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24.中央区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「中央区をあるく」に参加してきました。(20190212)

御津公園(三角公園)_アメリカ村
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大阪中央区の歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、最高 気温10.5℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所湊町リバープレイスを出発して、三津寺、御津八幡宮、難波神社、南御堂、坐間神社、サムハラ神社を経由して靭公園まで歩きます。

集合場所の湊町リバープレイス
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道頓堀川沿いのとんぼりリバーウォークを歩きます。
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とんぼりリバーウォークから宗右衛門町を歩きます。

三津寺(みつでら)
真言宗御室派の準別格本山。地元では「みってらさん」「ミナミの観音さん」の通称で親しまれている。摂津国八十八ヶ所第二番霊場、大坂三十三観音札所第三十番札所。本尊は十一面観世音菩薩で秘仏であるが、本尊と同じ姿の石仏が山門を入ってすぐのところに祀られているそうです。
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アメリカ村を通過します。

御津公園(三角公園)(みつこうえん)
関西の若者文化を育てたまち・アメリカ村のランドマークであり、待ち合わせスポットのひとつでもある。戦後、道路敷地のへた地にできた「御津街園」と称されたこの三角スペースは、70年代から脚光を浴びてきた、アメリカ村の発展とともに「三角公園」という呼び名で親しまれている。近年では、若手漫才師らが辺りを闊歩する若者をお客さんに見立て、無償で漫才を披露するのが名物になっている。30年前から公園のまん前に店舗を構え、「網かけマヨネーズ」の元祖となった老舗の「甲賀流のたこ焼き屋さん」もいつも人の列でいっぱい。たこ焼きをつつきながら若手コンビの漫才を聞くのも三角公園ならではのようです。

冒頭の写真のところです。


御津八幡宮(みつはちまんぐう)
御津宮(御津八幡宮)は現在の心斎橋一帯の産土の社。この地は江戸時代初期以来、全国有数の街として発展し、今日ではこの辺り一帯は「ミナミ」と呼ばれ大阪の繁華街を形成しています。境内は約400坪とそう広くはありませんが常時参拝者も多く、今も神社前を東西に伸びる街路は「八幡町通り」と呼ばれ、界隈の人々にとって親しみのある社として現在に至っているそうです。
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四ツ橋を通過します。
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この後、順次、神社仏閣を巡ります。

難波神社(なんばじんじゃ)
創建は5世紀中頃と伝えられていて、彦六座、稲荷文楽座跡としても知られ船場の粋人達が芝居、文楽に興じた場所でもあったそうです。
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南御堂(みなみみどう)
正式名称は東本願寺難波別院。船場商人の信仰の中心とされ、本堂は鎌倉様式の鉄筋建ての建物です。昭和36年に復興されたそうです。
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御堂筋に面している御堂会館は工事中、2019年秋頃竣工予定だそうです。
ネットから引用させていただきました。
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坐間神社(いかすりじんじゃ)
大阪市中心部の船場にある古い神社で、同地の守護神的存在。正式な読み方は「いかすりじんじゃ」、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが多く、地元では「ざまさん」の通称で呼ばれているそうです。
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サムハラ神社(さむはらじんじゃ)
サムハラという言葉の語源はチベットで古くから使われている「シャンバラ」という言葉が元になっているとされ、幸福についての維持や収集、平和といった言葉が秘められている。また特別な気のエネルギーを感じられるとされており、合気道の守護神としても崇められているそうです。
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靭公園で昼食休憩になりました。
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昼食休憩後、御霊神社、少彦名神社、五代友厚公碑、八軒屋浜、五代友厚銅像を経由して大阪城梅林まで歩きました。


御霊神社(みたまじんじゃ)
当神社は八百年代後半の創建。古来大阪市の船場、中之島、土佐堀、江戸堀、京町堀、阿波堀、阿波座、薩摩堀及び立売堀、長掘の西部、南北堀江の西部等旧摂津国津村郷の産土神として信仰の中心になっていたそうです。
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少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)
祭神は薬・医療・温泉・国土開発・醸造・交易の神であるが、少彦名神社では、薬の神として健康増進、交易の神として商売繁盛の神徳があるとされている。医薬にゆかりのある祭神を祀っていることから、医薬業に携わる会社・関係者などの信仰を集めている。また、病気平癒・健康祈願や医薬業関連の資格試験合格を願う参詣者も多い。近年ではペットの病気平癒・健康祈願に参拝する人も多い。伊勢講から始まった神社でもあるため、伊勢神宮のお札を求める参拝者で正月は賑わうそうです。
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この後、五代友厚さんの銅像などを巡った(後述)後、大阪城梅林まで歩きました。
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大阪城梅林(おおさかじょうばいりん)
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五代友厚さんの銅像めぐり

大阪取引所、光世証券、大阪商工会議所横、大阪企業家ミュージアムの銅像などをめぐりました。

当日は大阪企業家ミュージアム、大阪取引所を巡る「大阪の恩人『五代友厚』スタンプラリー2019」が実施されていました。

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五代友厚(ごだいともあつ)
薩摩藩士の次男として生まれた五代友厚。藩校の造士館や長崎で学び、上海への渡航や薩英戦争を経験した後、1865(慶応元)年から翌年にかけて、薩摩藩の留学生とともにイギリスほかヨーロッパ各国を巡りました。明治維新となった1868(明治元)年、政府の外国事務局判事や大阪府権判事、会計官権判事などに任じられ、大阪に赴任しました。 この時、大阪に造幣寮(現・造幣局)を設立しています。翌年、政府の役人を退官。大阪で実業の世界に入り、以後、鉱山、紡績、製塩、海運、鉄道など数多くの事業に携わったほか、大阪株式取引所(現・大阪取引所)や大阪商法会議所(現・大阪商工会議所、初代会頭)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)などの設立にも関与し、大阪の産業・経済の発展に力を尽しました。この業績から、「東の渋沢栄一、西の五代友厚」とも称されているそうです。

大阪取引所前の五代友厚像
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光世証券の五代友厚像
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大阪商工会議所横の五代友厚像
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大阪企業家ミュージアム
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五代友厚の胸像が設置されています。
撮影禁止のため写真はありません。


ご訪問していただきありがとうございました。



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