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伊勢本街道をあるく その1(伊勢本街道) [ウォーキング伊勢本街道]

「伊勢本街道をあるく その1」に参加してきました。(20190122)

玉造稲荷神社
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暗越奈良街道
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今年は「伊勢本街道をあるく」をウォーキングの目標の一つにしました。


伊勢本街道(いせほんかいどう)
江戸時代庶民の間で大流行した伊勢参り(おかげ参り)の道は、上方からの場合、大阪玉造が起点となり、暗越奈良街道、上ツ道、初瀬街道を経て伊勢本街道に入り伊勢神宮内宮までの170km の道のりだそうです。

今回の「伊勢本街道をあるく」は、玉造稲荷神社から伊勢神宮内宮までを分割して2年間で歩きます。1年目は玉造稲荷神社から榛原まで、2年目は榛原から伊勢神宮まで歩きます。最後まで続けられるように頑張りたいと思います。

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伊勢街道全体 .jpg



第一回目は大阪市役所に集合して、玉造稲荷神社まで歩き、玉造稲荷神社で伊勢参りのお祈りをして頂いた後、暗越奈良街道を経由して河内永和駅まで歩きました。

当日は晴れ、最高気温11.6℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所大阪市役所を出発して、里程元標、大阪城公園、難波宮跡公園 、浪花講発祥の地を経由して玉造稲荷神社まで歩きます。

集合場所の大阪市役所
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大阪市役所を出発します。
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里程元標(りていげんぴょう)
江戸時代の里程計算の起点は、高麗橋の東詰にあった。ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の基点。明治9年道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、高麗橋の東南詰に元標がたてられた。現在は道路元標として梅田新道交差点西北角に移されている。また高麗橋は、江戸時代から公儀橋のなかでも重視され、西詰には町奉行所の制札場があった。なお高麗橋は大阪で最初の鉄橋(明治3年)だそうです。
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大阪城公園に向かいます。

大阪城公園
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難波宮跡公園近くの歩道橋を渡ります。
右前方にNHK大阪放送局が見えます。
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難波宮跡公園
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浪花講発祥の地(なにわこうはっしょうのち)
浪花講は江戸後期、街道宿駅の風紀紊乱(びんらん)の弊風を打破するため結成された旅宿組合の一つ。1804年(文化1)大坂玉造上清水町の綿弓(わたゆみ)の弦(つる)師松屋甚四郎と江戸の鍋屋甚八が講元(こうもと)、甚四郎の手代松屋源助が発起人となり、大坂より諸国に下る商人を浪花組に加入させて旅行鑑札を渡し、諸街道で誠実な宿屋を選んで、店頭に浪花組の招牌(しょうはい)を掲げさせ、宿屋には浪花講の規定(賭博(とばく)、遊女買い、酒宴、喧騒などをする旅客の止宿禁止)の遵守を義務づけ、旅行者が浪花講の定宿帳を得て各宿駅ごとに招牌を目印に休泊できるようにしたので、大いに好評を博し五街道、脇(わき)街道など全国に及び三都講など類似の講も出現したそうです。
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玉造稲荷神社に着きました。

玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
紀元前12年の秋に創祀されたと伝えられる由緒ある神社。豊臣秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などが並ぶ豊臣家ゆかりの神社でもあるそうです。
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玉造稲荷神社はお伊勢参りの起点になっています。
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玉造稲荷神社で道中の安全を祈願していただきました。
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伊勢神宮目指して出発します。
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蓮久寺(れんきゅうじ)を通過します。
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東小橋北公園で昼食休憩になりました。
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休憩後、暗越奈良街道顕彰碑、熊野大神宮、深江稲荷神社、長栄寺を経由して河内永和駅まで歩きました。

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暗越奈良街道顕彰碑(くらがりごえならかいどうけんしょうひ)
大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道。生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったころから、この名称の由来になっているそうです。
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熊野大神宮(くまのだいじんぐう)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)ほか五柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。石山合戦の際、兵火にあいましたが再建され、元和(17世紀前期)以降大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした社で、熊野権現と称し、明治5年(1872)に現社号に改め、同44年(1911)旧東今里村氏神八剣神社を合祀したそうです。
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深江稲荷神社に向かいます。
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深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)
宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡に指定されているそうです。
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長栄寺(ちょうえいじ)
長栄寺は、聖徳太子の開創と伝えられ、本尊の十一面観世音-重要文化財-も太子が自ら刻んだものといわれ、府の文化財に指定されています。本堂は火災で焼失し、文政8年(1825年)に再建されました。境内の奥には、慈雲尊者が修禅研学をしたという双龍庵禅那台が端正な姿で残っているそうです。
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河内永和駅に着きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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