西国街道をあるく その5(兵庫) [ウォーキング西国街道]
西国街道をあるく その5に参加してきました。(20160524)
釈迦院
今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。
「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第5回目。
今回は阪急伊丹駅から阪急池田駅まで歩きました。
当日は曇り、少し暑かったですが気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所阪急伊丹駅近くの公園を出発して、猪名川沿い、下河原緑地、受楽寺、十二神社、亀の森住吉神社、阪急石橋駅を経由して水月公園まで歩きます。
阪急伊丹駅近くの公園
猪名川
下河原緑地
エア・フロント・オアシス下河原。伊丹空港を離発着する飛行機が良く見えるところです。
受楽寺
受楽寺境内に初代・二代目の桂春團治を顕彰する「春團治之碑」が平成20年に建立されたそうです。
十二神社
祭神は天神七代,地神五代の十二神。かつて北今在家,西市場,北轟木の産土神として崇敬を集めたが,明治42年(1909年)に八坂神社(池田市神田)に合併された。しかし昭和21年(1946年),旧社地である現在地にふたたび創建されたそうです。
亀の森住吉神社
宝亀元年(770)の創立。祭神は住吉三神と神功皇后。伝承によると,往古は一帯が入り海になっていたが,応神天皇のころに亀の形の小島があらわれてから開発が進み,光仁天皇の御代に住吉の神を勧請したという。「亀之森住吉神社」とも呼ばれて崇敬を集めているそうです。
水月公園
鯉のぼりが飾られていました。また、水月公園の花菖蒲はとても綺麗ですが、当日は少し咲き出したところでした。
水月公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は釈迦院、五社神社、星の宮、 伊居太神社、呉服神社を経由して阪急池田駅まで歩きました。
釈迦院
行基菩薩によって開創され、聖武天皇勅願寺となっていた寺。厄神さんと呼び親しまれ、毎年1月18日、19日に行われる厄神大祭は、採灯大護摩供や大般若経転続法要などが行われ、1年間の厄除開運、家内安全を祈願する多くの人々で賑わうそうです。
冒頭の写真のところです。
五社神社
神亀元年(724)に行基がこの地に多羅山若王子(釈迦院)を創建し,、その鎮守社として奉祀したのが発祥とされるそうです。
星の宮
創建の経緯は不詳。ここは呉から来朝した穴織媛(あやはとりのひめ)らの織殿があった場所だとする説や,織媛を祭る伊居太神社の御旅所だとする説があり、「星の宮」という呼称は穴織媛らが夜遅くまで機を織っていると天上から七星が降って織殿を照らし作業を助けたという美しい伝承によるそうです。
伊居太神社(いけだじんじゃ)
池田市に現在する最古の神社とされており、別名穴織(あやは)社で姫室塚がある。「織姫伝説」にまつわる神社でもあり、祭神は「応神天皇」「仁徳天皇」「穴織大明神」。本殿は信長によって焼かれ秀頼によって1604年に再建されたそうです。
猪名川に鯉のぼりが泳いでいました。
呉服神社
日本書紀にある「呉服・穴織伝承」を今に受け継ぐ神社。応神天皇の時代、呉服(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)という姉妹がこの地に住みつき、機織・栽縫の技術を伝えたとされている。絹布類を指す「呉服(ごふく)」はここから。現在も服飾関係者の信仰を集めていて、毎年1月の十日戒には多くの人が訪れ、賑わうそうです。
このあと、ゴールの阪急池田駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
釈迦院
今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
(再掲)
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりするそうです。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。
「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第5回目。
今回は阪急伊丹駅から阪急池田駅まで歩きました。
当日は曇り、少し暑かったですが気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所阪急伊丹駅近くの公園を出発して、猪名川沿い、下河原緑地、受楽寺、十二神社、亀の森住吉神社、阪急石橋駅を経由して水月公園まで歩きます。
阪急伊丹駅近くの公園
猪名川
下河原緑地
エア・フロント・オアシス下河原。伊丹空港を離発着する飛行機が良く見えるところです。
受楽寺
受楽寺境内に初代・二代目の桂春團治を顕彰する「春團治之碑」が平成20年に建立されたそうです。
十二神社
祭神は天神七代,地神五代の十二神。かつて北今在家,西市場,北轟木の産土神として崇敬を集めたが,明治42年(1909年)に八坂神社(池田市神田)に合併された。しかし昭和21年(1946年),旧社地である現在地にふたたび創建されたそうです。
亀の森住吉神社
宝亀元年(770)の創立。祭神は住吉三神と神功皇后。伝承によると,往古は一帯が入り海になっていたが,応神天皇のころに亀の形の小島があらわれてから開発が進み,光仁天皇の御代に住吉の神を勧請したという。「亀之森住吉神社」とも呼ばれて崇敬を集めているそうです。
水月公園
鯉のぼりが飾られていました。また、水月公園の花菖蒲はとても綺麗ですが、当日は少し咲き出したところでした。
水月公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は釈迦院、五社神社、星の宮、 伊居太神社、呉服神社を経由して阪急池田駅まで歩きました。
釈迦院
行基菩薩によって開創され、聖武天皇勅願寺となっていた寺。厄神さんと呼び親しまれ、毎年1月18日、19日に行われる厄神大祭は、採灯大護摩供や大般若経転続法要などが行われ、1年間の厄除開運、家内安全を祈願する多くの人々で賑わうそうです。
冒頭の写真のところです。
五社神社
神亀元年(724)に行基がこの地に多羅山若王子(釈迦院)を創建し,、その鎮守社として奉祀したのが発祥とされるそうです。
星の宮
創建の経緯は不詳。ここは呉から来朝した穴織媛(あやはとりのひめ)らの織殿があった場所だとする説や,織媛を祭る伊居太神社の御旅所だとする説があり、「星の宮」という呼称は穴織媛らが夜遅くまで機を織っていると天上から七星が降って織殿を照らし作業を助けたという美しい伝承によるそうです。
伊居太神社(いけだじんじゃ)
池田市に現在する最古の神社とされており、別名穴織(あやは)社で姫室塚がある。「織姫伝説」にまつわる神社でもあり、祭神は「応神天皇」「仁徳天皇」「穴織大明神」。本殿は信長によって焼かれ秀頼によって1604年に再建されたそうです。
猪名川に鯉のぼりが泳いでいました。
呉服神社
日本書紀にある「呉服・穴織伝承」を今に受け継ぐ神社。応神天皇の時代、呉服(クレハトリ)・穴織(アヤハトリ)という姉妹がこの地に住みつき、機織・栽縫の技術を伝えたとされている。絹布類を指す「呉服(ごふく)」はここから。現在も服飾関係者の信仰を集めていて、毎年1月の十日戒には多くの人が訪れ、賑わうそうです。
このあと、ゴールの阪急池田駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。