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14.城東区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「城東区をあるく」に参加してきました。(20170808)

八劔神社
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大阪城東区の歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は曇り、晴れ、途中から雨が降り出し、気温は30.5℃。蒸し暑い中のウォーキングでした。

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集合場所JR 京橋駅を出発して若宮八幡大神宮、皇大神宮、栄照寺、巡航船の船着き場跡、西放出公園を経由して左専道公園まで歩きます。

集合場所JR 京橋駅近くの広場
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京橋東側界隈を通ります。
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蒲生行者講の前を通り、若宮八幡大神宮に向かいます。

蒲生行者講(がもうぎょうじゃこう)
蒲生行者講は、三百余年の間、蒲生村民の安全と繁栄を念じてきました。大峯山上の行場で厳しい山行を終えて下山してきた人に、体をまたいでもらうと強くなるというので、人々は、道に横たわってまたいでもらったそうです。大峯山の麓(洞川)の宿場の元禄時代の宿帳に、この講の講まいりの記録が残されています。町の守護神として祠られている不動明王や役行者、弘法大師像などは、大正末期から昭和の初期に建てられ、近在の人たちにより手厚くお奉りされているそうです。
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若宮八幡大神宮(わかみやはちまんだいじんぐう)
若宮八幡大神≪仁徳天皇≫を祭神とする神社で、創建年月は定かではありません。社地は、昔から村内の小さな丘にあって、楠や榎などの大木がうっそうと繁り、昼なお暗い感があったと伝えられています。中でも楠の老大樹は、明治18年(1885年)まで神木として崇敬されていました。境内にあるクスノキやムクノキなど11本の樹木が、平成9年10月31日大阪市保存樹林に指定されました。大坂冬の陣のとき、徳川方の佐竹義宣が境内に陣を張り、戦勝祈願したといわれているそうです。
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今福・蒲生の戦いの跡を通過して皇大神宮へ向かいます。

今福・蒲生の戦いの跡(いまふく・がもうのたたかいのあと)
慶長19年(1614年)、大坂城攻撃のため、現在の天王寺、茶白山に本陣を置いた徳川家康の命により、今福・蒲生は秋田城主佐竹義宣、鴫野には米沢城主上杉景勝が、大軍の陣を置いた。今福・蒲生と鴫野は大坂城の東北に位置している。旧大和川(1704年に付け替えられ、現在は大阪市と堺市の境にある。)をはさんで佐竹軍は北側の今福・蒲生、上杉軍は南側の鴫野と、南北に布陣した。豊臣秀頼は大野治長に命じて三重の柵を造り、この地域を守っていたそうです。
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皇大神宮(こうたいじんぐう)
皇大神宮は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭神とし、神宮様と称して広く崇敬され栄えてきた由緒ある神社です。現在の社殿は、寛保2年(1742年)、天保13年(1842年)、明治13年(1880年)に改修され、昭和7年(1932年)に大阪城の設計を手がけた古川重春氏の設計により改築された、桃山様式の風雅な流造の社殿です。平安時代末期に摂津国今福村が開発された時、同地に天照大御神をお祀りしたのが始まりと伝えられているそうです。
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栄照寺(えいしょうじ)
鐘の位置が本堂の屋根の横に設置されていました。
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巡航船の船着き場跡(じゅんこうせんのふなつきばあと)
江戸時代から明治時代にかけて寝屋川は、大阪の市街と北河内・中河内をつなぐ交通の要路で、今福は茨田地区の「浜」とともにその中継地として栄えたところです。大正の初期、巡航船は寝屋川の天満橋から片町-鴫野橋-朝日橋を経て、新喜多大橋(今福南1丁目)までを往復し、一時は上流の徳庵まで運行していたこともあります。昭和初期に市バスが寝屋川北岸の片町・極楽橋間に乗り入れるまで、大阪砲兵工廠に通勤する人や学校に通う学生たちなどの重要な交通手段として10年余り活躍しました。今福の船着場は、現在の新喜多大橋と新喜多橋の中ほどにあったそうです。
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楠根川跡緑陰歩道(くすねがわあとりょくいんほどう)
楠根川跡緑陰歩道は、楠根川が昭和44年(1969年)第二寝屋川開削により、放出・天王田・新喜多東間が埋め立てられたのち、その下流域であった新喜多橋南詰から布屋公園までの間を、昭和63年(1988年)に庭園や植栽を配置し、遊歩道として整備したものだそうです。
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西放出公園で休憩後、左専道公園に向かいます。
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左専道公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、 八劔神社、中浜下水処理場を経由してJR 大阪城公園駅まで歩きました。

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八劔神社(やつるぎじんじゃ)
応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、八劔大明神・武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)・罔象女大神(みづはのめのおおかみ)を祭神としています。宝暦年間に京都下鴨の神主が記録した社記によれば、応永のはじめのある夜、鴫野村住民の夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡を此の地に垂れんと欲す。明日汝等出て来て吾を淀川の辺に迎えよ」とのお告げがあったので、翌日、村民十数人を呼んで河辺に来ると小蛇が陸に上がって行ったそうです。その姿は大変悠々としていて、一同がこれに従って行くと、小蛇は川を越えて当地に入り、その留まったところに小さな祠を建てて祀ったとされています。当社は、鴫野村の検地帳が保存され、近世の研究史料となっているそうです。
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大日寺(だいにちじ)
弘仁年間(810年~824年)に弘法大師が創建されたと伝えられています。ご本尊の大日如来は、「摂陽群談」第12巻にも弘法大師手造りの像と記載されています。本堂には大日如来のほか、如意輪観音(にょいりんかんのん)、不動明王(ふどうみょうおう)や釈迦如来(しゃかにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)などの優れた仏像が安置されているそうです。
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中浜下水処理場
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OBPのビル
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この後、大阪城公園駅まで歩きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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