SSブログ

鉢かづき姫の伝説を求めて(大阪府北中部) [ウォーキング大阪府北中部]

「鉢かづき姫の伝説を求めて」に参加してきました。(20190216)


成田山不動尊
00.P1160838 (1).jpg



大阪寝屋川の鉢かづき姫の伝説、成田山不動尊などを訪れてきました。

当日は曇り、最高気温13.0℃。気持ち良いウォーキングになりました。

ウォーク票 (1).jpg

地図 (1).jpg


集合場所星田駅を出発して、伝寝屋長者屋敷跡、西連寺、寝屋川の起点、成田山不動尊を経由して打上川治水緑地まで歩きます。

集合場所の星田駅
11.P1160804.jpg


星田駅を出発します。
12.P1160805 (1).jpg


伝寝屋長者屋敷跡に着きました。

伝寝屋長者屋敷跡(でんねやちょうじゃやしきあと)
市のマスコットキャラクター「鉢かづきちゃん」は、「鉢かづき姫」のお話にちなんで登場しました。「かづく」という言葉は、「頭にかぶる・頭にのせる」という意味で、鉢かづき姫とは頭に鉢をかぶったお姫様のこと。「鉢かづき」のお話は、『御伽草子』(室町~江戸時代はじめ)という物語集に収められて全国に広がり、江戸時代以降、多くの人々に読まれました。これによく似たお話として『河州交野郡(かしゅうかたのごおり)寝屋長者鉢記(ねやちょうじゃはちき)』という書物が伝わっており、この話では物語の舞台として本市の寝屋が登場します。寝屋地域には「堀ノ内」「今屋敷」など屋敷に関連すると考えられる地名が残っています。この付近には田畑が広がっており、発掘調査はほとんど行われておらず、その実態はよくわかっていないそうです。
13.P1160810.jpg

14.P1160809.jpg


西連寺に向かいます。
15.P1160815.jpg


西連寺(さいれんじ)
当山の開祖や創建年代など由緒は明確ではないが、境内の墓地のある宝篋印塔に刻まれた年号には天和、貞享などの年号が刻まれたものが見られ、江戸時代初期には存在していたものと思われる。現在は浄土宗の寺院であるが、もとは守口佐太来迎寺の末であったそうです。
16.P1160820.jpg

17.P1160818.jpg


寝屋川の起点(ねやがわのきてん)
寝屋川市東部の寝屋の丘陵地に発するたち川と北谷川の二本の川が寝屋川市寝屋・太秦・池の瀬町の境、府道18号枚方交野寝屋川線の寝屋交差点に架かる極楽橋のすぐ下で合流する。ここが寝屋川(一級河川)の起点だそうです。
17.P1160825.jpg

18.P1160823.jpg


成田山不動尊に向かいます。
19.P1160829.jpg


成田山不動尊(なりたさんふどうそん)
成田山不動尊は千葉県成田市にある成田山新勝寺の大阪別院として昭和9年(1934年)に創建され、交通安全の「お不動尊」として親しまれているそうです。
20.P1160834.jpg

21.P1160835.jpg


打上川治水緑地に向かいます。
22.P1160842.jpg


打上川治水緑地で昼食休憩になりました。
23.P1160858 (1).jpg


昼食休憩後は太秦高塚古墳、寝屋川公園を経由して星田駅まで歩きました。

太秦高塚古墳(うずまさたかつかこふん)
秦・太秦の丘陵上に所在する太秦古墳群で、唯一現存する古墳。2001年の発掘調査によって古墳の形状や保存状況が判明、古墳は全長39m、円丘部の直径37m、高さ7mで、2段に築かれているとのこと。1段目の平坦部(テラス)には、円筒埴輪列が巡っていることが確認され古墳の周りには幅約7.5m、深さ2mの濠が残っていた。北西側には、「造り出し」と呼ばれるまつりを行ったと考えられている区画が墳丘に付いていることがわかり人物・水鳥・鶏・家・盾・衣蓋などの形をした埴輪や土器が集中して見つかり、 南側より短甲(よろい) ・鉄鏃(やじり)・鉄斧(おの)・鐙(あぶみ:馬具で足をかける道具)などの副葬品の鉄器がまとまって出土。出土した埴輪や土器などから太秦高塚古墳は5世紀の後半に築かれたと考えられるそうです。
24.P1160867.jpg

25.P1160872.jpg


寝屋川公園
26.P1160873.jpg



この後、星田駅まで歩きました。
27.P1160877.jpg



Niceボタンをクローズさせていただきました。


ご訪問していただきありがとうございました。





共通テーマ:日記・雑感