04.西区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]
「04.西区をあるく」に参加してきました。(20180626)
靭公園
大阪西区の歴史ある街並みを歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温31.6℃。暑かったですが、気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所京セラドームを出発して天満宮行宮、土佐稲荷神社、竹林寺、大阪府庁跡、川口居留地跡を経由して靭公園まで歩きます。
集合場所の京セラドーム
集合場所を出発して京セラドームをほぼ一周します。
途中で少し休憩を挟んだ後、天満宮行宮、土佐稲荷神社に向かいます。
天満宮行宮(てんまんぐうあんぐう)
大阪天満宮の行宮(御旅所)。寛永年間(1624~1645年)、後の雑喉場となる京町堀川に設置、その後、寛文年間(1661~1672年)に戎島(西区本田)、1871年に松島(西区千代崎)へと移転したそうです。
土佐稲荷神社(とさいなりじんじゃ)
かつての土佐藩の大阪蔵屋敷といわれる土佐藩邸。毎年3月下旬より『夜ざくら行事』が10日間開催され、夜桜の名所として親しまれる神社。三菱グループ発祥の地だそうです。
松島公園に向かいます。
松島公園に着きました。
松島公園の横に竹林寺がありました。
竹林寺(ちくりんじ)
香西哲雲(こうさいしょううん)が建立。浄土宗の寺院で、九条開発の時、自然に生じた「三股の竹」から阿弥陀如来の小像が現れた事から「竹林寺」と名付けたと伝えられたそうです。
松島公園で少し休憩後、大阪府庁跡、川口居留地跡に向かいます。
松島橋の北側の木津川沿いが綺麗に整備されていました
大阪府庁跡(おおさかふちょうあと)
大正15年11月に移転、その後半世紀に渡ってこの地で大阪府政が行われていたそうです。
川口居留地跡(かわぐちきょりゅうちあと)
明治元年大阪開港と同時に、この付近約26,000平方メートルに外国人居留地が設けられ、諸外国に競売された。そこには街路樹が植えられ、石油ランプの街灯、舗装道路に沿ってバンガロー風の洋館が並んだ。この一角は治外法権を有し特権をふるったが、付近は大阪人には新奇さに満ちた名所であった。明治32年条約改正により居留地は廃止され、大阪市にひきつがれた。川口の港の機能低下により、居留民は神戸へと離れて行ったが、あとへはキリスト教関係者が定住、病院・学校(特に女子教育)の経営に力が注がれたそうです。
この後、靭公園に向かいます。
安治川沿いの倉庫横を歩きます。
西区のビルの谷間を歩きます。
靭公園に着きました。
靭公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、サムハラ神社、四ツ橋遺跡、和光寺を経由して湊町リバープレイスまで歩きました。
靭公園を出発します。
右側はテニスコートです。
サムハラ神社(さむはらじんじゃ)
サムハラという言葉の語源はチベットで古くから使われている「シャンバラ」という言葉が元になっているとされ、幸福についての維持や収集、平和といった言葉が秘められている。また特別な気のエネルギーを感じられるとされており、合気道の守護神としても崇められているそうです。
オリックス劇場の前を通過します。
旧大阪厚生年金会館です。
四ツ橋遺跡
和光寺(わこうじ)
1698年堀江新地開発のとき、幕府の命により、境内1800坪を永代寺地に定められ、智善上人が長野の善光寺本尊出現の霊地として寺堂を建立し、「蓮池山智善院和光寺」と称したのに始まる。江戸時代には本堂のほかに、観音堂、閻魔堂、愛染堂、薬師堂、金毘羅権現など10以上の諸堂を数え、境内には店屋が軒を連ね、門前には芝居が興行され、大いに賑わった。1945年3月の空襲で、本堂を始め、諸堂、庫裡が全焼した。戦後の区画整理のため、境内地は随分と削られたが、1947年には仮堂を建立、その後、放光閣、庫裡と再建し、1961年には本堂の再建が成ったそうです。
この後、湊町リバープレイスまで歩きました。
湊町リバープレイス
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
靭公園
大阪西区の歴史ある街並みを歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温31.6℃。暑かったですが、気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所京セラドームを出発して天満宮行宮、土佐稲荷神社、竹林寺、大阪府庁跡、川口居留地跡を経由して靭公園まで歩きます。
集合場所の京セラドーム
集合場所を出発して京セラドームをほぼ一周します。
途中で少し休憩を挟んだ後、天満宮行宮、土佐稲荷神社に向かいます。
天満宮行宮(てんまんぐうあんぐう)
大阪天満宮の行宮(御旅所)。寛永年間(1624~1645年)、後の雑喉場となる京町堀川に設置、その後、寛文年間(1661~1672年)に戎島(西区本田)、1871年に松島(西区千代崎)へと移転したそうです。
土佐稲荷神社(とさいなりじんじゃ)
かつての土佐藩の大阪蔵屋敷といわれる土佐藩邸。毎年3月下旬より『夜ざくら行事』が10日間開催され、夜桜の名所として親しまれる神社。三菱グループ発祥の地だそうです。
松島公園に向かいます。
松島公園に着きました。
松島公園の横に竹林寺がありました。
竹林寺(ちくりんじ)
香西哲雲(こうさいしょううん)が建立。浄土宗の寺院で、九条開発の時、自然に生じた「三股の竹」から阿弥陀如来の小像が現れた事から「竹林寺」と名付けたと伝えられたそうです。
松島公園で少し休憩後、大阪府庁跡、川口居留地跡に向かいます。
松島橋の北側の木津川沿いが綺麗に整備されていました
大阪府庁跡(おおさかふちょうあと)
大正15年11月に移転、その後半世紀に渡ってこの地で大阪府政が行われていたそうです。
川口居留地跡(かわぐちきょりゅうちあと)
明治元年大阪開港と同時に、この付近約26,000平方メートルに外国人居留地が設けられ、諸外国に競売された。そこには街路樹が植えられ、石油ランプの街灯、舗装道路に沿ってバンガロー風の洋館が並んだ。この一角は治外法権を有し特権をふるったが、付近は大阪人には新奇さに満ちた名所であった。明治32年条約改正により居留地は廃止され、大阪市にひきつがれた。川口の港の機能低下により、居留民は神戸へと離れて行ったが、あとへはキリスト教関係者が定住、病院・学校(特に女子教育)の経営に力が注がれたそうです。
この後、靭公園に向かいます。
安治川沿いの倉庫横を歩きます。
西区のビルの谷間を歩きます。
靭公園に着きました。
靭公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、サムハラ神社、四ツ橋遺跡、和光寺を経由して湊町リバープレイスまで歩きました。
靭公園を出発します。
右側はテニスコートです。
サムハラ神社(さむはらじんじゃ)
サムハラという言葉の語源はチベットで古くから使われている「シャンバラ」という言葉が元になっているとされ、幸福についての維持や収集、平和といった言葉が秘められている。また特別な気のエネルギーを感じられるとされており、合気道の守護神としても崇められているそうです。
オリックス劇場の前を通過します。
旧大阪厚生年金会館です。
四ツ橋遺跡
和光寺(わこうじ)
1698年堀江新地開発のとき、幕府の命により、境内1800坪を永代寺地に定められ、智善上人が長野の善光寺本尊出現の霊地として寺堂を建立し、「蓮池山智善院和光寺」と称したのに始まる。江戸時代には本堂のほかに、観音堂、閻魔堂、愛染堂、薬師堂、金毘羅権現など10以上の諸堂を数え、境内には店屋が軒を連ね、門前には芝居が興行され、大いに賑わった。1945年3月の空襲で、本堂を始め、諸堂、庫裡が全焼した。戦後の区画整理のため、境内地は随分と削られたが、1947年には仮堂を建立、その後、放光閣、庫裡と再建し、1961年には本堂の再建が成ったそうです。
この後、湊町リバープレイスまで歩きました。
湊町リバープレイス
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。