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西国街道をあるく その10(京都) [ウォーキング西国街道]

「西国街道をあるく その10」に参加してきました。(20161122)


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今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第10回目。


今回は阪急西山天王山駅から阪急西向日駅まで歩きました。

当日は晴れ、爽やかな天気の中のウォーキングになりました。

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集合場所阪急西山天王山駅を出発して恵解山古墳、勝龍寺、勝龍寺城跡、神足神社、長岡天満宮を経由して西山公園まで歩きます。


阪急西山天王山駅近くの公園を出発します。
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前回、お世話になったビール工場の前を通過します。
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恵解山古墳(いげのやまこふん)
恵解山古墳は、古墳時代中期(今から約1600年前)に造られた前方後円墳。古墳の大きさは全長128m、後円部の直径約78.6m、前方部の幅約78.6mで、乙訓地域最大の規模。古墳の周囲には幅約25mの浅い周濠(しゅうごう)があり、周濠を含めた古墳の全長は約180mに及ぶそうです。
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勝龍寺(しょうりゅうじ)
大同元年(806)空海(弘法大師)の開基。寺号は恵解山青龍寺で、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれます。大干ばつ大飢饉の年に住職千観(せんかん)上人の祈とうで雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されました。本尊は鎌倉時代につくられた十一面観音で、国の重要文化財に指定されているそうです。
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勝龍寺城跡(しょうりゅうじしろあと)
暦応2年(1339)に細川頼春が築城したと伝えられている。天正6年(1578)明智光秀の三女、玉(細川ガラシャ)が細川忠興に嫁ぎこの城で過ごした。のちの山崎合戦では光秀がここに本陣を構えたが、光秀とともに落城するなど、歴史とロマンを秘めた城である。平成4年(1992)に公園として復興、市民の憩いの広場として親しまれている。堀、城門等を再現した日本庭園と、城関連の展示室。全国で初めてのアメニティ下水道モデル事業による下水処理水を送水した外堀や、地下水100%の水道水供給施設「ガラシャおもかげの水」があるそうです。
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神足神社(こうたりじんじゃ)
長岡京市神足の東端にあるある。かつて神足は、「こうだにの」「かむたり」とも呼ばれた。旧神足村の産土神として信仰された。祭神は、天神立命(あめのかみたちのみこと)。また、舎人親王(第40代・天武天皇)、遠津山岬多良斯神(とほつやまさきたらしのかみ、本居宣長説)、第50代・桓武天皇(伴信友説)ともされた。また、祭神不詳ともいう。式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「乙訓郡十九座 大五座 小十四座」の「神足(かうだにの)神社」に比定されていて、強脚、足の怪我予防などの信仰があるそうです。
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この後、西国街道を歩き長岡天満宮に向かいます。

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長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)
ご祭神は学問の神様として有名な菅原道真公。道真公が太宰府へ左遷される途中、かつて在原業平らと共に詩歌管弦を楽しんだこの地に立ち寄り、都を振り返って名残を惜しんだ事から「見返り天神」とも呼ばれていて、太宰府にお供した3人が別れ際に戴いた道真公自作の木像をご神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまりと云われているそうです。
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長岡天満宮の紅葉が綺麗でした。
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少し休憩をした後、西山公園に向かいます。

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西山公園
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西山公園で昼食休憩になりました。

休憩後、光明寺、赤根天神社、向日神社を経由して西向日駅まで歩きました。

光明寺(こうみょうじ)
西山浄土宗の総本山光明寺は長岡京市西山のふもと粟生広谷。宗祖円光大師法然上人が御歳43歳の時、
日本で最初に念仏の産声を上げられた立教開宗の地だそうです。
拝観は有料になっていました。
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赤根天神社(あかねてんじんしゃ)
当神社は赤根天神社と称し、祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀(まつ)っている。 古い昔より、その神徳を願し、地域住民は家内安全、五穀豊穣を祈願して参り、古い書物や今里(いまざと)自治会館に保管してある古文書にも色々と記録されている。 古老の話などでは、その昔、今里には神輿(みこし)が一基あって向日(むこう)神社のお旅所でもあったそうです。
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向日神社に向かう途中の景色です。
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向日神社(むこうじんじゃ)
「明神(みょうじん)さん」の名で親しまれている養老2年(西暦718年)創建の古社。應永25年(西暦1418年)に
建造された本殿は、室町時代の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)という建築様式で国の重要文化財に
指定されているそうです。
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元稲荷古墳(もといなりこふん)
向日神社北側の勝山公園内にあり、古墳時代前期(4世紀初頭)の全長約94mの前方後方墳。出土品には、
刀剣類、斧、土師器の壺がありま、また、埴輪の原型となる特殊壺形土器や特殊円筒埴輪も前方部から出土。周辺には、弥生時代の高地性集落と考えられる北山遺跡があるそうです。
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この後、西向日駅まで歩きました。
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西国街道をあるくも後1回になりました。
何とか頑張りたいと思っています。


ご訪問していただきありがとうございました。




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