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茨木歴史街道ウォーク(大阪) [ウォーキング大阪府北中部]

「茨木歴史街道ウォーク」に参加してきました。(20170806)

西国街道
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大阪茨木の歴史的な街道、神社仏閣などを訪れてきました。

当日は晴れ、37.4℃、とても暑い中のウォーキングでした。

こまめに休憩、給水しながら、汗を一杯かいてきました。

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地図 (1).JPG


集合場所JR 茨木駅を出発してレンガのトンネル、総持寺、磯良神社、新屋坐天照御魂神社、安養寺を経由して耳原公園まで歩きます。

JR 茨木駅
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茨木駅から暫く歩いた後、元茨木川緑地を北に歩きます。
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レンガのトンネルを通過します。。

レンガのトンネル
1876年(明治9年)に東海道本線が開通してから、今も現役で、生活の道路として地元の人たちに利用されている、レンガで造られたトンネルどそうです。
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安威川に架かる橋を渡ります。
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総持寺(そうじじ)
総持寺は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所。本尊は千手観音だそうです。
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総持寺で休憩した後、磯良神社などを経由して耳原公園に向かいます

磯良神社(いそらじんじゃ)
古くから「疣水(いぼみず)さん」と呼ばれ親しまれています。もと天照御魂神社(あまてらすみたまじんじゃ)の境内社でしたが、寛文年間(1661年~1662年)に分かれ現在に至っているそうです。 神功皇后(じんぐうこうごう)が戦に行く時、自分が女であることから、このままの姿では敵に嘗(な)められるので、男装をし、顔をいかめしくするため疣(いぼ)を身につけようと思い、通りかかったこの神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている清水で顔を洗いました。すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔となりました。戦いが終り、磯良(いそら)神社に戦勝の報告をしたあと、再び社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、もとの美しい姿に戻ったので喜び勇んで大和の王城に帰りました。後に磯良神社は、疣水神社と呼ばれ、遠くからもこの清水をくみ取りに来る人が見られるようになったそうです。
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新屋坐天照御魂神社(にいやにいますあまてるみたまじんじゃ)
「新屋坐天照御魂」を社名とする神社は大阪府茨木市内に三社あり、延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座 並名神大月次新嘗 就中天照御魂神一座預相嘗祭」として記載される式内社(名神大社)。西福井が中心的な神社。社名にある「新屋」とは「新野」を意味し、古代における新開拓地の意味であるとされるそうです。今回訪れたのは西河原でした。
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西河原公園で休憩になりました。

横にある茨木市立西河原市民プールでは楽しそうに泳ぐ人が沢山いました。
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安威川沿いを歩きます。
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安養寺(あんようじ)
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耳原公園に着きました。
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、西国街道、郡山宿本陣、郡山公園を経由してJR 茨木駅まで歩きました。


西国街道
冒頭の写真の所を歩きました。

郡山宿本陣(こおりやまじゅくほんじん)
郡山宿は京都と西宮を結ぶ西国街道のほぼ真ん中に位置し、江戸時代には西国の大名などが参勤交代の時に宿泊しました。1718年に類焼にあい、1721年に再建されて以来、およそ290年間そのままの規模で残され、昭和23年に国指定史跡に指定された。御成門のそばにあった椿の木が毎年五色の花を咲かせたことから、「椿の本陣」と呼ばれ、人々に親しまれています。忠臣蔵で有名な赤穂城主、浅野内匠頭も宿泊した記録があるそうです。現在、本陣当主が生活されているそうです。
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郡山公園で休憩になりました。
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この後、ゴルフ場横を通りJR 茨木駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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