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ミステリーウォーク平野区(大阪) [ウォーキング大阪市]

「ミステリーウォーク平野区」に参加してきました。(20171026)

大念佛寺
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大阪平野区の歴史的な街並みなどを歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温22.7℃。秋晴れの気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所加美駅近くの菅原神社を出発して平野下水処理場、畠山政長墓所、旭神社正覚寺城跡、杭全神社を経由して大念佛寺まで歩きます。

菅原神社(すがはらじんじゃ)
もと天児屋根尊を祀り橘宮と称したが、のちに天神社と称して、菅原道真公を祀る。創建の年月は明らかではないが、鬼門除けの神として信仰を集め、境内の砂を持ち帰る風習があった。明治5年村社となり、さらに40年10月南鞍作村の無格社天照皇大神社、41年10月鞍作、新家村の村社菅原神社を合祀した。しかし、新家村の天神社は近時旧地に戻って独立した。神社奥には、鞍作、南鞍作、新家の三ヶ村を潤した三鞍作用水樋門の記念碑があるそうです。
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菅原神社を出発して、平野下水処理場に向かいます。
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平野下水処理場
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平野下水処理場から南に向かって歩き、畠山政長墓所、旭神社に向かいます。

畠山政長墓所(はたけやままさながぼしょ)
畠山政長は、室町幕府管領(将軍を補佐し政務を統括する職名)で河内・紀伊・越中の守護をも兼ねていた。管領畠山持国のとき、その家督相続をめぐり持国実子義就と甥・政長との間に争いが起った(応仁の乱の一因)。政長は将軍足利義材(義稙)と共に正覚寺に本陣をおき、義就と対陣し、義就の死後河内の平定にのり出した。しかし、明応2年(1493年)義就の子義豊の逆襲にあい、あえなく敗北した。この兵火のため、壮大を誇った正覚寺の伽藍も焼失した。世にいう「正覚寺合戦」だそうです。
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旭神社・正覚寺城跡 (あさひじんじゃしょうがくじじょうあと)
古来から治水雨乞いの神として信仰を集め、祈雨祈願所として知られた。淀城主稲葉丹後守正益が寛延2年(1749年)に奉納した灯籠二基が現存し、また境内には樹齢600年以上のくす、いちょう、むくの木など天然記念物に指定された古樹がある。祭神は素盞鳴尊で、創建の年月は明らかでないが、縁起により天平5年(733年)頃と推測される。正覚寺城跡は現在、旭神社の境内になっているそうです。
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少し休憩後、杭全神社、大念佛寺に向かいます。
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杭全神社(くまたじんじゃ)
平安時代の初め貞観4年(862年)に坂上廣野麿の子当道が、素盞鳴尊を氏神として祀ったのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰をあつめた。第二殿第三殿は永正10年(1513年)造営の記録があり第一殿とともに重要文化財に指定されている。境内には、全国で唯一、連歌所が残っており、市の文化財に指定されている。また、大くすの木は、樹齢850年以上と伝えられ、府の天然記念物に指定されている。毎年4月の御田植神事では、一年間の農作業の手順が猿楽の所作でユーモラスに表現され、7月の夏祭りでは氏地各町から出る九台の地車が勇壮に曳行されるそうです。
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平野川を渡ります。
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市の口地蔵
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大念佛寺(だいねんぶつじ)
融通念仏宗の総本山で、大治2年(1127年) 聖応大師(良忍上人)が建立したものである。当寺には国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勘進帳」等があり、総本山特別行事として1・5・9月のそれぞれ16日に百万遍会(大数珠くり)、5月1日~5日の阿弥陀経万部会(万部おねり)はことに有名である。また、本堂は、木造の建物では大阪府下最大のものだそうです。
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大念佛寺で昼食休憩になりました。

昼食休憩後、平野駅跡プロムナード、全興寺、平野公園、奥田邸を経由して加美駅まで歩きました。

平野駅跡プロムナード(ひらのえきあとぷろむなーど)
このプロムナードは、チンチン電車の愛称で親しまれた南海電鉄平野線の軌道跡地に設置された。昭和58年4月に完成。南海電鉄平野線は、大正3年4月に開通以来、多くの人々の交通手段として活躍したが、地下鉄谷町線の開通に伴い、昭和55年11月に廃止されたそうです。
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商店街を歩きます。
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全興寺に着きました。

全興寺(ぜんこうじ)
平野がまだ広々とした野であったころ、ここに薬師堂が建てられ、そこを中心に人が住みはじめ、平野の町がしだいに広がっていったといわれる。本尊は薬師如来で、聖徳太子の作と伝えられている。また、当寺には、真田幸村が樋之尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷によって飛来したという伝説をもつ「首の地蔵尊」や湛慶作と伝えられる「太子の像」がある。境内には、「地獄堂」や「水琴窟」「駄菓子屋さん博物館」もあり、見どころが多いそうです。
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赤留比売命神社(あかるひめのみことじんじゃ)
新羅より渡来の女神、赤留比売命を祀る。俗称の三十歩神社は、応永年間(1394~1428年)干ばつのとき、法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったので、三十部神社がなまったものという。また一説では祭神が「三十町歩」の土地を三十歩と聞きまちがえたためとも伝え、耳の神として信仰を集めた。社殿背後の土塁と松山池には、かつての環濠集落の名残りが見られる。
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平野公園
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奥田邸(おくだてい)
奥田家は、代々鞍作の庄屋をつとめていた。現在の屋敷の建築年代は明らかでないが、手法から江戸時代初期の豪農の家と考えられる。市内に残る数少ない民家である。 敷地をはじめ、主屋・座敷・長屋門・納屋など全体としての姿を知ることができる貴重なもので、国の重要文化財に指定されているそうです。
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この後、加美駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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