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歩くなら平群の里(奈良) [ウォーキング奈良県]

「歩くなら平群の里」に参加してきました。(20161113)

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奈良平群町周辺の歴史的な神社、古墳などを訪れてきました。

当日は秋晴れ、気持ちの良いウォーキングになりました。

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集合場所JR平群駅を出発してツボリ山古墳、楢本神社、紀氏神社、吉備内親王墓・長屋王墓、平等寺春日神社、椿井春日神社、椿井井戸、道の駅、平群神社を経由して西宮古墳、平群中央公園まで歩きます。

集合場所のJR平群駅です。
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ツボリ山古墳(つぼりやまこふん)
生駒山地より東に延びる丘陵の南斜面に築造された古墳で、墳丘は造成工事で削平され、当初の姿を留めていないが、一辺20m程の方墳の可能性が考えられている。主体部は南に開口する横穴式石室、玄室長4.25m、幅2.2~2.55m、高さ2.45m。羨道は長さ4.65m、幅1.7~1.82m、高さ約1.7m。玄室は二段積みで、2石目が大きく内傾し、前壁も同様だったとみられるそうです。
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竜田川を渡ります。
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楢本神社(ならもとじんじゃ)
式内社で梨本と吉新の氏神。大正4年の神社調査書では、野間田明神または白山権現とも呼ばれたとあり、
社地は34坪で、南面した神社の広庭正面と右側面に参詣口がある。祭神は、菊理姫命で雷難除去の神とされ、左に春日神社が明治45年吉新から合祀されているそうです。
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紀氏神社(きしじんじゃ)
上庄に所在する式内大社。正式名は平群坐紀氏神社、別名辻の宮とも呼ばれる。紀氏の創建で、平群氏の祖・木莵宿禰を祀り、中世には天児屋根命を祀る春日大社(春日大明神)とされていた。現在、上庄・椣原・西向の氏神で西向きの本殿、拝殿に向かって三方にそれぞれの「宮座(座小屋)」が置かれている。境内には石鳥居や石灯籠、狛犬等の石造文化財があり、そのうちで延宝2年(1674)銘の石灯籠が最も古いものだそうです。
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吉備内親王墓(きびないしんのうはか)
長屋王墓北西150mのやや高所、丘陵斜面の中段に所在する塚で、現状は直径20m、高さ2m程の円墳である。長屋王墓と共に明治34年に治定されているそうです。
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長屋王墓 (ながやおうぼ)
平群谷の北より矢田丘陵より西に長く延びる丘陵の南斜面裾にある塚。直径15m、高さ1.5m程の円墳状をしている。宮内庁により明治34年に奈良時代初期の皇親政治家、長屋王の墳墓に治定されているそうです。
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平等寺春日神社に向かう途中にコスモスが咲いていました。
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平等寺春日神社(びょうどうじかすがじんじゃ)
平等寺と下垣内の氏神。祭神は天児屋根命。本殿は春日造り極彩色檜皮葺。割拝殿の両側には数枚の絵馬が奉納されているそうです
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平等寺春日神社西側から見た景色です。
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椿井春日神社(つばいかすがじんじゃ)
祭神は天児屋根命。椿井の集落のすぐ上の丘陵に鎮座する。正面の本殿は、桁行2.9m梁間2m向背の出が97㎝と1.9mの春日造朱塗りで屋根は銅板葺。棟には千木堅魚木がおかれている。創祀・由緒はわかっていないそうです。
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椿井井戸(つばいいど)
今も清水が湧いていて、井戸の横には文政4年(1821)の石碑が立てられている。この井戸には、椿井氏の祖先と伝えられる平群神手将軍の逸話が伝えられているそうです。
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道の駅で休憩になりました。
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平群神社(へぐりじんじゃ)
西宮の北端、人家に接した城山の丘陵上、森の繁みの中に鎮座する。式内社で5柱の神が祀られていることから、平群氏がその祖神を祀った社ではないかとも考えられるが断定できないそうです。
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西宮古墳(にしのみやこふん)
昭和58年宅地開発に伴って直径42cmの柱の根の部分が発見され、遺跡の存在が明らかにされたそうです。
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平群中央公園
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ここで昼食休憩になりました。

休憩後、石床神社、烏土塚古墳を経由してJR竜田川駅まで歩きました。

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石床神社(いわとこじんじゃ)
竜田川の支流井文字川を見下ろす崖面に露頭した高さ約8m、幅約20数mの巨大な[磐座][陰石]をご神体としている。貞観元年(859年)正月に従5位上を授けられ、平安時代の「延喜式神名帳」には“平群石床神社大.月次新嘗.”との記載がある。祭神は剣刃石床別命(ケンジンイワトコワケノミコト)。本殿や拝殿は当初からなく、磐座を遥拝する古い形態を伝えている。ご神体と同じ石材(片麻状黒雲母花崗岩)が柿塚、烏土塚、西宮の各古墳の横穴式石室に使用されているそうです。
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烏土塚古墳(うどづかこふん)
烏土塚古墳は、住宅地の真ん中にある古墳時代後期の古墳だそうです。
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階段を上ると素晴らしい見晴らしでした。
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この後、竜田川駅まで歩きました。
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(感謝とお詫び)
いつも訪問して頂き有難うございます。

勝手を言って申し訳ありませんが、今回、Niceを閉じさせて頂きます。


ご訪問していただきありがとうございました。



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