嵯峨、御室八十八カ所巡り(京都) [ウォーキング京都市]
「嵯峨、御室八十八カ所巡り」に参加してきました。(20161120)
仁和寺
秋色の中の京都嵯峨、御室八十八カ所などを訪れてきました。
当日は曇り、気温は21度と気持ちウォーキングになりました。
御室八十八カ所は初めてでしたが、小高い山の上り下りは結構疲れました。
ブログの最後に記載しました。
集合場所JR二条駅近くの公園を出発して二条公園、妙心寺前、雙ヶ岡を経由して仁和寺まで歩きます。
集合場所のJR二条駅近くの公園を出発します。
二条公園
妙心寺前を通過します。
JR花園駅前を通過して雙ヶ岡で休憩になりました。
雙ヶ岡(ならびがおか)
雙ヶ岡は標高116m。京都盆地における卓越した展望地点として昭和16年に国の名勝に指定されているそうです。
仁和寺(にんなじ)
真言宗御室派総本山。仁和2年(886年)光孝天皇が仏教の隆盛を図るため、「西山御願寺」の建立を発願され、宇多天皇が仁和4年(888年)年その造営を完成。ユネスコの世界文化遺産に登録。江戸時代の儒学者貝原益軒の「京城勝覧」という京都の名所の案内書にも、吉野の桜に比べて勝るとも劣らないと絶賛され、大正13年に国の名勝にも指定されたそうです。
仁和寺で昼食休憩になりました。
昼食休憩後に御室八十八カ所を巡りました。記事はブログの最後に記載しました。
御室八十八カ所を巡った後、再び、仁和寺で休憩になりました。
この後、遍照寺、兒(ちご)神社、大覚寺、清涼寺、落柿舎、野の宮神社を経由してJR嵯峨嵐山駅まで歩きました。
仁和寺を再び出発します。
京福電鉄の線路に紅葉がかかっていました。
遍照寺(へんじょうじ)
989年(平安時代中期)宇多天皇の孫,寛朝僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものである。嵯峨富士と云われる端麗な遍照寺山を映す広沢池には金色の観世音菩薩を祀る観音島があった。池畔に多宝塔、釣殿等、数々の壮大な伽藍を有する寺院であった。しかし寛朝僧正没後次第に衰微し,鎌倉時代,後宇多天皇により復興されたが後,応仁の乱で廃墟と化した。奇跡的に難を逃れた赤不動明王像と十一面観音像は、いずれも創建当時の作で定朝の父、康尚の作と云われ,現在国の重要文化財に指定されているそうです。
広沢池
兒神社(ちごじんじゃ)
広沢池西畔の児神社。祭神は遍照寺を建立した真言宗の寛朝を祀るそうです。
この後、千代の古道を経由して大覚寺、清涼寺、落柿舎、野の宮神社を巡ります。
千代の古道
大覚寺(だいかくじ)
嵯嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山。当山は嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観18年(876)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治2年(1307)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳3年(1392)当寺で南北両朝の媾和が成立した。宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。その外、御影堂(みえどう)、霊明殿(れいめいでん)、五大堂、安井堂、正寝殿(しょうしんでん)、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えているそうです。
清涼寺(せいりょうじ)
建立:895(寛平7)年頃。嵯峨の釈迦堂で知られる浄土宗の古刹。987年(寛和3)然(ちょうねん)が中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画。没後、弟子の盛算が棲霞寺に、師が宋より請来の釈迦如来立像を安置した。体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれているそうです。
落柿舎(らくししゃ)
松尾芭蕉門下の向井去来(蕉門十哲の一人)が庵を結んだ事が始まり。商人が柿を買う約束をしていたが一夜にして柿が落ちてしまった故事が落柿舎の名の由来と言われている。松尾芭蕉も直接訪れた落柿舎は、向井去来死後衰退し正確な場所が不明になり、1770(明和7)年、現在の地に再興されたそうです。
竹林の中を散策できるようになっていました。
野の宮神社(ののみやじんじゃ)
京都・嵯峨野の竹林の中にある野宮神社。ここは伊勢神宮にお仕えする皇女が身を清めた神聖な場所であり、源氏物語の「賢木(さかき)の巻」の中で、その様子が美しく描写されていることでも有名だそうです。また、良縁結びや子宝安産の神様がまつってあることから、1年中多くの女性で賑っているそうです。
この後、JR嵯峨嵐山駅まで歩きました。
以下は仁和寺の御室八十八カ所巡りの様子です。
御室八十八カ所(おむろはちじゅうはちかしょ)
仁和寺の北裏、成就山一帯にある霊場めぐり。1827年(文政10)、仁和寺29世門跡済仁が、寺侍に命じて
四国八十八カ所霊場の砂を持ち帰らせ開いたそうです。お堂や巡拝路が整備され京都の市街地も一望できました。
最初は阿波の国を歩きます。
一番札所
この後、成就山の頂上付近まで登りになります。
途中の休憩場所、見晴らしが良かったです。
紅葉の中を歩きます。
ここから伊予の国に入ります。
成就山頂上付近です。236mあるそうです。
京都市内が見渡せました。
この辺りからは下りになります。
ここから讃岐の国に入ります。
八十八か所の最後のお堂です。
直ぐに復活したのですが、ここだけ急にカメラが動かなくなりました。
以下の写真(1枚)はネットから引用させて頂きました。
御室八十八カ所巡りは約2時間あれば十分参拝出来る手頃なコース、通年いつでもご自由に参拝できるそうです。
また、仁和寺では、この御室八十八ヶ所霊場で「八十八ヶ所ウォーク」(スタンプ帳及びスタンプを頂ける)というイベントを年に数回開催しているそうです。
http://www.ninnaji.or.jp/hallowed_ground.html#walk
機会があれば、参加してみたいと思いました。
前回記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。
仁和寺
秋色の中の京都嵯峨、御室八十八カ所などを訪れてきました。
当日は曇り、気温は21度と気持ちウォーキングになりました。
御室八十八カ所は初めてでしたが、小高い山の上り下りは結構疲れました。
ブログの最後に記載しました。
集合場所JR二条駅近くの公園を出発して二条公園、妙心寺前、雙ヶ岡を経由して仁和寺まで歩きます。
集合場所のJR二条駅近くの公園を出発します。
二条公園
妙心寺前を通過します。
JR花園駅前を通過して雙ヶ岡で休憩になりました。
雙ヶ岡(ならびがおか)
雙ヶ岡は標高116m。京都盆地における卓越した展望地点として昭和16年に国の名勝に指定されているそうです。
仁和寺(にんなじ)
真言宗御室派総本山。仁和2年(886年)光孝天皇が仏教の隆盛を図るため、「西山御願寺」の建立を発願され、宇多天皇が仁和4年(888年)年その造営を完成。ユネスコの世界文化遺産に登録。江戸時代の儒学者貝原益軒の「京城勝覧」という京都の名所の案内書にも、吉野の桜に比べて勝るとも劣らないと絶賛され、大正13年に国の名勝にも指定されたそうです。
仁和寺で昼食休憩になりました。
昼食休憩後に御室八十八カ所を巡りました。記事はブログの最後に記載しました。
御室八十八カ所を巡った後、再び、仁和寺で休憩になりました。
この後、遍照寺、兒(ちご)神社、大覚寺、清涼寺、落柿舎、野の宮神社を経由してJR嵯峨嵐山駅まで歩きました。
仁和寺を再び出発します。
京福電鉄の線路に紅葉がかかっていました。
遍照寺(へんじょうじ)
989年(平安時代中期)宇多天皇の孫,寛朝僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたものである。嵯峨富士と云われる端麗な遍照寺山を映す広沢池には金色の観世音菩薩を祀る観音島があった。池畔に多宝塔、釣殿等、数々の壮大な伽藍を有する寺院であった。しかし寛朝僧正没後次第に衰微し,鎌倉時代,後宇多天皇により復興されたが後,応仁の乱で廃墟と化した。奇跡的に難を逃れた赤不動明王像と十一面観音像は、いずれも創建当時の作で定朝の父、康尚の作と云われ,現在国の重要文化財に指定されているそうです。
広沢池
兒神社(ちごじんじゃ)
広沢池西畔の児神社。祭神は遍照寺を建立した真言宗の寛朝を祀るそうです。
この後、千代の古道を経由して大覚寺、清涼寺、落柿舎、野の宮神社を巡ります。
千代の古道
大覚寺(だいかくじ)
嵯嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山。当山は嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観18年(876)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治2年(1307)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳3年(1392)当寺で南北両朝の媾和が成立した。宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。その外、御影堂(みえどう)、霊明殿(れいめいでん)、五大堂、安井堂、正寝殿(しょうしんでん)、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えているそうです。
清涼寺(せいりょうじ)
建立:895(寛平7)年頃。嵯峨の釈迦堂で知られる浄土宗の古刹。987年(寛和3)然(ちょうねん)が中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画。没後、弟子の盛算が棲霞寺に、師が宋より請来の釈迦如来立像を安置した。体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれているそうです。
落柿舎(らくししゃ)
松尾芭蕉門下の向井去来(蕉門十哲の一人)が庵を結んだ事が始まり。商人が柿を買う約束をしていたが一夜にして柿が落ちてしまった故事が落柿舎の名の由来と言われている。松尾芭蕉も直接訪れた落柿舎は、向井去来死後衰退し正確な場所が不明になり、1770(明和7)年、現在の地に再興されたそうです。
竹林の中を散策できるようになっていました。
野の宮神社(ののみやじんじゃ)
京都・嵯峨野の竹林の中にある野宮神社。ここは伊勢神宮にお仕えする皇女が身を清めた神聖な場所であり、源氏物語の「賢木(さかき)の巻」の中で、その様子が美しく描写されていることでも有名だそうです。また、良縁結びや子宝安産の神様がまつってあることから、1年中多くの女性で賑っているそうです。
この後、JR嵯峨嵐山駅まで歩きました。
以下は仁和寺の御室八十八カ所巡りの様子です。
御室八十八カ所(おむろはちじゅうはちかしょ)
仁和寺の北裏、成就山一帯にある霊場めぐり。1827年(文政10)、仁和寺29世門跡済仁が、寺侍に命じて
四国八十八カ所霊場の砂を持ち帰らせ開いたそうです。お堂や巡拝路が整備され京都の市街地も一望できました。
最初は阿波の国を歩きます。
一番札所
この後、成就山の頂上付近まで登りになります。
途中の休憩場所、見晴らしが良かったです。
紅葉の中を歩きます。
ここから伊予の国に入ります。
成就山頂上付近です。236mあるそうです。
京都市内が見渡せました。
この辺りからは下りになります。
ここから讃岐の国に入ります。
八十八か所の最後のお堂です。
直ぐに復活したのですが、ここだけ急にカメラが動かなくなりました。
以下の写真(1枚)はネットから引用させて頂きました。
御室八十八カ所巡りは約2時間あれば十分参拝出来る手頃なコース、通年いつでもご自由に参拝できるそうです。
また、仁和寺では、この御室八十八ヶ所霊場で「八十八ヶ所ウォーク」(スタンプ帳及びスタンプを頂ける)というイベントを年に数回開催しているそうです。
http://www.ninnaji.or.jp/hallowed_ground.html#walk
機会があれば、参加してみたいと思いました。
前回記事はNiceボタンをクローズしていますが、合わせてみて頂けると嬉しいです。
ご訪問していただきありがとうございました。