈良駅旧駅舎を通過します。
三条通りを東に向けて歩きます。
猿沢池に着きました。
猿沢池(さるさわいけ)
奈良公園にある周囲360メートルの池。興福寺五重塔が周囲の柳と一緒に水面に映る風景はとても美しく、奈良八景のひとつになっているそうです。
少し休憩後、東大寺に向かいます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
五重塔の横を歩きます。
雰囲気のある街並みを歩きます。
東大寺に着きました。
東大寺(とうだいじ)
大仏さまで知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大級の木造建築物。天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏造立の詔を発令し、その大仏を安置する寺として天平勝宝3年(751)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって伽藍が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしまい、重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものだそうです。
鹿が可愛いかったです。
二月堂(にがつどう)
奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残しているそうです。
長い階段を上がります。
二月堂の上から見た眺めです。
奈良公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は春日大社、志賀直哉旧居、浮見堂を経由して奈良駅まで歩きました。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
志賀直哉旧居に向かいます。
志賀直哉旧居(しがなおやきゅうきょ)
志賀直哉が昭和4年から9年間住んだ旧居。「暗夜行路」はここで完結しました。近代的で、自然と平和と調和と静を愛した、文人直哉の人間性が偲ばれるそうです。
浮見堂(うきみどう)
奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせたそうです。
この後、奈良駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
ならの仏閣&城跡巡り(奈良市) [ウォーキング奈良市]
「ならの仏閣&城跡巡り」に参加してきました。(20180822)
奈良駅の西側
奈良駅から郡山駅界隈の仏閣などを訪れてきました。
当日は晴れ、最高気温36.6℃。とても暑く、途中でコースが変更になりましたが、気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所奈良駅を出発して大安寺、八幡神社、奈良南部スポーツセンターを経由して九条公園まで歩きます。
奈良駅を出発します。
大安寺に着きました。
大安寺(だいあんじ)
奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺だったそうです。
八幡神社を通過します。
八幡神社(はちまんじんじゃ)
大安寺の旧境内に鎮座し、もと同寺の鎮守神として大安寺八幡宮と称された。また、山城国男山の石清水八幡宮の元宮であるとの伝承を持つ事から元石清水八幡宮と称し、或いは辰市(たつのいち)4箇郷の氏神とされたことから、郷社石清水八幡神社や辰市八幡宮等とも称されたそうです。
奈良南部スポーツセンターへ向う途中の景色です。
岩井川沿いを歩きます。
奈良南部スポーツセンターに着きました。
九条公園 に向かいます。
綺麗な青空でした。
九条公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、郡山駅まで歩きました。
郡山駅
気温が高いために予定されていた郡山城跡の訪問は中止になりました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
奈良駅の西側
奈良駅から郡山駅界隈の仏閣などを訪れてきました。
当日は晴れ、最高気温36.6℃。とても暑く、途中でコースが変更になりましたが、気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所奈良駅を出発して大安寺、八幡神社、奈良南部スポーツセンターを経由して九条公園まで歩きます。
奈良駅を出発します。
大安寺に着きました。
大安寺(だいあんじ)
奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺だったそうです。
八幡神社を通過します。
八幡神社(はちまんじんじゃ)
大安寺の旧境内に鎮座し、もと同寺の鎮守神として大安寺八幡宮と称された。また、山城国男山の石清水八幡宮の元宮であるとの伝承を持つ事から元石清水八幡宮と称し、或いは辰市(たつのいち)4箇郷の氏神とされたことから、郷社石清水八幡神社や辰市八幡宮等とも称されたそうです。
奈良南部スポーツセンターへ向う途中の景色です。
岩井川沿いを歩きます。
奈良南部スポーツセンターに着きました。
九条公園 に向かいます。
綺麗な青空でした。
九条公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、郡山駅まで歩きました。
郡山駅
気温が高いために予定されていた郡山城跡の訪問は中止になりました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
幹周り約8.85mの社頭大杉を観る(奈良市) [ウォーキング奈良市]
「幹周り約8.85mの社頭大杉を観る」に参加してきました。(20180703)
春日大社の社頭大杉
奈良市内の推定樹齢1700年のクスノキなど歴史的な樹木を見てきました。
当日は曇り、最高気温34.5℃。暑かったですが、気持ち良いウォーキングになりました。
今回、観てきた樹木
(◆は案内板の情報、その他はウォーキング地図の掲載情報)
浄教寺(ソテツ) ◆樹齢 250年、樹高 5.5m、幹周り 6.5m
慈眼寺(カキ) ◆樹齢 3-400年、樹高12.0m、幹周り 2.7m
奈良豆比古神社(クスノキ)◆樹齢1200年、樹高30.0m、幹周り 7.5m
東大寺(イヌマキ) 樹齢 400年、樹高11.0m、幹周り 2.6m
手向山八幡宮(オガタマノキ)樹齢 300年、樹高18.0m、幹周り 2.4m
水谷神社(イブキ) ◆樹齢不明、樹高12.5m、幹周り 6.55m
春日大社(大杉) 樹齢800~1000年、樹高24.0m、幹周り 8.85m
春日若宮(大クス) ◆樹齢1700年、樹高24.0m、幹周り 11.46m
春日若宮(イチイガシ)樹齢 300年、樹高18.0m、幹周り 4.85m
飛火野(クスノキ) ◆樹齢 100年、樹高23.5m、幹周り 4.83m
春日大社参道(ムクロジ)◆樹齢 300年、樹高15.5m、幹周り 4.58m
興福寺(ムクノキ) 樹齢不明、樹高24.6m、幹周り 6.54m
集合場所奈良駅を出発して浄教寺、慈眼寺、奈良豆比古神社を経由して東大寺まで歩きます。
集合場所の奈良駅
奈良駅を出発して、三条通りを歩きます。
暫く歩くと、浄教寺に着きました。
浄教寺(じょうきょうじ)
浄土真宗本願寺派 淨教寺は寛元二年(1244)、行延法師によって開基。行延法師は、河内国八尾の庄司真野行延(まの ゆきのぶ)といい、智勇兼備の武士であったが、浄土真宗、開祖親鸞聖人の直弟子となり、寛元二年三月出家して、法名を行延(ぎょうえん)と賜う。と淨教寺由緒略記に記されている。明治21年アーネスト・F・フェノロサ博士が淨教寺本堂で知事並びに市民への意義ある講演を行ったそうです。
浄教寺のソテツ、樹齢 250年、樹高 5.5m、幹周り 6.5mだそうです。
慈眼寺に向かいます。
慈眼寺(じげんじ)
厄除発祥の寺として有名。創建は聖武天皇の守り仏を安置したことがはじまり。市指定の文化財である天然記念物の柿の木がありました。
慈眼寺のカキ、樹齢 3-400年、樹高12.0m、幹周り 2.7mだそうです。
鴻池運動公園近くの広場で休憩になりました。
奈良豆比古神社に向かいます。
奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)
光仁天皇の父施基(志貴)親王などを祭る社。10月8日夜に行われる翁舞は町内の翁講中により奉納されるもので、国の重要無形民俗文化財(平成12年)に指定されているそうです。
奈良豆比古神社のクスノキ、樹齢1200年、樹高30.0m、幹周り 7.5mだそうです。
般若寺を通過します。
転害門を通過します。
東大寺が見えてきました。
綺麗な景色でした。
東大寺に着きました。
東大寺(とうだいじ)
大仏さまで知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大級の木造建築物。天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏造立の詔を発令し、その大仏を安置する寺として天平勝宝3年(751)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって伽藍が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしまい、重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものだそうです。
東大寺横の広場で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、東大寺、手向山神社、水谷神社、春日大社、春日若宮、飛火野、興福寺を経由して奈良駅まで歩きました。
東大寺鏡池傍のイヌマキ、樹齢 400年、樹高11.0m、幹周り 2.6mだそうです。
近くで鹿が食事をしていました。
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)
紅葉の名所、手向山の山麓にあり天平勝宝元年(749)東大寺大仏建立のため、九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ、まつられたそうです。
手向山八幡宮のオガタマノキ、樹齢 300年、樹高18.0m、幹周り 2.4mだそうです。
若草山の前を通過します。
水谷茶屋がありました。
かき氷が美味しそうでした。
水谷神社(みずやじんじゃ)
摂社で聖流水谷川に沿ってお祀りされており、上水谷・中水谷・下水谷の下社に相当し、素盞鳴命様・大巳貴命様・奇稲田姫様を御祭神としています。平安時代から幕末までの神仏習合時代は祇園精舎の守護神で医薬の神として尊崇され、「牛頭天王(ごずてんのう)」とされていました。例祭は4月5日で、通称「水谷神社鎮花祭」として親しまれています。古くより霊験あらたかな神様として名高く、病気平癒や子授けを祈る人が多いお社だそうです。
水谷神社のイブキ、樹齢は不明だそうです。
春日大社に着きました。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
春日大社の社頭(しゃとう)(社殿の前)の大杉
幹周り周囲8.85m、高さ25m、樹齢約800年~1000年。700年昔の『春日権現験記』には幼木の姿で描かれています。その根元から斜めに延びているのは、槙柏(伊吹ともいう)で、直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、特に樹木を大切にされる春日の神様の託宣(古社記)によるものだそうです。
春日若宮(かすがわかみや)
春日大社の摂社。春日若宮おん祭は1136年、若宮様に長年の大雨・飢饉・疫病の根絶を祈願して以来、現在まで万民安楽を祈る祭礼として途絶えることなく続けられているそうです。
春日若宮の大クス、樹齢は1700年、樹高24.0m、幹周り 11.46mだそうです。
春日若宮のイチイガシ、樹齢は300年、樹高23.5m、幹周り 4.83mだそうです。
飛火野のクスノキ、樹齢は100年、樹高23.5m、幹周り 4.83mだそうです。
春日大社参道のムクロジ、樹齢は300年、樹高15.5m、幹周り 4.58mだそうです。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
興福寺のムクノキ、樹齢は不明、樹高24.6m、幹周り 6.54mだそうです。
この後、奈良駅まで歩きました。
奈良市内の歴史的な樹木を見て気を一杯もらってきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
春日大社の社頭大杉
奈良市内の推定樹齢1700年のクスノキなど歴史的な樹木を見てきました。
当日は曇り、最高気温34.5℃。暑かったですが、気持ち良いウォーキングになりました。
今回、観てきた樹木
(◆は案内板の情報、その他はウォーキング地図の掲載情報)
浄教寺(ソテツ) ◆樹齢 250年、樹高 5.5m、幹周り 6.5m
慈眼寺(カキ) ◆樹齢 3-400年、樹高12.0m、幹周り 2.7m
奈良豆比古神社(クスノキ)◆樹齢1200年、樹高30.0m、幹周り 7.5m
東大寺(イヌマキ) 樹齢 400年、樹高11.0m、幹周り 2.6m
手向山八幡宮(オガタマノキ)樹齢 300年、樹高18.0m、幹周り 2.4m
水谷神社(イブキ) ◆樹齢不明、樹高12.5m、幹周り 6.55m
春日大社(大杉) 樹齢800~1000年、樹高24.0m、幹周り 8.85m
春日若宮(大クス) ◆樹齢1700年、樹高24.0m、幹周り 11.46m
春日若宮(イチイガシ)樹齢 300年、樹高18.0m、幹周り 4.85m
飛火野(クスノキ) ◆樹齢 100年、樹高23.5m、幹周り 4.83m
春日大社参道(ムクロジ)◆樹齢 300年、樹高15.5m、幹周り 4.58m
興福寺(ムクノキ) 樹齢不明、樹高24.6m、幹周り 6.54m
集合場所奈良駅を出発して浄教寺、慈眼寺、奈良豆比古神社を経由して東大寺まで歩きます。
集合場所の奈良駅
奈良駅を出発して、三条通りを歩きます。
暫く歩くと、浄教寺に着きました。
浄教寺(じょうきょうじ)
浄土真宗本願寺派 淨教寺は寛元二年(1244)、行延法師によって開基。行延法師は、河内国八尾の庄司真野行延(まの ゆきのぶ)といい、智勇兼備の武士であったが、浄土真宗、開祖親鸞聖人の直弟子となり、寛元二年三月出家して、法名を行延(ぎょうえん)と賜う。と淨教寺由緒略記に記されている。明治21年アーネスト・F・フェノロサ博士が淨教寺本堂で知事並びに市民への意義ある講演を行ったそうです。
浄教寺のソテツ、樹齢 250年、樹高 5.5m、幹周り 6.5mだそうです。
慈眼寺に向かいます。
慈眼寺(じげんじ)
厄除発祥の寺として有名。創建は聖武天皇の守り仏を安置したことがはじまり。市指定の文化財である天然記念物の柿の木がありました。
慈眼寺のカキ、樹齢 3-400年、樹高12.0m、幹周り 2.7mだそうです。
鴻池運動公園近くの広場で休憩になりました。
奈良豆比古神社に向かいます。
奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)
光仁天皇の父施基(志貴)親王などを祭る社。10月8日夜に行われる翁舞は町内の翁講中により奉納されるもので、国の重要無形民俗文化財(平成12年)に指定されているそうです。
奈良豆比古神社のクスノキ、樹齢1200年、樹高30.0m、幹周り 7.5mだそうです。
般若寺を通過します。
転害門を通過します。
東大寺が見えてきました。
綺麗な景色でした。
東大寺に着きました。
東大寺(とうだいじ)
大仏さまで知られる奈良時代の代表的な寺院で大仏殿は世界最大級の木造建築物。天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏造立の詔を発令し、その大仏を安置する寺として天平勝宝3年(751)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかかって伽藍が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしまい、重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものだそうです。
東大寺横の広場で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、東大寺、手向山神社、水谷神社、春日大社、春日若宮、飛火野、興福寺を経由して奈良駅まで歩きました。
東大寺鏡池傍のイヌマキ、樹齢 400年、樹高11.0m、幹周り 2.6mだそうです。
近くで鹿が食事をしていました。
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)
紅葉の名所、手向山の山麓にあり天平勝宝元年(749)東大寺大仏建立のため、九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ、まつられたそうです。
手向山八幡宮のオガタマノキ、樹齢 300年、樹高18.0m、幹周り 2.4mだそうです。
若草山の前を通過します。
水谷茶屋がありました。
かき氷が美味しそうでした。
水谷神社(みずやじんじゃ)
摂社で聖流水谷川に沿ってお祀りされており、上水谷・中水谷・下水谷の下社に相当し、素盞鳴命様・大巳貴命様・奇稲田姫様を御祭神としています。平安時代から幕末までの神仏習合時代は祇園精舎の守護神で医薬の神として尊崇され、「牛頭天王(ごずてんのう)」とされていました。例祭は4月5日で、通称「水谷神社鎮花祭」として親しまれています。古くより霊験あらたかな神様として名高く、病気平癒や子授けを祈る人が多いお社だそうです。
水谷神社のイブキ、樹齢は不明だそうです。
春日大社に着きました。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
春日大社の社頭(しゃとう)(社殿の前)の大杉
幹周り周囲8.85m、高さ25m、樹齢約800年~1000年。700年昔の『春日権現験記』には幼木の姿で描かれています。その根元から斜めに延びているのは、槙柏(伊吹ともいう)で、直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、特に樹木を大切にされる春日の神様の託宣(古社記)によるものだそうです。
春日若宮(かすがわかみや)
春日大社の摂社。春日若宮おん祭は1136年、若宮様に長年の大雨・飢饉・疫病の根絶を祈願して以来、現在まで万民安楽を祈る祭礼として途絶えることなく続けられているそうです。
春日若宮の大クス、樹齢は1700年、樹高24.0m、幹周り 11.46mだそうです。
春日若宮のイチイガシ、樹齢は300年、樹高23.5m、幹周り 4.83mだそうです。
飛火野のクスノキ、樹齢は100年、樹高23.5m、幹周り 4.83mだそうです。
春日大社参道のムクロジ、樹齢は300年、樹高15.5m、幹周り 4.58mだそうです。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
興福寺のムクノキ、樹齢は不明、樹高24.6m、幹周り 6.54mだそうです。
この後、奈良駅まで歩きました。
奈良市内の歴史的な樹木を見て気を一杯もらってきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
いにしえの都 奈良を訪ねて(奈良) [ウォーキング奈良市]
「いにしえの都 奈良を訪ねて」に参加してきました。(20170827)
春日大社
奈良の歴史的な街並みと滝坂の道(柳生街道)などを歩いてきました。
当日は晴れ、33℃。暑かったですが、滝坂の道など気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 奈良駅を出発して興福寺、春日大社、若宮神社、東海自然歩道滝坂の道(柳生街道)、寝仏、夕日観音、朝日観音を経由して首切地蔵まで歩きます。
集合場所のJR 奈良駅です。
奈良駅を出発します。
建物はJR奈良駅旧駅舎、現在は奈良市総合観光案内所になっています。
三条通りを興福寺、春日大社に向かいます。
興福寺の南側を歩きます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
かわいいですね。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩した後、滝坂の道(柳生街道)を歩きます。
滝坂の道(柳生街道)(たきさかのみち(やぎゅうかいどう))
谷川沿いの道を滝坂の道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行によって敷かれた道は昭和の初めまで、柳生方面から奈良へ牛馬で米や薪炭などを、帰りは日用品を運んでいたそうです。
寝仏(ねぼとけ)
岩の裏側に大日如来像。上方の大きな岩に彫られた四方仏の一部が転がり落ち、仏様が寝ころんだ状態になっているのがその名の由来。室町前期のものと推定されているそうです。
夕日観音(ゆうひかんのん)
鎌倉時代に彫られて、人の背丈ほどもある西向きの仏様。夕日が当たるから「夕日観音」と呼ばれていますが、観音様でなく如来様。なお、石畳の道からそれて左側の崖を登って行くと、まず3体の地蔵菩薩像が彫られていて、そのすぐ上にも東向きに1体の石仏が彫られ、また、更に崖を西側へ廻り、直ぐ反対向きに上がると「夕日観音」だそうです。
夕日観音様は良くわかりませんでした。写真は3体の地蔵菩薩像と思います。
この後、朝日観音、首切地蔵に向かいます。
朝日観音(あさひかんのん)
観音様でなく、中央が弥勒菩薩、左右が地蔵菩薩の3体石仏。鎌倉時代の中期に彫られ、文永2年(1265年)の銘があって、鎌倉時代の石彫を代表する石仏で、この下の「夕日観音」を彫った作者と同一人物の作と思われています。早朝、東に聳える高円山(たかまどやま、標高462.9m、大文字で知られている山)の頂きからさしのぼる朝日に真っ先に照らされるので「朝日観音」と名付られているそうです。
首切地蔵(くびきりじぞう)
荒木又右右衛門がためし斬りしたと伝えられる首切り地蔵です。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われるそうです。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、春日山遊歩道、妙見宮、若宮神社、志賀直哉旧宅を経由して奈良駅まで歩きました。
春日山遊歩道を奈良駅に向かいます。
妙見宮(みょうけんぐう)
今回は春日山遊歩道の入り口に出てきました。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩になりました。午前中に休憩した場所と同じところです。
志賀直哉旧宅(しがなおやきゅうたく)
白樺派の文豪「志賀直哉」が昭和4年から9年間住んだ旧居(敷地435坪、建物134坪)。現在は奈良文化女子大学のセミナーハウスになっています。志賀直哉自身が設計したとされるこの旧居は和風、洋風、中国風の様式を取り入れ当時としては、大変進歩的で合理的なものであったようです。
この後、JR 奈良駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
春日大社
奈良の歴史的な街並みと滝坂の道(柳生街道)などを歩いてきました。
当日は晴れ、33℃。暑かったですが、滝坂の道など気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 奈良駅を出発して興福寺、春日大社、若宮神社、東海自然歩道滝坂の道(柳生街道)、寝仏、夕日観音、朝日観音を経由して首切地蔵まで歩きます。
集合場所のJR 奈良駅です。
奈良駅を出発します。
建物はJR奈良駅旧駅舎、現在は奈良市総合観光案内所になっています。
三条通りを興福寺、春日大社に向かいます。
興福寺の南側を歩きます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
春日大社(かすがたいしゃ)
全国に約1000社ある春日神社の総本社。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界文化遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されているそうです。
かわいいですね。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩した後、滝坂の道(柳生街道)を歩きます。
滝坂の道(柳生街道)(たきさかのみち(やぎゅうかいどう))
谷川沿いの道を滝坂の道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行によって敷かれた道は昭和の初めまで、柳生方面から奈良へ牛馬で米や薪炭などを、帰りは日用品を運んでいたそうです。
寝仏(ねぼとけ)
岩の裏側に大日如来像。上方の大きな岩に彫られた四方仏の一部が転がり落ち、仏様が寝ころんだ状態になっているのがその名の由来。室町前期のものと推定されているそうです。
夕日観音(ゆうひかんのん)
鎌倉時代に彫られて、人の背丈ほどもある西向きの仏様。夕日が当たるから「夕日観音」と呼ばれていますが、観音様でなく如来様。なお、石畳の道からそれて左側の崖を登って行くと、まず3体の地蔵菩薩像が彫られていて、そのすぐ上にも東向きに1体の石仏が彫られ、また、更に崖を西側へ廻り、直ぐ反対向きに上がると「夕日観音」だそうです。
夕日観音様は良くわかりませんでした。写真は3体の地蔵菩薩像と思います。
この後、朝日観音、首切地蔵に向かいます。
朝日観音(あさひかんのん)
観音様でなく、中央が弥勒菩薩、左右が地蔵菩薩の3体石仏。鎌倉時代の中期に彫られ、文永2年(1265年)の銘があって、鎌倉時代の石彫を代表する石仏で、この下の「夕日観音」を彫った作者と同一人物の作と思われています。早朝、東に聳える高円山(たかまどやま、標高462.9m、大文字で知られている山)の頂きからさしのぼる朝日に真っ先に照らされるので「朝日観音」と名付られているそうです。
首切地蔵(くびきりじぞう)
荒木又右右衛門がためし斬りしたと伝えられる首切り地蔵です。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われるそうです。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、春日山遊歩道、妙見宮、若宮神社、志賀直哉旧宅を経由して奈良駅まで歩きました。
春日山遊歩道を奈良駅に向かいます。
妙見宮(みょうけんぐう)
今回は春日山遊歩道の入り口に出てきました。
若宮神社(わかみやじんじゃ)の南側で休憩になりました。午前中に休憩した場所と同じところです。
志賀直哉旧宅(しがなおやきゅうたく)
白樺派の文豪「志賀直哉」が昭和4年から9年間住んだ旧居(敷地435坪、建物134坪)。現在は奈良文化女子大学のセミナーハウスになっています。志賀直哉自身が設計したとされるこの旧居は和風、洋風、中国風の様式を取り入れ当時としては、大変進歩的で合理的なものであったようです。
この後、JR 奈良駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
奈良_木陰散策ウォーク(奈良) [ウォーキング奈良市]
「奈良_木陰散策ウォーク」に参加してきました。(20170715)
東大寺
奈良の歴史的な街並みの中の木陰を散策してきました。
当日は晴れ、34.6℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 奈良駅を出発して依水園、東大寺、旧奈良少年刑務所、般若寺を経由して奈良豆比古神社まで歩きます。
JR 奈良駅を出発します。
旧JR奈良駅舎
2009年7月25日に「奈良市総合観光案内所」として生まれ変わったそうです。
奈良県庁前を通ります。
道路の向かいには鹿と観光客
依水園の前を歩きます。
依水園(いすいえん)
江戸時代に造られた前園と明治時代に造られた後園。その2つの庭を水の流れでつないでいます。特に後園は、東大寺南大門と若草山・春日山・御蓋山を取り入れた借景庭園。明治らしい特色のよく表現されたすぐれた庭園として国の名勝に指定されているそうです。
近くには写真家入江泰吉旧居がありました。
東大寺に着きました。少し休憩になりました。
東大寺(とうだいじ)
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺。「奈良の大仏」として知られています。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されているそうです。
入り口が工事のために正面に移動していました。
東大寺から般若時を経由して奈良豆比古神社に向かいます。
旧奈良少年刑務所(きゅうならしょうねんけいむしょ)
奈良少年刑務所は1908年(明治41年)、「奈良監獄」として完成。明治政府が造った「五大監獄」(千葉、金沢、奈良、諫早、鹿児島)で唯一現存。山下啓次郎設計。2017年2月、国の重要文化財に指定。平成28年度末廃庁になった。2020年にホテルとして開業を目指す。刑務所だった施設がホテルへ転用されるのは、日本では初めてだそうです。
般若寺(はんにゃじ)
般若寺は、奈良市北部・奈良坂(奈良きたまち)に位置する真言律宗の寺院。山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺としても有名だそうです。
奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)
光仁天皇の父施基(志貴)親王などを祭る社。10月8日夜に行われる翁舞は町内の翁講中により奉納されるもので、国の重要無形民俗文化財(平成12年)に指定されているそうです。
樟の巨樹
本殿裏手には樹齢千年を超える天然記念物「樟(くすのき)」の巨木があり、想像以上の大きさと巨樹が持つ威厳に圧倒されました。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、 黒髪山稲荷神社、コナベ古墳、平城宮跡大極殿を経由して近鉄大和西大寺駅まで歩きました。
黒髪山稲荷神社(くろかみやまいなりじんじゃ)
朱色の鳥居と鎮守の杜がひっそりたたずんでいました。
奈良自転車道を歩きます。
半夏生が色づいていました。
コナベ古墳の横を歩きます。
コナベ古墳(こなべこふん)
コナベ古墳は、奈良県奈良市法華寺町にある古墳。形状は前方後円墳。佐紀盾列古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「小奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第16代仁徳天皇皇后磐之媛命)として陵墓参考地に治定されているそうです。
平城宮跡に着きました。
平城京(へいじょうきょう)
今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
大極殿(だいごくでん)
少し休憩後、近鉄 大和西大寺駅まで歩きました。
前回記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせて見て頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。
東大寺
奈良の歴史的な街並みの中の木陰を散策してきました。
当日は晴れ、34.6℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。
集合場所JR 奈良駅を出発して依水園、東大寺、旧奈良少年刑務所、般若寺を経由して奈良豆比古神社まで歩きます。
JR 奈良駅を出発します。
旧JR奈良駅舎
2009年7月25日に「奈良市総合観光案内所」として生まれ変わったそうです。
奈良県庁前を通ります。
道路の向かいには鹿と観光客
依水園の前を歩きます。
依水園(いすいえん)
江戸時代に造られた前園と明治時代に造られた後園。その2つの庭を水の流れでつないでいます。特に後園は、東大寺南大門と若草山・春日山・御蓋山を取り入れた借景庭園。明治らしい特色のよく表現されたすぐれた庭園として国の名勝に指定されているそうです。
近くには写真家入江泰吉旧居がありました。
東大寺に着きました。少し休憩になりました。
東大寺(とうだいじ)
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺。「奈良の大仏」として知られています。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されているそうです。
入り口が工事のために正面に移動していました。
東大寺から般若時を経由して奈良豆比古神社に向かいます。
旧奈良少年刑務所(きゅうならしょうねんけいむしょ)
奈良少年刑務所は1908年(明治41年)、「奈良監獄」として完成。明治政府が造った「五大監獄」(千葉、金沢、奈良、諫早、鹿児島)で唯一現存。山下啓次郎設計。2017年2月、国の重要文化財に指定。平成28年度末廃庁になった。2020年にホテルとして開業を目指す。刑務所だった施設がホテルへ転用されるのは、日本では初めてだそうです。
般若寺(はんにゃじ)
般若寺は、奈良市北部・奈良坂(奈良きたまち)に位置する真言律宗の寺院。山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺としても有名だそうです。
奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)
光仁天皇の父施基(志貴)親王などを祭る社。10月8日夜に行われる翁舞は町内の翁講中により奉納されるもので、国の重要無形民俗文化財(平成12年)に指定されているそうです。
樟の巨樹
本殿裏手には樹齢千年を超える天然記念物「樟(くすのき)」の巨木があり、想像以上の大きさと巨樹が持つ威厳に圧倒されました。
ここで、昼食休憩になりました。
昼食休憩後、 黒髪山稲荷神社、コナベ古墳、平城宮跡大極殿を経由して近鉄大和西大寺駅まで歩きました。
黒髪山稲荷神社(くろかみやまいなりじんじゃ)
朱色の鳥居と鎮守の杜がひっそりたたずんでいました。
奈良自転車道を歩きます。
半夏生が色づいていました。
コナベ古墳の横を歩きます。
コナベ古墳(こなべこふん)
コナベ古墳は、奈良県奈良市法華寺町にある古墳。形状は前方後円墳。佐紀盾列古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「小奈辺陵墓参考地」(被葬候補者:第16代仁徳天皇皇后磐之媛命)として陵墓参考地に治定されているそうです。
平城宮跡に着きました。
平城京(へいじょうきょう)
今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
大極殿(だいごくでん)
少し休憩後、近鉄 大和西大寺駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。
秋色の奈良史跡ウォーク(奈良) [ウォーキング奈良市]
「秋色の奈良史跡ウォーク」に参加してきました。(20161019)
JR奈良駅旧駅舎
奈良公園から佐保路・佐紀路へと秋風に吹かれながら歩いてきました。
また、平成28年度末で廃庁(閉鎖)される奈良少年刑務所の前を歩きました。
当日は晴れたり曇ったり、気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所JR奈良駅を出発して興福寺、依水園、東大寺、正倉院、転害門、奈良少年刑務所、般若寺を経由して鴻ノ池運動公園まで歩きます。
奈良駅を出発し、旧駅舎の前を歩きます。旧駅舎は冒頭の写真。駅舎の一部にスターバックスがオープン(2016年6月30日)したそうです。
三条通りを歩きます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
興福寺からは奈良の町中を依水園に向かいます。
依水園(いすいえん)
江戸時代に造られた前園と明治時代に造られた後園。その2つの庭を水の流れでつないでいます。特に後園は、東大寺南大門と若草山・春日山・御蓋山を取り入れた借景庭園。明治らしい特色のよく表現されたすぐれた庭園として国の名勝に指定されているそうです。
入江泰吉の生前の住まい「入江泰吉旧居」の前を歩きます。
東大寺の近くの階段を登る人
東大寺(とうだいじ)
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺。「奈良の大仏」として知られています。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されているそうです。
東大寺近くで見かけた鹿。見事な角でした。
正倉院近くの池
転害門(てんがいもん)
3間1戸,切妻造,本瓦葺,東大寺創建当初の建築で,鎌倉時代に修理されているが,天平のころの東大寺の偉観を偲ばせる雄大な八脚門。現在は柵がめぐらされ,通行禁止。横を通ります。
奈良少年刑務所(ならしょうねんけいむしょ)
法務省矯正局の大阪矯正管区に属する刑務所。全国7箇所の少年刑務所の一つ。山下啓次郎設計。平成28年度末での廃庁(閉鎖)が決まったが、建物は保存・活用される方向だそうです。
般若寺(はんにゃじ)
般若寺は、奈良市北部・奈良坂(奈良きたまち)に位置する真言律宗の寺院。山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺としても有名だそうです。
鴻ノ池運動公園(こうのいけうんどうこうえん)
ここで昼食休憩になりました。
休憩後は狭岡神社、法華寺、宇奈多理座高御魂神社を経由してJR奈良駅まで歩きました。
興福院(こんぶいん)
奈良で美しい尼寺の一つ。奈良時代(8世紀中頃)の創建だそうです。
葉が少し色づいていました。
狭岡神社(さおかじんじゃ)
霊亀2年(715年)藤原不比等が自分の邸宅「佐保殿」の丘に、天神八座を祀ったことに始まったと伝わる。菅原天神の隠居ともいわれていたそうです。
この辺りから眺める若草山などが綺麗でした。
法華寺(ほっけじ)
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられたそうです。
宇奈多理座高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)
延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。古文書では、宇奈足とも菟名足とも菟足とも書いている。武内宿祢の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇六年(692)二月には新羅の調を伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の五社に奉るとある。その一社で、この神社の神戸は正倉院文書の天平二年(730年)大和税帳新抄格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている。江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、いま「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言っているのは近郷だけでの通称の略称である。本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社、流造、桧皮葺で国指定の重要文化財である。境内の一帯は、平城天皇の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もあるそうです。
読み方を何度見ても読めませんでした。
東院庭園(とういんていえん)
1967年に平城旧跡の東端に発見された庭園の遺跡。平成29年3月31日まで西建物屋根の改修工事を行っていて、工事期間中は西建物内には入れないが庭園は通常どおり公開しているそうです。
この後、奈良駅まで歩きました。
JR奈良駅
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ご訪問していただきありがとうございました。
JR奈良駅旧駅舎
奈良公園から佐保路・佐紀路へと秋風に吹かれながら歩いてきました。
また、平成28年度末で廃庁(閉鎖)される奈良少年刑務所の前を歩きました。
当日は晴れたり曇ったり、気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所JR奈良駅を出発して興福寺、依水園、東大寺、正倉院、転害門、奈良少年刑務所、般若寺を経由して鴻ノ池運動公園まで歩きます。
奈良駅を出発し、旧駅舎の前を歩きます。旧駅舎は冒頭の写真。駅舎の一部にスターバックスがオープン(2016年6月30日)したそうです。
三条通りを歩きます。
興福寺(こうふくじ)
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院。南都七大寺の一つ。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されているそうです。
興福寺からは奈良の町中を依水園に向かいます。
依水園(いすいえん)
江戸時代に造られた前園と明治時代に造られた後園。その2つの庭を水の流れでつないでいます。特に後園は、東大寺南大門と若草山・春日山・御蓋山を取り入れた借景庭園。明治らしい特色のよく表現されたすぐれた庭園として国の名勝に指定されているそうです。
入江泰吉の生前の住まい「入江泰吉旧居」の前を歩きます。
東大寺の近くの階段を登る人
東大寺(とうだいじ)
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺。「奈良の大仏」として知られています。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されているそうです。
東大寺近くで見かけた鹿。見事な角でした。
正倉院近くの池
転害門(てんがいもん)
3間1戸,切妻造,本瓦葺,東大寺創建当初の建築で,鎌倉時代に修理されているが,天平のころの東大寺の偉観を偲ばせる雄大な八脚門。現在は柵がめぐらされ,通行禁止。横を通ります。
奈良少年刑務所(ならしょうねんけいむしょ)
法務省矯正局の大阪矯正管区に属する刑務所。全国7箇所の少年刑務所の一つ。山下啓次郎設計。平成28年度末での廃庁(閉鎖)が決まったが、建物は保存・活用される方向だそうです。
般若寺(はんにゃじ)
般若寺は、奈良市北部・奈良坂(奈良きたまち)に位置する真言律宗の寺院。山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺としても有名だそうです。
鴻ノ池運動公園(こうのいけうんどうこうえん)
ここで昼食休憩になりました。
休憩後は狭岡神社、法華寺、宇奈多理座高御魂神社を経由してJR奈良駅まで歩きました。
興福院(こんぶいん)
奈良で美しい尼寺の一つ。奈良時代(8世紀中頃)の創建だそうです。
葉が少し色づいていました。
狭岡神社(さおかじんじゃ)
霊亀2年(715年)藤原不比等が自分の邸宅「佐保殿」の丘に、天神八座を祀ったことに始まったと伝わる。菅原天神の隠居ともいわれていたそうです。
この辺りから眺める若草山などが綺麗でした。
法華寺(ほっけじ)
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられたそうです。
宇奈多理座高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)
延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。古文書では、宇奈足とも菟名足とも菟足とも書いている。武内宿祢の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇六年(692)二月には新羅の調を伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の五社に奉るとある。その一社で、この神社の神戸は正倉院文書の天平二年(730年)大和税帳新抄格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている。江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、いま「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言っているのは近郷だけでの通称の略称である。本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社、流造、桧皮葺で国指定の重要文化財である。境内の一帯は、平城天皇の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もあるそうです。
読み方を何度見ても読めませんでした。
東院庭園(とういんていえん)
1967年に平城旧跡の東端に発見された庭園の遺跡。平成29年3月31日まで西建物屋根の改修工事を行っていて、工事期間中は西建物内には入れないが庭園は通常どおり公開しているそうです。
この後、奈良駅まで歩きました。
JR奈良駅
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幻の大仏鉄道跡めぐり(奈良) [ウォーキング奈良市]
「幻の大仏鉄道跡めぐり」に参加してきました。(20161006)
遺跡巡りの道と枕木
かって奈良と加茂を結んだ路線の愛称「大仏鉄道」。わずか9年で廃線になったが、今も隊道や橋台が残されているところを巡ってきました。
当日は晴れ、奈良市街、隊道や橋台、田園風景を巡る楽しいウォーキングでした。
大仏鉄道(だいぶつてつどう)
大仏鉄道(正式名、関西鉄道大仏線)は名古屋と大阪をつなぐ線路の一つとして京都の「加茂駅」から現在の奈良駅北1.1㎞の所に作った「大仏駅」を結ぶ8.8㎞と翌年開通した奈良駅までの鉄道の通称。「大仏駅」の開業は明治31年4月19日。「加茂駅~大仏駅」は明治40年8月まで運行、僅か9年間で廃線となったそうです。
集合場所JR奈良駅を出発して大仏鉄道記念公園、鴻ノ池運動公園、鹿川隊道を経由して梅美台公園まで歩きます。
JR奈良駅を出発します。
奈良市総合観光案内(ならしそうごうかんこうあんない)
JR奈良駅すぐ近くにある奈良市総合観光案内所、以前のJR奈良駅。2015年12月1日リニューアルOpenしたそうです。
奈良市街を歩きます。
大仏鉄道記念公園(だいぶつてつどうきねんこうえん)
大仏鉄道の「大仏駅」の南端が、現在の大仏記念公園。平成4年4月に公園が設置され面影を残しているそうです。
鴻ノ池運動公園(こうのいけうんどうこうえん)
大仏鉄道遺構めぐりの案内が各所に設置されていました。
大仏鉄道遺構めぐりを歩きます。
鹿川隊道(しかがわたいどう)
農業用水路の目的で造られた隧道で、今も水路として使われています。細いトンネルですが、石組みでできているそうです。鹿川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
鹿川隊道の近くにコスモスが咲いていました。
松谷川隧道(まつたにがわたいどう)
交差点下の畑地へ下ると松谷川トンネルの遺構が残っています。松谷川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
梅美台公園
梅美台公園で昼食休憩になりました。
休憩後は城山台公園、赤橋、梶ケ谷隊道、鹿背山橋台、観音寺橋台を経由してJR加茂駅まで歩きました。
大仏鉄道遺構めぐりを歩きます。
赤橋(あかはし)
御影石と煉瓦を組み合わせて造られています。長短の赤煉瓦を交互に積むイギリス式。大仏鉄道の遺構の中でも最も代表的なもので、今も現役で上を車道が通っているそうです。
大仏鉄道遺構めぐりの道の途中には枕木が残されていました。
梶ケ谷隊道(かじがやたいどう)
大仏線築堤を造る際、農道や水路を通すために築堤下部に設けられた隧道です。壁は煉瓦、側壁は御影石と豪華な作りです。アーチ部分の煉瓦は長手積み坑門はイギリス積みで当時の技術の高さが良く分かります。保存状態は極めて良く、大仏鉄道の代表的遺構の一つだそうです。
観音寺小橋台
JR線路が低くなっています。すぐ横をJR大和路線が走り危険なため今は柵が設けられていました。
観音寺橋台
大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの観音寺橋台(手前の高い方)と併走して現在もJR大和路線が走っています。大仏線の工事とほぼ同時期に木津(片町方面)へと結ぶ線路が並行して進められていたそうです。
のどかな田園風景を歩きます。
このあと、JR加茂駅まで歩きました。
C57機関車
昭和47年に大仏線の軌道跡を通り、この場所に移動されてきました。その姿から「走る貴婦人」と呼ばれているそうです。
加茂駅近くに展示されていましいた。
JR加茂駅
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遺跡巡りの道と枕木
かって奈良と加茂を結んだ路線の愛称「大仏鉄道」。わずか9年で廃線になったが、今も隊道や橋台が残されているところを巡ってきました。
当日は晴れ、奈良市街、隊道や橋台、田園風景を巡る楽しいウォーキングでした。
大仏鉄道(だいぶつてつどう)
大仏鉄道(正式名、関西鉄道大仏線)は名古屋と大阪をつなぐ線路の一つとして京都の「加茂駅」から現在の奈良駅北1.1㎞の所に作った「大仏駅」を結ぶ8.8㎞と翌年開通した奈良駅までの鉄道の通称。「大仏駅」の開業は明治31年4月19日。「加茂駅~大仏駅」は明治40年8月まで運行、僅か9年間で廃線となったそうです。
集合場所JR奈良駅を出発して大仏鉄道記念公園、鴻ノ池運動公園、鹿川隊道を経由して梅美台公園まで歩きます。
JR奈良駅を出発します。
奈良市総合観光案内(ならしそうごうかんこうあんない)
JR奈良駅すぐ近くにある奈良市総合観光案内所、以前のJR奈良駅。2015年12月1日リニューアルOpenしたそうです。
奈良市街を歩きます。
大仏鉄道記念公園(だいぶつてつどうきねんこうえん)
大仏鉄道の「大仏駅」の南端が、現在の大仏記念公園。平成4年4月に公園が設置され面影を残しているそうです。
鴻ノ池運動公園(こうのいけうんどうこうえん)
大仏鉄道遺構めぐりの案内が各所に設置されていました。
大仏鉄道遺構めぐりを歩きます。
鹿川隊道(しかがわたいどう)
農業用水路の目的で造られた隧道で、今も水路として使われています。細いトンネルですが、石組みでできているそうです。鹿川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
鹿川隊道の近くにコスモスが咲いていました。
松谷川隧道(まつたにがわたいどう)
交差点下の畑地へ下ると松谷川トンネルの遺構が残っています。松谷川トンネルの上が軌道跡で現在は市道44号線が走っています。
梅美台公園
梅美台公園で昼食休憩になりました。
休憩後は城山台公園、赤橋、梶ケ谷隊道、鹿背山橋台、観音寺橋台を経由してJR加茂駅まで歩きました。
大仏鉄道遺構めぐりを歩きます。
赤橋(あかはし)
御影石と煉瓦を組み合わせて造られています。長短の赤煉瓦を交互に積むイギリス式。大仏鉄道の遺構の中でも最も代表的なもので、今も現役で上を車道が通っているそうです。
大仏鉄道遺構めぐりの道の途中には枕木が残されていました。
梶ケ谷隊道(かじがやたいどう)
大仏線築堤を造る際、農道や水路を通すために築堤下部に設けられた隧道です。壁は煉瓦、側壁は御影石と豪華な作りです。アーチ部分の煉瓦は長手積み坑門はイギリス積みで当時の技術の高さが良く分かります。保存状態は極めて良く、大仏鉄道の代表的遺構の一つだそうです。
観音寺小橋台
JR線路が低くなっています。すぐ横をJR大和路線が走り危険なため今は柵が設けられていました。
観音寺橋台
大仏鉄道の急な高低差を緩和するために作られた石造りの観音寺橋台(手前の高い方)と併走して現在もJR大和路線が走っています。大仏線の工事とほぼ同時期に木津(片町方面)へと結ぶ線路が並行して進められていたそうです。
のどかな田園風景を歩きます。
このあと、JR加茂駅まで歩きました。
C57機関車
昭和47年に大仏線の軌道跡を通り、この場所に移動されてきました。その姿から「走る貴婦人」と呼ばれているそうです。
加茂駅近くに展示されていましいた。
JR加茂駅
前回の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。
奈良歴史の道ウォーク(奈良) [ウォーキング奈良市]
奈良歴史の道ウォークに参加してきました。(20160313)
狭岡神社近くからみた若草山方面
古都奈良の歴史の道を歩いて平城宮跡、古墳、天皇陵などを巡ってきました。
当日は晴れのち曇り、気持ちの良いウォーキングになりました。今回、久しぶりに23kmを歩きました。
集合場所のJR奈良駅を出発して、三条通り、猿沢の池、東大寺を経由して鴻池運動公園まで歩きます。
集合場所のJR奈良駅です。
奈良の有名な三条通りを東に向かって歩きます。
猿沢の池
東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺。「奈良の大仏」として知られています。1998年に古都奈良の文化財の一部としてユネスコより世界遺産に登録されているそうです。
鴻池運動公園
鴻池運動公園で休憩したあと、狭岡神社、平城宮跡まで歩きます。
狭岡神社
霊亀2年(715年)藤原不比等が自分の邸宅「佐保殿」の丘に、天神八座を祀ったことに始まったと伝わる。菅原天神の隠居ともいわれていたそうです。
平城宮跡
平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
平城宮跡で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は佐紀神社、大和西大寺駅、菅原神社、薬師寺、昔のくらし館を経由してゴールの奈良駅まで歩きました。
佐紀神社
祭神は天児屋根命・経津主命・六御県命の三座。由緒は不詳。「平城旧社考」によると、亀畑の佐紀神社を分祀したものといわれているそうです。
菅原神社(菅原天満宮)
菅原家発祥の地にあり、祖神天穂日命(あめのほひのみこと)野見宿禰(のみのすくね)と、菅原道真公を祀る日本最古の天満宮。神社東に「天神堀」の遺跡があり、道真公御誕生の折にこの堀の水を使ったとの伝承があり、道真公の御生誕地とされるそうです。
薬師寺までの歴史の道の一部
薬師寺
680年、天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ)(のちの持統天皇)の病気平癒のため発願され、創建された法相宗の大本山。創建当時は藤原京に建てられたが、718年に平城遷都に伴い現在の場所に移転。造営は808年頃まで続いた。しかし、数度の災害と1528年の兵火により、当時の建造物は東塔のみが現存。金堂は1976年に、西塔は1981年に、中門は1984年に、回廊は1991年に一部がそれぞれ有縁の人々のお写経勧進によって復興されているそうです。工事中でした。
昔のくらし館
右側の白壁の建物が「昔のくらし館」。社会生活の変化にともない失われつつある民俗資料(生活文化資料)を展示しているそうです。左側が旧田中家住宅 (奈良市指定文化財)。江戸時代の民家で、法蓮町にあったものを現在地に移築して公開しているそうです。
ゴールの奈良駅までの途中の佐保川沿いの道
東大寺の前の鹿。可愛いですね。
歴史の道の道標
新しい信号でしょうか、ゴール奈良駅に向かう途中で見ました。
ご訪問していただきありがとうございました。
狭岡神社近くからみた若草山方面
古都奈良の歴史の道を歩いて平城宮跡、古墳、天皇陵などを巡ってきました。
当日は晴れのち曇り、気持ちの良いウォーキングになりました。今回、久しぶりに23kmを歩きました。
集合場所のJR奈良駅を出発して、三条通り、猿沢の池、東大寺を経由して鴻池運動公園まで歩きます。
集合場所のJR奈良駅です。
奈良の有名な三条通りを東に向かって歩きます。
猿沢の池
東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が建立した寺。「奈良の大仏」として知られています。1998年に古都奈良の文化財の一部としてユネスコより世界遺産に登録されているそうです。
鴻池運動公園
鴻池運動公園で休憩したあと、狭岡神社、平城宮跡まで歩きます。
狭岡神社
霊亀2年(715年)藤原不比等が自分の邸宅「佐保殿」の丘に、天神八座を祀ったことに始まったと伝わる。菅原天神の隠居ともいわれていたそうです。
平城宮跡
平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
平城宮跡で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は佐紀神社、大和西大寺駅、菅原神社、薬師寺、昔のくらし館を経由してゴールの奈良駅まで歩きました。
佐紀神社
祭神は天児屋根命・経津主命・六御県命の三座。由緒は不詳。「平城旧社考」によると、亀畑の佐紀神社を分祀したものといわれているそうです。
菅原神社(菅原天満宮)
菅原家発祥の地にあり、祖神天穂日命(あめのほひのみこと)野見宿禰(のみのすくね)と、菅原道真公を祀る日本最古の天満宮。神社東に「天神堀」の遺跡があり、道真公御誕生の折にこの堀の水を使ったとの伝承があり、道真公の御生誕地とされるそうです。
薬師寺までの歴史の道の一部
薬師寺
680年、天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ)(のちの持統天皇)の病気平癒のため発願され、創建された法相宗の大本山。創建当時は藤原京に建てられたが、718年に平城遷都に伴い現在の場所に移転。造営は808年頃まで続いた。しかし、数度の災害と1528年の兵火により、当時の建造物は東塔のみが現存。金堂は1976年に、西塔は1981年に、中門は1984年に、回廊は1991年に一部がそれぞれ有縁の人々のお写経勧進によって復興されているそうです。工事中でした。
昔のくらし館
右側の白壁の建物が「昔のくらし館」。社会生活の変化にともない失われつつある民俗資料(生活文化資料)を展示しているそうです。左側が旧田中家住宅 (奈良市指定文化財)。江戸時代の民家で、法蓮町にあったものを現在地に移築して公開しているそうです。
ゴールの奈良駅までの途中の佐保川沿いの道
東大寺の前の鹿。可愛いですね。
歴史の道の道標
新しい信号でしょうか、ゴール奈良駅に向かう途中で見ました。
ご訪問していただきありがとうございました。
行基さん終焉の地を訪ねて(奈良) [ウォーキング奈良市]
「行基さん終焉の地を訪ねて」に参加してきました。(20150823)
当日はまだまだ暑かったですが、天気の良い中のウォーキングでした。
奈良駅から喜光寺を経由して行基さんが学んだ薬師寺を経由して郡山まで歩きました。日本最初の大僧正・行基さんは平城京右京の菅原寺(現喜光寺)で亡くなられたそうです。
郡山で見かけた金魚
集合場所奈良駅を出発して、奈良市役所、法華寺、平城宮跡を経由して喜光寺で休憩します。
JR奈良駅
以前の奈良駅舎で今は奈良市総合観光案内所が入っています。
現在のJR奈良駅での出発前の準備体操です。
なぜか、外人さんも体操に参加してました。
奈良駅を出発します。
奈良駅のすぐ近くに「なら100年会館」が見えます。
奈良市役所
法華寺
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられたそうです。
平城宮跡
平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
喜光寺
奈良時代に行基菩薩によって創建された名刹です。本堂は、行基菩薩が東大寺大仏殿を建立するにあたり参考にされたと伝承され、今日でも「試みの大仏殿」と呼ばれています。行基菩薩が入寂されたお寺でもあり、平成22年5月に正門の南大門が再建されました。約30種、200鉢の花蓮の鉢が境内を覆いつくしており、近年は蓮の花のお寺としても知られているそうです。行基さん終焉の地だそうです。
喜光寺で休憩したあと、垂仁天皇陵、唐招提寺を経由して薬師寺まで歩きます。
薬師寺近くで昼食休憩です。
垂仁天皇陵
尼ヶ辻駅の南西にあり、近鉄電車の車窓から見える全長約227mの大型前方後円墳。濠に浮かぶ小島は臣下の田道間守(たじまもり)の墓と伝えられているそうです。
近鉄電車を見ながら唐招提寺に向かいます。
唐招提寺
聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立。鑑真は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺から解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の場を営むことになったそうです。
薬師寺
680年、天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ)(のちの持統天皇)の病気平癒のため発願され、創建された法相宗の大本山。創建当時は藤原京に建てられたが、718年に平城遷都に伴い現在の場所に移転。造営は808年頃まで続いた。しかし、数度の災害と1528年の兵火により、当時の建造物は東塔のみが現存。金堂は1976年に、西塔は1981年に、中門は1984年に、回廊は1991年に一部がそれぞれ有縁の人々のお写経勧進によって復興されているそうです。
昼食休憩のあと、郡山城跡、そしてゴールのJR郡山駅まで歩きました。
郡山城跡
郡山城は筒井順慶の築城(1580年)に始まる大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。天守郭、毘沙門郭(びしゃもんかく)、法印郭(ほういんかく)などは県の史跡に指定され内堀や石垣が良好に残っています。近年、門や櫓(やぐら)などが復元され、往時の威容が復元されつつああるそうです。
柳澤神社
郡山城の本丸跡に鎮座する。旧藩士等の手によって、明治十三年十月二十九日創立。拝殿入り口の扁額「柳澤神社」の文字は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の筆によるものだそうです。
金魚すくいを楽しむ子供たち
ご訪問していただきありがとうございました。
当日はまだまだ暑かったですが、天気の良い中のウォーキングでした。
奈良駅から喜光寺を経由して行基さんが学んだ薬師寺を経由して郡山まで歩きました。日本最初の大僧正・行基さんは平城京右京の菅原寺(現喜光寺)で亡くなられたそうです。
郡山で見かけた金魚
集合場所奈良駅を出発して、奈良市役所、法華寺、平城宮跡を経由して喜光寺で休憩します。
JR奈良駅
以前の奈良駅舎で今は奈良市総合観光案内所が入っています。
現在のJR奈良駅での出発前の準備体操です。
なぜか、外人さんも体操に参加してました。
奈良駅を出発します。
奈良駅のすぐ近くに「なら100年会館」が見えます。
奈良市役所
法華寺
大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立しました。法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めました。平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられたそうです。
平城宮跡
平城京は、今から1300年ほど前に奈良市に建設されました。その中心の平城宮には天皇の住まいや官公庁が集まっていたそうです。
喜光寺
奈良時代に行基菩薩によって創建された名刹です。本堂は、行基菩薩が東大寺大仏殿を建立するにあたり参考にされたと伝承され、今日でも「試みの大仏殿」と呼ばれています。行基菩薩が入寂されたお寺でもあり、平成22年5月に正門の南大門が再建されました。約30種、200鉢の花蓮の鉢が境内を覆いつくしており、近年は蓮の花のお寺としても知られているそうです。行基さん終焉の地だそうです。
喜光寺で休憩したあと、垂仁天皇陵、唐招提寺を経由して薬師寺まで歩きます。
薬師寺近くで昼食休憩です。
垂仁天皇陵
尼ヶ辻駅の南西にあり、近鉄電車の車窓から見える全長約227mの大型前方後円墳。濠に浮かぶ小島は臣下の田道間守(たじまもり)の墓と伝えられているそうです。
近鉄電車を見ながら唐招提寺に向かいます。
唐招提寺
聖武天皇の招きに応じ、苦難の末、日本にやってきた唐僧鑑真和上によって建立。鑑真は日本に着いてから5年間、戒壇院での授戒を制度として確立するために東大寺で過ごしましたが、東大寺から解放された後、故新田部親王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を賜り、そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の場を営むことになったそうです。
薬師寺
680年、天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ)(のちの持統天皇)の病気平癒のため発願され、創建された法相宗の大本山。創建当時は藤原京に建てられたが、718年に平城遷都に伴い現在の場所に移転。造営は808年頃まで続いた。しかし、数度の災害と1528年の兵火により、当時の建造物は東塔のみが現存。金堂は1976年に、西塔は1981年に、中門は1984年に、回廊は1991年に一部がそれぞれ有縁の人々のお写経勧進によって復興されているそうです。
昼食休憩のあと、郡山城跡、そしてゴールのJR郡山駅まで歩きました。
郡山城跡
郡山城は筒井順慶の築城(1580年)に始まる大和でもっとも大規模な城郭で、近世期には、豊臣家、水野家、松平家、本多家、柳澤家の居城となりました。天守郭、毘沙門郭(びしゃもんかく)、法印郭(ほういんかく)などは県の史跡に指定され内堀や石垣が良好に残っています。近年、門や櫓(やぐら)などが復元され、往時の威容が復元されつつああるそうです。
柳澤神社
郡山城の本丸跡に鎮座する。旧藩士等の手によって、明治十三年十月二十九日創立。拝殿入り口の扁額「柳澤神社」の文字は、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の筆によるものだそうです。
金魚すくいを楽しむ子供たち
ご訪問していただきありがとうございました。