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尼崎の史跡と公園を訪ねて(兵庫県) [ウォーキング兵庫県]

「尼崎の史跡と公園を訪ねて」に参加してきました。(20180718)

廣済寺
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兵庫尼崎の史跡と公園を歩いてきました。

当日は晴れ、35.9℃。とても暑く、途中で中止になりましたが、気持良いウォークになりました。


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地図 (1).jpg


集合場所尼崎駅を出発して一心地蔵尊、金毘羅さんの石灯篭、遊女塚、廣済寺、上坂部西公園を経由して塚口駅まで歩きました。

集合場所の尼崎駅前広場
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尼崎駅を出発します。
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一心地蔵尊を通過します。

一心地蔵尊(いっしんじぞうぞん)
この一帯で足利尊氏と楠木正成が戦った「神崎一心の戦」の舞台だそうです。
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金毘羅さんの石灯篭(こんぴらさんのいしどうろう)
この灯篭は渡しのために灯台の役目を果たしていて「金毘羅さんの灯篭」として親しまれていたそうです。
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遊女塚を通過します。

遊女塚(ゆうじょづか)
遊女塚は、法然上人と五人遊女の説話にゆかりの塚です。神崎は、神崎川と淀川が奈良時代の延暦4年(785)に結ばれ、瀬戸内海方面から京に至る船泊が停泊する交通の要衝地となりました。次第に河口の港町として繁栄し、「天下第一の楽地」と呼ばれるようになります。ここでは遊女たちが、今様など諸芸を泊客に披露し、宴遊に興じる人々でにぎわっていました。この塚は、讃岐の国へ流される途中にこの地に立ち寄った法然に、念仏を授けられて川に身を投げた、五人の遊女の亡骸を葬ったものと伝えられています。塚の表面には「南無阿弥陀佛」の名号と、その両側には「阿弥陀佛という女の塚の極楽ハ発心報土のうちの春けき」の歌、側面には元禄5年(1692)正月の年紀銘が刻まれています。裏面には遊女五人の名(吾妻・宮城・刈藻・小倉・大仁)があったといわれていますが、今その跡は認められないそうです。
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廣済寺に向かいます。
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廣済寺の横にある近松公園に着きました。
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近松門左衛門像
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廣済寺(こうさいじ)
尼崎市にある日蓮宗の寺。957年(天徳一)多田満仲が妙見菩薩を勧請して創建、のち荒廃。1714年(正徳四)日昌が堂宇を建立。近松門左衛門の墓があるそうです。
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上坂部西公園に向かいます。
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上坂部西公園に着きました。
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上坂部西公園で昼食休憩になりました。

昼食休憩後、塚口駅まで歩きました。

塚口駅
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ご訪問していただきありがとうございました。




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