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泉北の公園から西高野街道を巡る(大阪) [ウォーキング大阪府南部]

「泉北の公園から西高野街道をめぐる」に参加してきました。(20170903)

西高野街道
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大阪泉北の歴史的な街並みと西高野街道を歩いてきました。

当日は晴れ、31℃。暑かったですが、気持の良いウォーキングになりました。


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集合場所泉ケ丘駅を出発して大蓮公園、高倉寺、高倉公園、三原公園を経由して陶荒田神社まで歩きます。

泉ケ丘駅近くの大型児童館ビッグバン前の広場
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ビッグバン前の広場を出発して、大蓮公園を歩きます。

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高倉寺に着きました。

高倉寺(たかくらじ)
高倉寺は、南区高倉台に所在する真言宗寺院。『行基年譜』によると、当寺は行基建立の四十九院のひとつで、修恵院(だいすえいん)と呼ばれ、慶雲2年(705)行基38歳の開創。また寺伝によると、高倉天皇1161~1181)がお越しになられ、「大修恵山高倉寺」の称号を賜ったと伝えられています。天正13年(1585)の根来(ねごろ)攻めによる兵火で伽藍(がらん)を焼失したと伝えられていますが、その後再建され、現在境内には、金堂をはじめ多くの仏堂が小高い丘の上に密集して建ち、江戸時代の濃密な寺院空間を今に伝えているそうです。
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高倉公園、三原公園に向かいます。
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三原公園で休憩した後、陶荒田神社に向かいます。

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陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)
崇神天皇の頃の創建と伝えられ、5世紀頃にはこの地で須恵器(陶器)の生産が盛んになり、「荒田直」という人が祖神を祀ったため、地名の“陶(古くは「陶邑」と呼ばれていました)”と人名の“荒田”から「陶荒田」と称されたといわれています。以来、陶器郷の氏神として、また陶器の生産に携わる業者の守り神として厚い信仰を集めているそうです。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、西高野街道、出雲大社大阪分祀、白鷺公園を経由して白鷺駅まで歩きました。

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西高野街道(にしこうやかいどう)
五つの旧街道の一つ、西高野街道は平安時代に天皇・貴族を中心に盛んになった高野山詣の道として整備され、その後、高野聖(ひじり)の納骨や庶民の参詣の道となりました。また、江戸時代には堺の町人をはじめとした、米・酒・綿などの通商の幹線としてにぎわう全盛期をむかえ、堺と高野山との物資輸送の主要道となり、関茶屋には道標のほかにも地蔵堂、祠、旧家のまち並みが時代をしのばせているそうです。
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出雲大社大阪分祀(いずもたいしゃおおさかぶんし)
出雲大社からの分祠。大国主命に加えて、大阪分祠となる前から火之迦倶槌神を主祭神としており、縁結び・悪因縁解除などに御利益のある神社として有名。地元では「初芝さん」と呼ばれ、親しまれているそうです。
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白鷺公園
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この後、白鷺駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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