西国街道をあるく 最終回(京都) [ウォーキング西国街道]
「西国街道をあるく 最終回」に参加してきました。(20161227)
東寺
今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりしました。
「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第11回目(最終回)。
今回は阪急西向日駅から東寺を経由して京都駅まで歩きました。
当日は曇り時々雨、楽しいウォーキングになりました。
集合場所阪急西向日駅を出発して大極殿跡、厳島神社、久世橋西詰公園を経由して吉祥院運動公園まで歩きます。
集合場所阪急西向日駅近くの長岡京朝堂院跡を出発します。
長岡京朝堂院跡(ながおかきょうちょうどういんあと)
約1200年前の都・長岡京(784~794年)の中心部である長岡宮には、大極殿(天皇が政務を司どる場)や内裏(天皇の住まい)、朝堂院(国儀の場)など、国の重要な施設が置かれていました。その一部は発掘調査によって確認され、国の史跡に指定されています。このうち、朝堂院の西第四堂跡と南門にとりつく楼閣跡を含む3,452.83㎡が史跡公園として整備され、平成22年に一般公開されたそうです。
大極殿跡(だいごくでん)
桓武天皇が政治を司ったところ。昭和39年に国の史跡に指定され、現在、大極殿公園として市民の憩いの場となっていて、毎年11月11日には長岡京遷都を記念して大極殿祭が行われるそうです。
西国街道を歩きます。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)
京都御苑間ノ町口を入った池のそばに建つ。平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。祇園女御も祀る。池と傍らの拾翠亭はもと九条家のもので、この社は同家の鎮守社だった。社前の石鳥居は笠木が唐破風で京都三珍鳥居の一つだそうです。
久世橋西詰公園
久世橋西詰公園から桂川にかかる久世橋を渡ります。
桂川沿いを歩きます。
吉祥院運動公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は吉祥院天満宮、唐橋西寺公園、羅城門跡、ゴールの東寺まで歩きました。
吉祥院天満宮(きっ しょういんてんまんぐう)
朱雀天皇が菅原道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。また遺唐使だった道真の祖父が船で唐へ向かう途中、海上で霊験を得たという吉祥天女を帰国後自ら刻みまつったのがはじまりといわれている。本殿、舞楽殿のほか吉祥天女堂がある。春季大祭の4月25日・夏季大祭の8月25日には六斎念仏が奉納されるそうです。
唐橋西寺に向かいます。
唐橋西寺公園
西寺跡(さいじあと)
唐橋西寺公園の中。平安京の右京九条一坊にあった官寺。羅城門西側にあり、羅城門を挟んで東寺と対をなしたそうです。
羅城門跡を通過して東寺に向かいます。
東寺(とうじ)
東寺真言宗の総本山。794年(延暦13)の平安京造営に際し、その2年後、国家鎮護のため羅城門の東に創建。823年(弘仁14)空海(弘法大師)に下賜された。講堂(重文)には大日如来を中心に国宝の五大明王など21体の仏像を安置。この配列は立体曼荼羅といわれる。金堂(国宝)は豊臣秀頼の再建。大師堂(御影堂・国宝)は、大師在世時の住房で、弘法大師像(国宝)と、大師念持仏の不動明王坐像(国宝)を安置。五重塔(国宝)は徳川家光が再建、高さ55メートルで、わが国最高。内部は非公開。宝物館に真言密教の文化財多数を陳列。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されたそうです。
東寺が今回の「西国街道をあるく」のゴールでした。
この後、伏見稲荷大社御旅所、京都駅まで歩きました。
伏見稲荷大社御旅所(ふしみいなりたいしゃおたびしょ)
御旅所とは、祭礼のときに神輿を本宮から移し一時的に奉安する場所のことで、伏見稲荷大社の御旅所は、
かつては「油小路七条」と「八条坊門猪熊」の2箇所にありましたが、豊臣秀吉が一つに合わせてこの地に
移したと伝えられている。4月・5月の稲荷祭は大変賑わうそうです。
昨年(2016年)、「西国街道をあるく」を無事に完歩することが出来ました。
スタッフの皆さま、有難うございました。
今年(2017年)は京都から大阪に向けて京街道、更に熊野街道を歩くコースが計画されているそうです。是非参加したいと思っています。
過去3回分の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。
東寺
今年のウォーキングの目標の一つ「西国街道をあるく」に参加しました。
西国街道とは、京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。今回、「西国街道をあるく」は神戸の生田神社から京都の東寺までを11回で歩くウォーキング。途中、街道近くにある神社仏閣等にも訪れたりしました。
「西国街道をあるく」生田神社から京都東寺までのウォーキングの第11回目(最終回)。
今回は阪急西向日駅から東寺を経由して京都駅まで歩きました。
当日は曇り時々雨、楽しいウォーキングになりました。
集合場所阪急西向日駅を出発して大極殿跡、厳島神社、久世橋西詰公園を経由して吉祥院運動公園まで歩きます。
集合場所阪急西向日駅近くの長岡京朝堂院跡を出発します。
長岡京朝堂院跡(ながおかきょうちょうどういんあと)
約1200年前の都・長岡京(784~794年)の中心部である長岡宮には、大極殿(天皇が政務を司どる場)や内裏(天皇の住まい)、朝堂院(国儀の場)など、国の重要な施設が置かれていました。その一部は発掘調査によって確認され、国の史跡に指定されています。このうち、朝堂院の西第四堂跡と南門にとりつく楼閣跡を含む3,452.83㎡が史跡公園として整備され、平成22年に一般公開されたそうです。
大極殿跡(だいごくでん)
桓武天皇が政治を司ったところ。昭和39年に国の史跡に指定され、現在、大極殿公園として市民の憩いの場となっていて、毎年11月11日には長岡京遷都を記念して大極殿祭が行われるそうです。
西国街道を歩きます。
厳島神社(いつくしまじんじゃ)
京都御苑間ノ町口を入った池のそばに建つ。平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。祇園女御も祀る。池と傍らの拾翠亭はもと九条家のもので、この社は同家の鎮守社だった。社前の石鳥居は笠木が唐破風で京都三珍鳥居の一つだそうです。
久世橋西詰公園
久世橋西詰公園から桂川にかかる久世橋を渡ります。
桂川沿いを歩きます。
吉祥院運動公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後は吉祥院天満宮、唐橋西寺公園、羅城門跡、ゴールの東寺まで歩きました。
吉祥院天満宮(きっ しょういんてんまんぐう)
朱雀天皇が菅原道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。また遺唐使だった道真の祖父が船で唐へ向かう途中、海上で霊験を得たという吉祥天女を帰国後自ら刻みまつったのがはじまりといわれている。本殿、舞楽殿のほか吉祥天女堂がある。春季大祭の4月25日・夏季大祭の8月25日には六斎念仏が奉納されるそうです。
唐橋西寺に向かいます。
唐橋西寺公園
西寺跡(さいじあと)
唐橋西寺公園の中。平安京の右京九条一坊にあった官寺。羅城門西側にあり、羅城門を挟んで東寺と対をなしたそうです。
羅城門跡を通過して東寺に向かいます。
東寺(とうじ)
東寺真言宗の総本山。794年(延暦13)の平安京造営に際し、その2年後、国家鎮護のため羅城門の東に創建。823年(弘仁14)空海(弘法大師)に下賜された。講堂(重文)には大日如来を中心に国宝の五大明王など21体の仏像を安置。この配列は立体曼荼羅といわれる。金堂(国宝)は豊臣秀頼の再建。大師堂(御影堂・国宝)は、大師在世時の住房で、弘法大師像(国宝)と、大師念持仏の不動明王坐像(国宝)を安置。五重塔(国宝)は徳川家光が再建、高さ55メートルで、わが国最高。内部は非公開。宝物館に真言密教の文化財多数を陳列。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されたそうです。
東寺が今回の「西国街道をあるく」のゴールでした。
この後、伏見稲荷大社御旅所、京都駅まで歩きました。
伏見稲荷大社御旅所(ふしみいなりたいしゃおたびしょ)
御旅所とは、祭礼のときに神輿を本宮から移し一時的に奉安する場所のことで、伏見稲荷大社の御旅所は、
かつては「油小路七条」と「八条坊門猪熊」の2箇所にありましたが、豊臣秀吉が一つに合わせてこの地に
移したと伝えられている。4月・5月の稲荷祭は大変賑わうそうです。
昨年(2016年)、「西国街道をあるく」を無事に完歩することが出来ました。
スタッフの皆さま、有難うございました。
今年(2017年)は京都から大阪に向けて京街道、更に熊野街道を歩くコースが計画されているそうです。是非参加したいと思っています。
過去3回分の記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。