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嵐山_嵯峨野紅葉ウォーク(京都) [ウォーキング京都市]

「嵐山・嵯峨野紅葉ウォーク」に参加してきました。(20161123)

天龍寺境内の紅葉
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秋色の中の京都嵐山、嵯峨野の神社仏閣などなどを訪れてきました。

当日は晴れ、気温は15度と気持ちウォーキングになりました。

今回、3日前に歩いた嵯峨、御室八十八カ所巡りと良く似たコースでしたが、初めて広沢池近くの岡田茂吉記念館を訪問出来ました。


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集合場所JR花園駅を出発して法金剛院、雙ヶ岡、文徳天皇陵、岡田茂吉記念館を経由して平安郷まで歩きます。

集合場所のJR花園駅を出発します。
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法金剛院(ほうこんごういん)
平安時代の初め、右大臣清原夏野の山荘を没後寺とした。1130年(大治5)待賢門院の御願により当院を建立。
円覚上人によって再興。丈六の本尊阿弥陀如来坐像(重文)は定朝様、平安時代後期の代表的な仏像。庭園(特別名勝)は平安末期の池泉回遊式浄土庭園。関西花の寺第十三番だそうです。
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雙ヶ岡(ならびがおか)
雙ヶ岡は標高116m。京都盆地における卓越した展望地点として昭和16年に国の名勝に指定されているそうです。
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文徳天皇陵(もんとくてんのうりょう)
文徳天皇は天安2年(858)に冷然院において崩じ、真原(さねはら)岡の地に葬られ、陵の所在についてはいくつか説があったそうです。最有力の候補とされてきたのは天皇ノ杜古墳(京都市西京区御陵塚ノ越町)。幕末の谷森善臣の推定により、御廟山と呼ばれていた丘上の茶臼山という塚が比定、京都市右京区太秦三尾町に所在する現陵(径約32m、高さ約6mの円墳)だそうです。
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広沢池に向かう途中、紅葉が綺麗でした。
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岡田茂吉記念館(おかだもきちきねんかん)
岡田茂吉記念館は平安郷整備の一環として平成27年4月に竣工。この記念館では、平安郷庭園の四季の情景などが紹介されているそうです。
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平安郷(へいあんきょう)
平安郷のある地域は京都・嵯峨野の中でも特に平安時代の面影を残し、歴史的風土保存特別地区に指定されて美観や歴史的風情が保たれているそうです。平安郷は広々とした庭に2本の小川が配され、梅、桜、楓など季節を彩る花木や約100種類もの山野草が植えられていて、さらに庭の奥には、閑静な竹林(約3千坪)や嵯峨野を一望できるスポットもあり四季折々の美しさを満喫できるそうです。
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平安郷で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、遍照寺、兒(ちご)神社、千代の古道、大覚寺、二尊院、嵐山公園展望台、天龍寺を経由してJR嵯峨嵐山駅まで歩きました


広沢池
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遍照寺(へんじょうじ)
989年(平安時代中期)宇多天皇の孫,寛朝僧正が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたもの。嵯峨富士と云われる端麗な遍照寺山を映す広沢池には金色の観世音菩薩を祀る観音島があった。池畔に多宝塔、釣殿等、数々の壮大な伽藍を有する寺院であった。しかし寛朝僧正没後次第に衰微し,鎌倉時代,後宇多天皇により復興されたが後,応仁の乱で廃墟と化した。奇跡的に難を逃れた赤不動明王像と十一面観音像は、いずれも創建当時の作で定朝の父、康尚の作と云われ,現在国指定の重要文化財。赤不動明王は”広沢の赤不動さん”と地元の人に親しまれ,交通安全や厄除けの御祈祷に訪れる人が多いそうです.
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兒神社(ちごじんじゃ)
広沢池西畔の児神社。祭神は遍照寺を建立した真言宗の寛朝を祀るそうです。
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この後、千代の古道を経由して大覚寺、二尊院、嵐山公園展望台、天龍寺を巡ります。

千代の古道
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大覚寺(だいかくじ)
嵯嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山。当山は嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観18年(876)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治2年(1307)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳3年(1392)当寺で南北両朝の媾和が成立した。宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。その外、御影堂(みえどう)、霊明殿(れいめいでん)、五大堂、安井堂、正寝殿(しょうしんでん)、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えているそうです。
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二尊院(にそんいん)
本尊に釈迦・阿弥陀の二如来(重文)をまつり、正しくは二尊教院華台寺。天台宗。承和年間(834-48)慈覚大師円仁が開基。応仁・文明の乱のあと法然の弟子湛空が再興。総門は伏見城の遺構と伝える薬医門。広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれるそうです。
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嵐山の有名な竹林を通過します。観光客がいっぱいでした。
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嵐山公園展望台
眼下に保津川が流れていて、綺麗な景色でした。
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保津川
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宝厳院(ほうごんいん)
臨済宗・天龍寺塔頭。寛正2年(1461年)聖仲永光禅師を開山に迎え創建。もとは上京区禅昌院町にあり、細川頼之の昭堂を寺としたという。応仁の乱の兵火に会うなどしたが、豊臣秀吉の恩顧によって再建。昭和47年より天龍寺塔頭弘源寺の境内にあったが、平成14年1月に現在地に移り再興した。「都林泉名勝図会」にも掲載された、嵐山を借景とする回遊式庭園「獅子吼の庭」は紅葉と巨岩を配した庭園である。本堂障壁画「風河燦燦三三自在」(田村能里子画伯筆)がある。特別公開時のみ。平成15年に、庭園内に大正時代に建てられた茶室が修復を終え、「青嶂軒(せいしょうけん)」と名付けられ、茶会会場としても利用されるようになったそうです。
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天龍寺(てんりゅうじ)
臨済宗天龍寺派の大本山。足利尊氏が後醍醐天皇の霊を慰めるため、1339年(暦応2)夢窓国師を開山として創建。室町時代には京都五山の第一位を占めた。創建以来八度にわたる大火で創建当時の壮大な面影はとどめていない。現在の諸堂は明治になって再建された。方丈には藤原時代の釈迦如来坐像を安置。多宝殿は吉野朝の紫宸殿を模して建てた。当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にした池泉廻遊式で、夢窓国師の作庭といわれる。日本で最初に史跡・特別名勝に指定され1994年(平成6)12月には「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録されたそうです。
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この後、ゴールのJR嵯峨嵐山駅、そして、阪急嵐山駅まで歩きました。

嵐山渡月橋の北側は観光客でいっぱいでした。
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以下は当日朝の阪急嵐山駅から集合場所のJR嵯峨嵐山駅へ向かう途中の景色です。

天龍寺
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渡月橋
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今回の記事はNiceボタンをクローズさせて頂きました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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