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平野環濠跡から喜連瓜破界隈を歩く(大阪) [ウォーキング大阪市]

「平野環濠跡から喜連瓜破界隈を歩く」に参加してきました。(20180628)

大念佛寺
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大阪平野環濠跡、喜連瓜破の街並みを歩いてきました。

当日は曇り、最高気温25.8℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所平野駅近くの北平野公園を出発して東之坊、杭全神社、大念佛寺、全興寺、瓜破天神社を経由して瓜破霊園まで歩きます。

平野駅近くの北平野公園
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北平野駅を出発して直ぐに東之坊(正覚寺廃寺)に着きました。

東之坊(正覚寺廃寺)
正覚寺は成等山と号し、淳和天皇天長2年 (825年)弘法大師の開創で、境内四町四方にわたり観音堂、金堂、講堂、六時堂のほか、山門廻廊など壮大で美しく、東之坊ほか五坊を有する大寺院であった。大師作十一面観音を本尊として(現在当坊の本尊)幅広い層の人々の信仰を集め、楠木正成もしばしば参詣したといわれるが、明応2年(1493年)いわゆる正覚寺合戦により、壮大を誇った伽藍も焼失し、以来廃寺となったそうです。
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杭全神社に向かいます。
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杭全神社(くまたじんじゃ)
平安時代の初め貞観4年(862年)に坂上廣野麿の子当道が、素盞鳴尊を氏神として祀ったのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰をあつめた。第二殿第三殿は永正10年(1513年)造営の記録があり第一殿とともに重要文化財に指定されている。境内には、全国で唯一、連歌所が残っており、市の文化財に指定されている。また、大くすの木は、樹齢850年以上と伝えられ、府の天然記念物に指定されている。毎年4月の御田植神事では、一年間の農作業の手順が猿楽の所作でユーモラスに表現され、7月の夏祭りでは氏地各町から出る九台の地車が勇壮に曳行されるそうです。
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大念佛寺に向かいます。
道路わきに向日葵が咲いていました。
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大念佛寺に着きました。
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大念佛寺(だいねんぶつじ)
融通念仏宗の総本山で、大治2年(1127年) 聖応大師(良忍上人)が建立したものである。当寺には国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勘進帳」等があり、総本山特別行事として1・5・9月のそれぞれ16日に百万遍会(大数珠くり)、5月1日~5日の阿弥陀経万部会(万部おねり)はことに有名である。また、本堂は、木造の建物では大阪府下最大のものだそうです。

本堂は冒頭の写真です。

平野本町商店街を歩いて全興寺に向かいます。
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全興寺(ぜんこうじ)
平野がまだ広々とした野であったころ、ここに薬師堂が建てられ、そこを中心に人が住みはじめ、平野の町がしだいに広がっていったといわれる。本尊は薬師如来で、聖徳太子の作と伝えられている。また、当寺には、真田幸村が樋之尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷によって飛来したという伝説をもつ「首の地蔵尊」や湛慶作と伝えられる「太子の像」がある。境内には、「地獄堂」や「水琴窟」「駄菓子屋さん博物館」もあり、見どころが多いそうです。
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少し休憩後、瓜破霊園に向かいます。

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瓜破天神社(うりわりてんじんしゃ)
僧道昭がこの地で修行中天神の霊像が出現した。そこで瓜を割って供えたが、この伝承が瓜破という地名の起源のひとつといわれている。道昭は、当地の出身と伝えられ白雉4年(653年)遣唐使に従って入唐し、玄弉三蔵の教えを受け、帰国後諸国を遍歴して庶民に慕われたことが、続日本紀にみられるそうです。
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瓜破霊園はすぐ近くです。
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瓜破霊園(うりわりれいえん)
大阪市設。霊園内には、弥生時代の代表的な遺跡跡である「瓜破遺跡」や、5世紀頃の古墳「花塚山古墳」があり、歴史の散歩コースとしても知られている霊園だそうです。

瓜破霊園横の公園で昼食休憩になりました。
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昼食休憩後、平野公園を経由して加美駅まで歩きました。

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平野公園を通過して加美駅まで歩きました。

加美駅
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ご訪問していただきありがとうございました。




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