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「京街道をあるく 2回目」(京都) [ウォーキング京街道_熊野街道]

「京街道をあるく 2回目」に参加してきました。(20170228)

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京街道(きょうかいどう)
京街道はの京橋(後に高麗橋)から淀川左岸に沿って進み、淀を経てに向かう街道。文禄3年(1594年)に伏見城築造に着手した豊臣秀吉が1596年(文禄5年)2月に毛利一族に命じて淀川左岸に築かせた「文禄堤」が起源だそうです。「京街道をあるく」は京都から大阪まで6回に分けて歩きます。

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「西国街道をあるく」京都駅から大阪天満宮までのウォーキングの第2回目。

今回は伏見稲荷大社から淀駅まで歩きました。

当日は曇り、晴れ、最高気温10℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所伏見稲荷大社を出発してぬりこべ地蔵、瑞光寺、藤森神社、勝念寺、本成寺、金礼寺、源空寺、カッパカントリー、京橋を経由して伏見港公園まで歩きます。

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伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
伏見稲荷大社は式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社。初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕)そうです。外国人に人気の観光スポット3年連続第一位だそうです。
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有名な千本鳥居の前を通過します。
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ぬりこべ地蔵(ぬりこべじぞう)
ぬりこべ地蔵は京都では歯痛にご利益があるとして有名。歯の健康を祈るハガキが全国から寄せられている。本来は、摂取院の塗り壁の立派なお堂にあった事から「塗り壁地蔵」と呼ばれていたが、これがなまって「ぬりこべ地蔵」になったそうです。
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茶碗子の井戸(ちゃわんこのいど)
路傍の地蔵堂の横に清冷な湧水がある。京都の名水の一つで「茶碗子の水」と呼ばれる。 伝えによれば昔 都に住む茶人が、いつも宇治橋より、宇治川の水を汲ませて、茶の湯に用いていた。 ある時、使いの者が水を汲んでの帰り道、この近くまできて、水をこぼしてしまった。使いの者はこの湧水を持ち帰って知らぬ顔をしていた。 いつもの水と違うことを主人は見破った。 問い詰められた使いの者は恐る恐る一部始終を話したところ、主人に叱られるどころか、宇治川の水よりも良いとほめられ、その後は宇治までの遠出の必要がなくなったといわれているそうです。
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瑞光寺(ずいこうじ)
日蓮宗身延山久遠寺派。1655年(明暦1)元政が草庵を結んだのが起こり。寛文年間(1661-73)に堂舎を建立、法華道場となった。元政の出家は、江戸吉原の高尾太夫の死によるというエピソードから縁切り祈願の信仰があるそうです。
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琵琶湖疎水沿いを歩きます。
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藤森神社(ふじのもりじんじゃ)
藤森神社は平安遷都以前から祀られている古い社、駈馬、紫陽花でも有名だそうです。
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勝念寺(しょうねんじ)
勝念寺は、安養山往生院と号する。「かましきさん」「かえる寺」「萩の寺」「えんまさんの寺」とも呼ばれているそうです。
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本成寺(ほんじょうじ)
妙栄山(みょうえいざん)と号する法華宗大本山本能寺の末寺。天正10年(1582)の「本能寺の変」後、同寺の再建に尽力した、本能寺中興日逕(にちきょう)聖人によって、慶長2年(1597)に創建されたのが当寺である。  当初、現在の伏見区上板橋中之町にあったが、その後、寛永13年(1636)、篤信者中村隆運が法華経千部読誦の心願成就を機に、伏見町奉行水野石見守忠貞の協力を得て、現在地に移したものだそうです。
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金礼宮(きんさつぐう)
金札宮は伏見で最も古い神社のひとつで祭祀を司る霊験あらたかな天太玉命(白菊翁・白菊大明神)を祀りまた観阿弥の謡曲「金札」や、ご神木で京都市指定天然記念物のクロガネモチの木でも知られ開運と幸運を呼ぶ神社として永く人々の尊崇を集めているそうです。
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源空寺(げんくうじ)
宝海山(ほうかいざん)と号する浄土宗の寺。円光大師(法然)の霊場25ヶ所の一つに数えられている。寺伝によれば、建久6年(1195)忍空(にんくう)上人によって、はじめ炭山(すみやま)(宇治市)の地に創建されたが、慶長年間(1596~1615)当地に移された。本堂には、円光大師座像を安置し、二層からなる山門の階下両脇には、石仏六体地蔵、愛染明王像及び朝日大黒天像を祀っている。この大黒天像は、豊臣秀吉の持念仏で、もと伏見城の巽櫓(たつみやぐら)にあったものを、一時京町大黒町に預けられたのち当寺に移されたもので、この経過により、当地はもと新大黒町とも呼ばれていたそうです。
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伏見の酒どころを歩きます。
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鳥せい本店
鳥と伏見の酒が美味しかったのを思い出します。
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カッパカントリー
懐かしのテレビCM、お酒と河童(カッパ)のことなら何でもわかる黄桜記念館だそうです。
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竜馬通りを横切ります。
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京橋(きょうばし)
橋下の流れは宇治川に注ぎ、淀川に通じている。淀川の水運は、古くは京・大阪を結び、また琵琶湖を経て、遠く東海道・北陸とも連絡する交通上の大動脈であったが、慶長年間(1596~1615)、角倉了以(すみのくらりょうい)が京都市中と伏見との間に高瀬川を開削するに及んで、この付近は旅人や貨物を輸送する船着場として大いに栄えた。淀川を上り下りして貨客を運んだ三十石船や高瀬川を往来した高瀬舟、更に宇治川を下ってきた柴舟(しばぶね)などがこの辺りにひしめき合い、数十軒の船宿も立ち並んで、昼夜の別なく雑踏を極めた。しかし、明治初年、京都・大阪間に鉄道が開通するに至って次第にさびれ、今は往時の盛観は見られないが、ここから東約50メートルの所にある旅館「寺田屋」がわずかに昔の船宿の名残りをとどめているそうです。
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伏見港公園(ふしみこうこうえん)
伏見港は、かつて京都府京都市伏見区に存在した河川港。1950年代頃まで、京都と大阪を結ぶ水運の拠点として栄えたそうです。
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伏見港公園で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、三栖閘門、宇治川堤防を経由して淀駅まで歩きました。

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三栖閘門(みすこうもん)
 1929(昭和4)年に宇治川の改修を行った際に、宇治川との舟運連絡を図るために設けられた土木構造物。現在では地域のランドマークとなっているそうです。
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宇治川堤防を歩きます。
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この後、ゴールの淀駅まで歩きました。
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淀駅前の広場には河津桜が咲いていました。
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ご訪問していただきありがとうございました。






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