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大河淀川展望と大川散策(大阪) [ウォーキング大阪市]

「大河淀川展望と大川散策」に参加してきました。(20171101)

淀川右岸河川公園
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大阪淀川・大川沿いなど散策してきました。

当日は晴れ、20.2℃。気持の良いウォーキングになりました。


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集合場所扇町公園を出発して凌雲閣跡、網敷天満宮御旅所、十三大橋、淀川右岸河川公園、長柄橋、毛馬閘門、与謝蕪村生誕碑を経由して蕪村公園まで歩きます。

扇町公園
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扇町公園を出発します。
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凌雲閣跡(りょううんかくあとひ)
明治のはじめ、文明開化の時代には、高層の展望台をつくることが流行しました。凌雲閣はその代表的なもののひとつです。当時このあたり一帯は、鶴の茶屋などの料亭が立ち並んでいました。鶴野町や茶屋町といった地名は、その名残です。そこに茶店や温泉、ボート遊びのできる池などが並んだ「有楽園」という公園がつくられました。その中心となる施設として、堂島浜の壇重三という人の発案で、明治22年(1889)に建てられたのが凌雲閣です。構造についてはいくつかの説がありますが、木造九階建で、高さは130尺(約39メートル)、一・二階は五角形、三階から八階は八角形、らせん状に通路が巡り、九階部分には丸屋根の展望台と時計台(時辰台)がありました。難波に築かれた五階建の展望台である眺望閣が、「南の五階」と呼ばれたのに対して、凌雲閣は「北の九階」あるいは「北野の九階」として親しまれました。いつ頃まで建っていたのかはよくわかりませんが、昭和のはじめには撤去されて広場となっていたそうです。
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綱敷天神社御旅社(つなしきてんじんしゃおたびしゃ)
一千百年ほど昔の、延喜元年(西暦九〇一年)に、平安時代の学者であり政治家でもあらされた菅原道眞公が無実の罪をきせられ京都より九州の太宰府へと左遷された際に、この梅田の地で今を盛りと咲いていた紅梅に目を留められ、それをご覧になるため、乗ってこられた船の艫綱(陸と船をつなぐ綱)を円く円座状に敷いてご覧になられました。その由縁より、「綱を敷く」という意味から「綱敷天神社」と称され今に至る。「御旅社」は神様の別荘のようなもので、大阪市北区神山町に御鎮座されます綱敷天神社御本社の神様が夏の渡御祭の際に、地元梅田の町が平穏であるかどうかご覧になられ、その時にお休みになられる為のお社が御旅社。この御旅社は元々御本社の南にあり、古くには「梅塚天神」とも称され、菅原道眞公がご覧になられた紅梅がありましたが、明治の初年頃にこの梅田・茶屋町の氏神さまとしてお迎えしたいと土地の寄進があり、現在の地に鎮座。故に臨時で設けられる普通の御旅所とは異なり、常に御祭神が鎮座まします御旅所という事で、当神社では正式には「御旅社」と申します。現在の社殿は昭和五十九年に旧社殿の老朽化と、梅田の地を幾度も襲った淀川の洪水から御神体をお守りするために立て直されたもので、今も昔も変わらず、梅田の街を行き交う人々を見守られておられるそうです。
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梅田界隈を眺めた後、十三大橋に向かいます。
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十三大橋
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十三大橋を渡ると淀川右岸河川公園を歩きます。

淀川右岸河川公園
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東海道本線の下を通過します。
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長柄橋を渡ります。
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淀川大堰(よどがわおおぜき)
淀川大堰は必要な水を使えるように水の高さを調節したり、海の水が流れ込まないようにする施設。長さは330mあるそうです。
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毛馬閘門(けまこうもん)
毛馬閘門は、水面の高さが違う大川などの市内の川と淀川を船が行き来するためにつくられたそうです。毛馬閘門は毛馬から大川(旧淀川)を経由して大阪湾に流れる川の制御。一方、淀川大堰は毛馬から西へ流れる淀川の水量の制御をしているそうです。淀川は古くから洪水、治水を繰り返してきた。淀川大堰の完成にはオランダ人ヨハネス・デ・レーケ(1842-1913)助言を受けたそうです。
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与謝蕪村生誕碑(よさ ぶそんせいたんひ)
俳人・画人として近世文芸史上に不滅の足跡を残した与謝蕪村は享保元(1716)年当時の摂津国東成郡毛馬村に生まれた。17歳ころ江戸に下り、さらに10年近く放浪の旅を続けた後、36歳の秋、京都に居を構え、 その後、母の生地であった丹後に赴き、再び京都にもどりましたる。姓の「与謝」は丹後与謝郡にちなんで、改めたもの。淀川堤防上の碑にある、「春風や堤長うして家遠し」の句は、有名な「春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)」に、故郷の毛馬村への想いを託して詠まれたもので、蕪村自身の筆跡を拡大して刻まれたもの。現在の句碑は昭和55年に建立されたもので、旧句碑は、淀川河川公園の北区側に保存されているそうです。
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蕪村公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、大川沿いからJR 天満駅まで歩きました。

蕪村公園の近くにある淀川神社がありました。

淀川神社(よどがわじんじゃ)
明治42年(1909)政府の神社合祀令により、城北村大字毛馬(現毛馬町、大東町)の氏神である八幡神社が大阪市北区中野町(現中野町)の櫻宮に、また城北村大字友渕(現友渕町、毛馬町の一部)の氏神である十五神社が古市村大字南島(現旭区)の大宮神社に合祀されました。 のち毛馬・友渕の両地域では失われた神社復興の願いが強く、昭和26年(1951)に旧十五神社の境内地と社殿を用いて、旧十五神社と旧八幡神社を合祀し、毛馬町・友渕町・大東町の総鎮守として再建されたのが淀川神社です。祭神は天照皇大神と八幡大神だそうです。
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大川沿いを歩きます。
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飛翔橋を渡ります。
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この後、天満駅まで歩きました。

ご訪問していただきありがとうございました。



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