水都大阪川辺ウォーク(大阪) [ウォーキング大阪市]
「水都大阪・川辺ウォーク」に参加してきました。(20180422)
淀川堤防
水都大阪の大川・淀川・城北川沿いを歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温25.1℃。少し汗ばむ感じの中、気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所森ノ宮駅近くの公園を出発して大阪城公園、教育塔、大川沿い、毛馬桜ノ宮公園、与謝蕪村碑、淀川河川敷を経由して城北公園 まで歩きます。
森ノ宮駅近くの公園
大阪城公園を歩きます。
教育塔に着きました。
教育塔(きょういくとう)
1934年の室戸台風で殉職した教員や死亡した児童が多数出たため、二度と同じような災害が起きないよう祈願し、1936年に帝国教育会の発案・決議により建設されたそうです。
大阪城大手門の前を通過します。
大阪城西外堀沿いを歩きます。
OBPビル群を臨みます。
大川沿いを歩きます。
対岸にOAPを臨みます。
「ダックツアー」の水陸両用車を見かけました。
毛馬桜ノ宮公園で休憩になりました。
休憩後、城北公園に向かいます。
毛馬閘門が見えてきました。
毛馬閘門(けまこうもん)
大川は旧淀川。現在の淀川は明治初期にオランダ人技師ヨハネス・デレーケたちが毛馬の閘門からまっすぐ大阪湾に流れるように改修したそうです。
与謝蕪村碑(よさぶそんのひ)
与謝蕪村(享保元年(1716年)-天明3年(1784年))は江戸時代中期の日本の俳人、画家。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。摂津国東成郡毛馬村(けまむら)(大阪市都島区毛馬町)に生まれたそうです。
淀川大堰(よどがわおおぜき)
淀川大堰は必要な水を使えるように水の高さを調節したり、海の水が流れ込まないようにする施設。長さは330mあるそうです。
淀川堤防を歩きます。
淀川河川敷に降ります。
赤川鉄橋の下を通過します。
城北公園に着きました。
城北公園で昼食休憩になりました。
藤の花が綺麗に咲いていました。
昼食休憩後、城北川沿いを経由して森小路駅まで歩きました。
Niceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
淀川堤防
水都大阪の大川・淀川・城北川沿いを歩いてきました。
当日は晴れ、最高気温25.1℃。少し汗ばむ感じの中、気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所森ノ宮駅近くの公園を出発して大阪城公園、教育塔、大川沿い、毛馬桜ノ宮公園、与謝蕪村碑、淀川河川敷を経由して城北公園 まで歩きます。
森ノ宮駅近くの公園
大阪城公園を歩きます。
教育塔に着きました。
教育塔(きょういくとう)
1934年の室戸台風で殉職した教員や死亡した児童が多数出たため、二度と同じような災害が起きないよう祈願し、1936年に帝国教育会の発案・決議により建設されたそうです。
大阪城大手門の前を通過します。
大阪城西外堀沿いを歩きます。
OBPビル群を臨みます。
大川沿いを歩きます。
対岸にOAPを臨みます。
「ダックツアー」の水陸両用車を見かけました。
毛馬桜ノ宮公園で休憩になりました。
休憩後、城北公園に向かいます。
毛馬閘門が見えてきました。
毛馬閘門(けまこうもん)
大川は旧淀川。現在の淀川は明治初期にオランダ人技師ヨハネス・デレーケたちが毛馬の閘門からまっすぐ大阪湾に流れるように改修したそうです。
与謝蕪村碑(よさぶそんのひ)
与謝蕪村(享保元年(1716年)-天明3年(1784年))は江戸時代中期の日本の俳人、画家。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。摂津国東成郡毛馬村(けまむら)(大阪市都島区毛馬町)に生まれたそうです。
淀川大堰(よどがわおおぜき)
淀川大堰は必要な水を使えるように水の高さを調節したり、海の水が流れ込まないようにする施設。長さは330mあるそうです。
淀川堤防を歩きます。
淀川河川敷に降ります。
赤川鉄橋の下を通過します。
城北公園に着きました。
城北公園で昼食休憩になりました。
藤の花が綺麗に咲いていました。
昼食休憩後、城北川沿いを経由して森小路駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。