嵯峨野のんびりウォーク(京都市) [ウォーキング京都市]
「嵯峨野のんびりウォーク」に参加してきました。(20180714)
大沢池
京都の嵯峨野を歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温38.5℃。とても暑かったですが、適度に休憩をとり、水分塩分を補給して気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所新嵯峨嵐山駅を出発して清涼寺、大覚寺、大沢池、千代の古道を経由して 平安郷まで歩きます。
集合場所の嵯峨嵐山駅
嵯峨嵐山駅を出発し、竹林を通過します。
常寂光寺の前を通過します。
落柿舎の横を通過します。
二尊院の前を通過します。
清涼寺に向かいます。
清涼寺(せいりょうじ)
建立:895(寛平7)年頃。嵯峨の釈迦堂で知られる浄土宗の古刹。987年(寛和3)然(ちょうねん)が中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画。没後、弟子の盛算が棲霞寺に、師が宋より請来の釈迦如来立像を安置した。体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれているそうです。
少し休憩後、大覚寺に向かいます。
大覚寺(だいかくじ)
嵯嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山。当山は嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観18年(876)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治2年(1307)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳3年(1392)当寺で南北両朝の媾和が成立した。宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。その外、御影堂(みえどう)、霊明殿(れいめいでん)、五大堂、安井堂、正寝殿(しょうしんでん)、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えているそうです。
大沢池を一周します。
とても綺麗な所でした。
大沢池(おおさわのいけ)
大沢池は日本最古の庭池で、嵯峨天皇が810年に造営された離宮「嵯峨院」の苑池の一部です。中国の洞庭湖になぞられて造られたことから「庭湖」とも呼ばれています。また、藤原公任「滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んだ名古曽の滝跡がある名勝です。春は桜、秋は紅葉の他に月の名所としても名高く多くの人々が訪れるそうです。
千代の古道を歩きます。
千代の古道(ちよのこどう)
平安京ができる前から宇多野・嵯峨野へと通じた古道。都人たちがこの道を通ってお月見に出かけたともいわれているそうです。
平安郷に着きました。
平安郷(へいあんきょう)
平安郷のある地域は京都・嵯峨野の中でも特に平安時代の面影を残し、歴史的風土保存特別地区に指定されて美観や歴史的風情が保たれているそうです。平安郷は広々とした庭に2本の小川が配され、梅、桜、楓など季節を彩る花木や約100種類もの山野草が植えられていて、さらに庭の奥には、閑静な竹林(約3千坪)や嵯峨野を一望できるスポットもあり四季折々の美しさを満喫できるそうです。
平安郷で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、福王子神社、仁和寺、雙ヶ岡を経由して花園駅まで歩きました。
福王子神社(ふくおうじじんじゃ)
福王子神社は第58代天皇・光孝天皇の女御である班子皇后(はんしこうごう)が祀られており、仁和寺の鎮守として、また近隣の旧村の産土神として崇められています。「福王子」の名前で呼ばれるようになった一説として、班子皇后が第59代宇多天皇などたくさんのお子さんをお産みになったからと言われています。本殿は応仁の乱で全焼してしまいましたが、その後、徳川三代将軍・家光により寄進されました。本殿の屋根は「木賊葺(とくさぶき)」という造りになっており、国の重要文化財にも指定されているそうです。
仁和寺(にんなじ)
真言宗御室派総本山。仁和2年(886年)光孝天皇が仏教の隆盛を図るため、「西山御願寺」の建立を発願され、宇多天皇が仁和4年(888年)年その造営を完成。ユネスコの世界文化遺産に登録。江戸時代の儒学者貝原益軒の「京城勝覧」という京都の名所の案内書にも、吉野の桜に比べて勝るとも劣らないと絶賛され、大正13年に国の名勝にも指定されたそうです。
ユニークな雲を見かけました。
雙ヶ岡(ならびがおか)
雙ヶ岡は標高116m。京都盆地における卓越した展望地点として昭和16年に国の名勝に指定されているそうです。
この後、花園駅まで歩きました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
大沢池
京都の嵯峨野を歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温38.5℃。とても暑かったですが、適度に休憩をとり、水分塩分を補給して気持ちの良いウォーキングになりました。
集合場所新嵯峨嵐山駅を出発して清涼寺、大覚寺、大沢池、千代の古道を経由して 平安郷まで歩きます。
集合場所の嵯峨嵐山駅
嵯峨嵐山駅を出発し、竹林を通過します。
常寂光寺の前を通過します。
落柿舎の横を通過します。
二尊院の前を通過します。
清涼寺に向かいます。
清涼寺(せいりょうじ)
建立:895(寛平7)年頃。嵯峨の釈迦堂で知られる浄土宗の古刹。987年(寛和3)然(ちょうねん)が中国から帰国し、大清凉寺の建立を計画。没後、弟子の盛算が棲霞寺に、師が宋より請来の釈迦如来立像を安置した。体内に内臓を形どった納入物があり、生身如来といわれているそうです。
少し休憩後、大覚寺に向かいます。
大覚寺(だいかくじ)
嵯嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山。当山は嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観18年(876)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治2年(1307)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳3年(1392)当寺で南北両朝の媾和が成立した。宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。その外、御影堂(みえどう)、霊明殿(れいめいでん)、五大堂、安井堂、正寝殿(しょうしんでん)、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えているそうです。
大沢池を一周します。
とても綺麗な所でした。
大沢池(おおさわのいけ)
大沢池は日本最古の庭池で、嵯峨天皇が810年に造営された離宮「嵯峨院」の苑池の一部です。中国の洞庭湖になぞられて造られたことから「庭湖」とも呼ばれています。また、藤原公任「滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ」と詠んだ名古曽の滝跡がある名勝です。春は桜、秋は紅葉の他に月の名所としても名高く多くの人々が訪れるそうです。
千代の古道を歩きます。
千代の古道(ちよのこどう)
平安京ができる前から宇多野・嵯峨野へと通じた古道。都人たちがこの道を通ってお月見に出かけたともいわれているそうです。
平安郷に着きました。
平安郷(へいあんきょう)
平安郷のある地域は京都・嵯峨野の中でも特に平安時代の面影を残し、歴史的風土保存特別地区に指定されて美観や歴史的風情が保たれているそうです。平安郷は広々とした庭に2本の小川が配され、梅、桜、楓など季節を彩る花木や約100種類もの山野草が植えられていて、さらに庭の奥には、閑静な竹林(約3千坪)や嵯峨野を一望できるスポットもあり四季折々の美しさを満喫できるそうです。
平安郷で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、福王子神社、仁和寺、雙ヶ岡を経由して花園駅まで歩きました。
福王子神社(ふくおうじじんじゃ)
福王子神社は第58代天皇・光孝天皇の女御である班子皇后(はんしこうごう)が祀られており、仁和寺の鎮守として、また近隣の旧村の産土神として崇められています。「福王子」の名前で呼ばれるようになった一説として、班子皇后が第59代宇多天皇などたくさんのお子さんをお産みになったからと言われています。本殿は応仁の乱で全焼してしまいましたが、その後、徳川三代将軍・家光により寄進されました。本殿の屋根は「木賊葺(とくさぶき)」という造りになっており、国の重要文化財にも指定されているそうです。
仁和寺(にんなじ)
真言宗御室派総本山。仁和2年(886年)光孝天皇が仏教の隆盛を図るため、「西山御願寺」の建立を発願され、宇多天皇が仁和4年(888年)年その造営を完成。ユネスコの世界文化遺産に登録。江戸時代の儒学者貝原益軒の「京城勝覧」という京都の名所の案内書にも、吉野の桜に比べて勝るとも劣らないと絶賛され、大正13年に国の名勝にも指定されたそうです。
ユニークな雲を見かけました。
雙ヶ岡(ならびがおか)
雙ヶ岡は標高116m。京都盆地における卓越した展望地点として昭和16年に国の名勝に指定されているそうです。
この後、花園駅まで歩きました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。