SSブログ

霊験あらたか尼崎七社巡り [ウォーキング兵庫県]

霊験あらたか尼崎七社巡り(20230103)
00.DSC06994.JPG

水仙


コロナ感染に注意しながら、「霊験あらたか尼崎七社巡り」に参加してきました。(2022/12/24)


当日は晴れ、9.6℃。小春日和の中、楽しいウォーキングになりました。


【尼崎七社】
   ・長州天満宮(菅原道真)
   ・桜井神社(歴代城主)
   ・尼崎戎神社(八重事代主大神)
   ・貴布禰神社(高おおかみの神)
   ・難波八幡神社(応神天皇)
   ・なにわ熊野神社(いざなみのみこと)
   ・七松八幡神社(応神天皇)



尼崎駅から長州天満宮、桜井神社、尼崎戎神社、貴布祢公園、貴布禰神社、難波八幡神社、なにわ熊野神社、七松八幡神社から立花駅まで約12㎞を歩きました。

地図.jpg




尼崎駅北側広場を出発します。
11.P1070229.jpg




長州天満宮
祭神の菅公は古くより学問の神として尊崇され、公にまつわる幾つかの伝承が残る。その一つに大宰府左遷の折、長洲の浦に舟待ちされ、村人は公より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜った。公の没後、その徳を称えて叢祠を建て画像を奉斎したが、後世領主が他に移封された折に画像を強いて持ち出したところ凶事多く、返却したという伝えがあるそうです。
12.P1070232.jpg


この写真は以前訪問した時に写したものです。
12.P1290990.JPG



桜井神社
当神社は明治15年尼崎城内に建立。櫻井松平の祖、信定公は戦国の世に勢力拡大に尽力され、三河安城にその基盤を築かれた。当時の世のならいで、七代目忠頼公が、28才で亡くなり、家が断絶するが、八代目忠重公の努力と徳川家康公のはからいで、お家再興がかなう。十代目忠喬公の御代、遠州掛川より尼崎城に移封。即ち尼崎初代の城主となったそうです。
13.P1070245.jpg

14.P1070246.jpg




尼崎戎神社
尼崎えびす神社は平安時代の醍醐天皇以前。菅原道真が大宰府へ赴く途中、尼崎の海辺の神社に立ち並ぶ老松や砂浜の美しさに目を奪われて「ここは殊のほかよき浦なり 松は琴柱の並びたるがごとし」と歌を詠まれた。この歌にちなんで、尼崎は「琴の浦」と呼ばれるようになり、この古名の発祥は当神社だと言われているそうです。
15.P1070252.jpg

16.P1070255.jpg




貴布祢公園で昼食休憩になりました。
17.P1070257.jpg




休憩後は貴布禰神社、難波八幡神社、なにわ熊野神社、七松八幡神社を経由してゴールの立花駅まで歩きました。



貴布禰神社
貴布禰神社は「尼のきふねさん」で親しまれる尼崎屈指のお宮です。かつて尼崎城主のご祈願所を務め、たびたび雨乞いの神事が行われてきた市内唯一の元縣社。戦後は工都・尼崎の守護神として信仰も篤く、毎年8月に行われる夏祭りは、約8万人の参拝客で賑わうそうです。
18.P1070258.jpg

19.P1070259.jpg




難波八幡神社
20.P1070263.jpg

21.P1070264.jpg




なにわ熊野神社
当社は「史跡 伝 難波の海」の宮として、応神天皇の旧き御世よりの海の名所といわれる。3月の第一日曜日には「梅まつり」が行われ、お茶席なども開かれて賑う。また、末社の摂津難波稲荷大社は通称「がんのいなり、がんかけいなり」として親しまれているそうです。
22.P1070267.jpg

23.P1070266.jpg




七松八幡神社
創祀は後一条天皇の代、寛仁3年、源頼信が当地を訪れた折に、ひとりの小童がこの地の農民の窮状を訴えたのに感じ、1本の松樹のもとにあった小祠を改装して、あわせて松の株を六本植えさせた古事による。「七松」という地名の由来といわれているそうです。
24.P1070268.jpg

25.P1070269.jpg




この後、立花駅まで歩きました。





新型コロナウィルス
 1月2日(月)、東京の感染者数7,537人、大阪4,980人、沖縄618人、全国76,264人。7日平均前週比が東京、大阪、全国などで100%以下、少し減少していますね。このまま、感染が縮小していくことを祈っています。



ご訪問していただきありがとうございました。



nice!(53) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 53