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熊野街道をあるく その3(大阪) [ウォーキング京街道_熊野街道]

「熊野街道をあるく その3」に参加してきました。(20171024)

大鳥神社
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今年のウォーキングの目標の一つ「熊野街道をあるく」に参加しました。

熊野街道
熊野街道は大阪天満の八軒家浜を起点として和歌山の熊野三山に至る街道です。
今回の「熊野街道をあるく」は大阪天満宮から東岸和田までを5回に分けて歩きます。


b熊野街道全体 (1).JPG



今回は第3回目として堺東駅から鳳駅まで歩きました。


当日は曇り、最高気温18.2℃。気持ち良いウォーキングになりました。

ウォーク票 (1).JPG



集合場所堺東駅を出発してザビエル公園、菅原神社、開口神社、住吉大社宿院頓宮、利晶の杜、神明神社、旧堺燈台を経由して大浜公園まで歩きます。

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堺東駅近くの堺市役所
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堺市役所を出発して暫く歩いた後、阪神高速沿いを歩きます。
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ザビエル公園に着きました。
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公園の前(東側)を路面電車が通っています。
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少し休憩後、菅原神社、開口神社、住吉大社宿院頓宮、利晶の杜に向かいます。

菅原神社(すがわらじんじゃ)
菅原道真自作の木像が堺の浜に漂着し、これを祭ったのがはじまりといわれています。天神さんと呼ばれ、堺戎(えべっさん)としても有名。鉄砲鍛冶・榎並屋勘左衛門の寄進により、延宝5年(1677年)に建てられたと伝えられる楼門(ろうもん)は大阪府指定有形文化財。これの特徴のひとつは軒を支える複雑な組物に、彫刻を刻んだ絵様肘木(えようひじき)という肘の形をした組物を用い建築技法を簡略化していることで、府下では数少ない楼門建築として貴重。また白壇や珍しい樹木、夏のホタル観賞、9月中旬の秋祭りのふとん太鼓でも知られているそうです。
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開口神社(あぐちじんじゃ)
行基が念仏寺、空海が宝塔を境内に建てたことで「大寺」とも呼ばれる塩土老翁神、素盞嗚神、生国魂神を祀る旧市内唯一の式内社。大寺縁起絵巻、伏見天皇宸翰御歌集、短刀銘吉光は国指定の重要文化財だそうです。
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住吉大社宿院頓宮(すみよしたいしゃしゅくいんとんぐう)
住吉大社の御旅所としての神社で、文化13年(1816年)が始まりとされています。後に大鳥大社の摂社も遷座され、それ以来2柱の神様をお祀りしています。毎年7月31日には大鳥大社からの御渡り、8月1日には住吉大社からの御渡りと、飯匙堀(いいがいぼり)での荒和大祓神事が行われます。飯匙堀は海幸山幸の伝説により、潮干珠が埋められたところといわれ、どんなに雨が降っても水がたまらない不思議な場所とされているそうです。
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利晶の杜(りしょうのもり)
千利休と茶の湯を歴史文化から解き明かす「千利休茶の湯館」、歌人与謝野晶子の作品世界とその生き方に触れる「与謝野晶子記念館」、堺観光の基点となる「観光案内展示室」などがあります。千家茶道由来の地である千利休屋敷跡に面した「茶の湯体験施設」では、表千家・裏千家・武者小路千家のお点前により椅子席でお抹茶とお菓子を味わっていただく立礼呈茶や、茶道三千家の指導のもとお茶を点てる茶室お点前体験などが楽しめる。また、千利休がつくった茶室で唯一現存する国宝の茶室「待庵」の創建当初の姿を復元した「さかい待庵」があり、外観の見学だけではなく、その室内まで入ることもできるそうです。
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この後、神明神社、旧堺燈台から大浜公園に向かいます。

神明神社(じんめいじんじゃ)
由緒書によれば、天保3年(1832年)には当地に宇迦之御魂神(稲荷神)・住吉大神・金山毘古大神を祀る旭神社があったそうです。その後、天保12年(1841年)に堺奉行の水野若狭守(みずのわかさのかみ)が当町の繁栄・発展を祈り、地域の氏神として新たに天照大御神・豊受大御神を主祭神として合祀して神明社としたことが、当社の創建とされているそうです。
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旧堺港
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旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)
堺のシンボルの一つとして保存。現地に現存する日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡に指定されているそうです。
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大浜公園
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ここで昼食休憩になりました。


昼食休憩後は蘇鉄山、船待神社、石津神社、大鳥神社を経由して鳳駅まで歩きました。

蘇鉄山(そてつやま)
蘇鉄山は大阪湾に面し、幕末には黒船来航に備えてお台場(砲台)が築かれた場所を、明治12年(1879年)に大浜公園として解放され展望のよい築山として整備されたところです。蘇鉄山の約300m東南にあった御蔭山の頂に、近代地図作成のための基準点となる一等三角点が明治18年(1885年)に設定されました。その後御蔭山が削られ、昭和14年(1939年)に蘇鉄山の標高6.97mの所に移設されたものです。現在一等三角点の設置されている日本一低い山となっています。御蔭山は天保年間に港と水路浚渫により造られた山で、同時期に川浚えの土砂を積み上げてできた大阪の天保山とは兄弟関係にあたるそうです。
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宿院通近くです。
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ここからブロック地図2に沿って歩きます。

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船待神社(ふなまちじんじゃ)
当神社は元塩穴郷にあり塩穴天神社といわれ天穂日命を祀る。その後延喜元年1月(人皇第六十代醍醐天皇の御代)菅原道真公が太宰府へ下る途中河内道明寺を経てこの地に来たり船を待つ間この地に祀られてあった菅原道真公の遠い先祖に当たる天穂日命の祠に参拝し松の樹を植えて出発した。その後長保三年(1001)1月15日(一条天皇の御代)菅原朝臣為紀という人がこの地に来たときに残した種々の跡を調べ官にお願いして天穂日命の社に菅原道真公を合祀し船待天神社と改めた。その後寛治年中(1087~93)に塩穴郷より今の湊の地に再建されたものだそうです。
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石津神社(いしづじんじゃ)
八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、天穂日神(あめのほひのかみ)を祀っています。境内には、本殿・幣殿・拝殿・御輿倉と野見宿禰神社・天満宮があるそうです。
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熊野街道の標識がありました
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大鳥神社(おおとりじんじゃ)
和泉の一の宮、大鳥造の本殿は古代神社建築の1つ。日本武尊が死後、白鳥となって最後に留まった地に、周辺の人々が白鳥を祭るため建てた社が大鳥神社であると伝えられている。境内種々の樹木があり「千種の森(ちぐさのもり)」と呼ばれている。また、菖蒲園には10万本のしょうぶが群生しており、6月には一般に公開されるそうです。
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この後、鳳駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。




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