師走の天満天神城跡周り(大阪) [ウォーキング大阪市]
「師走の天満天神城跡周り」に参加してきました。(20161207)
大阪城
師走の大阪天満、天神、大阪城などを訪れてきました。
当日は晴れ、気温は13度と気持ちウォーキングになりました。
集合場所扇町公園を出発して天神橋筋商店街、石山本願寺跡、大阪城まで歩きます。
扇町公園
天神橋筋商店街(てんじんばしすじしょうてんがい)
天神橋筋商店街は南北約2.6kmと直線では日本一の長さ。天神橋筋1丁目から7丁目までの間に古き良き専門店から、飲食店まで多彩なお店が約600店、2丁目には天満天神繁昌亭、大阪天満宮などがあり年中にぎわっています。
大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)
菅原道真公が祭られている大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれています。
大川にかかる川崎橋からの眺めです。
OBPのビル街です。
大阪城公園に中を歩きます。銀杏の落ち葉の横を歩きます。
石山本願寺跡(いしやまほんがんじあと)
明応五年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立。これは現在のところ「大坂」の地名が史料上に現われる初例。『天文日記』によると大坂坊舎は生玉八坊のひとつ法安寺の東側に建立されたといわれ、当時は小堂であったと考えられる。その後細川氏をはじめとする諸勢力との権力闘争の中で大坂の重要性が増すとともに、天文元年(1532)に六角定頼と法華宗徒により山科本願寺が焼き打ちされるに及んで、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展した。石山本願寺周辺は、山科と同様に広大な寺内町が造営された。この造営が現在の大阪の町並の原形となったと考えられる。その後十一世顕如の時代に、信長との石山合戦に敗れ、石山本願寺を退去した本願寺教団は、鷺森、貝塚、天満を経て京都堀川に本拠を移転する。一方、石山本願寺跡には豊臣秀吉によって大坂城が建設される。石山本願寺跡の正確な位置や伽藍跡についてはいまだ確認されていないが、現在の大阪城公園内にあたることは確実と考えられているそうです。
大阪城(おおさかじょう)
大阪城は上町台地の北端に位置。戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年の石山合戦で焼失した後に豊臣秀吉によって大坂城が築かれたそうです。
大阪城で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、大阪府庁、中之島公園、堀川戎神社を経由して扇町公園まで歩きました。
大阪府庁(おおさかふちょう)
現在の本館は、1926年(大正15年)に竣工したもので、現行の都道府県庁舎として最も古い。そのため歴史的価値が高く、映画のロケなどが行われることもあるそうです。
大阪城の堀が綺麗でした。
天満橋付近です。
中之島公園(なかのしまこうえん)
堂島川と土佐堀川に挟まれた水辺の公園。1891(明治24)年、大阪市で初めて誕生した公園として知られる。
公園内には10体の彫刻や噴水、バラ園がある。年末年始の夜は大阪・光の饗宴のイルミネーションが綺麗です。
堀川戎神社(ほりかわえびすじんじゃ)
商売繁昌の神「蛭子大神(えびすの おおかみ)」を祀り、「堀川のえべっさん」と慕われるお宮。毎年1月9~11日に行なわれる 十日戎(とおかえびす)が有名で、当日は商売繁盛を願う数十万の人々で賑わうそうです。
ゴールの扇町公園につきました。
今回記事はNiceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。
大阪城
師走の大阪天満、天神、大阪城などを訪れてきました。
当日は晴れ、気温は13度と気持ちウォーキングになりました。
集合場所扇町公園を出発して天神橋筋商店街、石山本願寺跡、大阪城まで歩きます。
扇町公園
天神橋筋商店街(てんじんばしすじしょうてんがい)
天神橋筋商店街は南北約2.6kmと直線では日本一の長さ。天神橋筋1丁目から7丁目までの間に古き良き専門店から、飲食店まで多彩なお店が約600店、2丁目には天満天神繁昌亭、大阪天満宮などがあり年中にぎわっています。
大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)
菅原道真公が祭られている大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれています。
大川にかかる川崎橋からの眺めです。
OBPのビル街です。
大阪城公園に中を歩きます。銀杏の落ち葉の横を歩きます。
石山本願寺跡(いしやまほんがんじあと)
明応五年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立。これは現在のところ「大坂」の地名が史料上に現われる初例。『天文日記』によると大坂坊舎は生玉八坊のひとつ法安寺の東側に建立されたといわれ、当時は小堂であったと考えられる。その後細川氏をはじめとする諸勢力との権力闘争の中で大坂の重要性が増すとともに、天文元年(1532)に六角定頼と法華宗徒により山科本願寺が焼き打ちされるに及んで、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展した。石山本願寺周辺は、山科と同様に広大な寺内町が造営された。この造営が現在の大阪の町並の原形となったと考えられる。その後十一世顕如の時代に、信長との石山合戦に敗れ、石山本願寺を退去した本願寺教団は、鷺森、貝塚、天満を経て京都堀川に本拠を移転する。一方、石山本願寺跡には豊臣秀吉によって大坂城が建設される。石山本願寺跡の正確な位置や伽藍跡についてはいまだ確認されていないが、現在の大阪城公園内にあたることは確実と考えられているそうです。
大阪城(おおさかじょう)
大阪城は上町台地の北端に位置。戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年の石山合戦で焼失した後に豊臣秀吉によって大坂城が築かれたそうです。
大阪城で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、大阪府庁、中之島公園、堀川戎神社を経由して扇町公園まで歩きました。
大阪府庁(おおさかふちょう)
現在の本館は、1926年(大正15年)に竣工したもので、現行の都道府県庁舎として最も古い。そのため歴史的価値が高く、映画のロケなどが行われることもあるそうです。
大阪城の堀が綺麗でした。
天満橋付近です。
中之島公園(なかのしまこうえん)
堂島川と土佐堀川に挟まれた水辺の公園。1891(明治24)年、大阪市で初めて誕生した公園として知られる。
公園内には10体の彫刻や噴水、バラ園がある。年末年始の夜は大阪・光の饗宴のイルミネーションが綺麗です。
堀川戎神社(ほりかわえびすじんじゃ)
商売繁昌の神「蛭子大神(えびすの おおかみ)」を祀り、「堀川のえべっさん」と慕われるお宮。毎年1月9~11日に行なわれる 十日戎(とおかえびす)が有名で、当日は商売繁盛を願う数十万の人々で賑わうそうです。
ゴールの扇町公園につきました。
今回記事はNiceボタンをクローズさせていただきました。
ご訪問していただきありがとうございました。