谷町九丁目から谷町四丁目 [ウォーキング大阪市]
谷町九丁目から谷町四丁目(20201105)
生國魂神社
3密(密閉、密集、密接)のand条件、or条件を共に回避しながら、「谷町九丁目から谷町四丁目」に参加しました。当日は晴れ、最高気温18.3℃。爽やかな秋晴れの中、気持ち良いウォーキングになりました。
谷町
大阪の町名で谷町一丁目から谷町九丁目まである。八丁目と九丁目北部は谷町筋八丁目寺町と呼ばれる寺町で西隣の中寺(生玉筋中寺町)にかけて寺院が多くある。また、「タニマチ」は相撲の用語のひとつで、相撲の力士を後援している人やごひいき筋のことを指す隠語。タニマチは谷町に由来する言葉。町の名前が相撲の後援者を指す言葉となったのは、明治の末ごろ、大阪市南区(現・中央区)の谷町筋に「薄病院(すすきびょういん)」という外科の病院があり、この医院の医師であった薄恕一先生が大変な相撲愛好家で、相撲取りからは治療代をとらず、力士たちから大変慕われ、ここから相撲の支援者を「タニマチ」というようになったそうです。
集合場所谷町九丁目駅近くの生玉公園を出発して、大阪国際交流センター、桃谷公園、彌栄神社、御幸森天神社、コリアタウン、伝正院を経由して平戸公園まで歩きます。
集合場所の生玉公園
生玉公園を出発します。
暫く歩くと大阪国際交流センターの前を通過します。
大阪国際交流センター(おおさかこくさいこうりゅうせんたー)
1987年開館。1006名を収容する大ホールを備え、コンサートやライブ等も開催される。 箕面市に移転した大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)の跡地に、市民と在住外国人、留学生の国際交流やサポートのために設立されたそうです。
桃谷公園に向かいます。
細工谷界隈を歩きます。
桃谷公園に着きました。
少し休憩になりました。
彌栄神社(やえじんじゃ)
神祖素盞嗚命(すさのおのみこと)を文録年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)より分霊奉還したのがはじまりとのこと。その当時は牛頭(ごず)天王社と呼ばれ、創立以来旧木野(この)村の鎮守として崇敬厚く宮座(みやざ)を設けて奉仕し、明治5(1872)年村社に列せられ、社号もこの時に彌栄神社と改められたそうです。
コロナ対策でしょうね、狛犬(こまいぬ)がマスクしていました。
御幸森天神宮(みゆきもりてんじんぐう)
大阪コリアンタウンの街中にある御幸森天神宮。御幸森神社は百済の渡来人との関係がとても深い神社で、夏祭りや秋祭りには大阪ならではだんじりがこの周辺を練り歩き、毎年10月の生野祭りには御幸森天神宮も参加して盛大に行われています。御幸森天神宮の主祭神は仁徳天皇。御幸森の「御幸」という言葉、聞くとなんだか古典の授業で習ったことを思い出しますが、御幸とは古典の世界で天皇様がお出かけなさるという意味です。このあたりは、仁徳天皇が鷹狩りに来たり、この地の森で休憩したりしていたと言われているところ。そこから「御幸の森」と呼ばれるようになったという謂れがあるそうです。
コリアタウンを歩きます。
コリアタウン
JR環状線の鶴橋駅と桃谷駅の間にある商店街で、キムチやチヂミなど韓国食料品店や飲食店、民族衣装の店が300m程の通りに約150店舗が軒を並べる。多くは在日コリアンの人々による経営で、街中にハングルがあふれ、全国で最も在日コリアンの人々が集中する地域とされる。近年では、地元の人たちがNGOを結成し、他地方から修学旅行などで訪れる中高生を相手に、キムチづくりの体験やハングルの入門講座教室、街案内などをしているそうだ。ちなみに「御幸通り」の名称は、5世紀ごろこのあたりに百済から渡来した人々が暮らしており、当時の仁徳帝がその様子を視察に訪れた際に休んだ場所(いまの商店街の西外れにあった森)へ「御幸森神社」が建立されたことが由来であると伝えられているそうです。
近くの公園で休憩した後、平戸公園に向かいます。
雲の形がユニークと思いました。
伝正院の横にある松下幸之助起業の地顕彰碑を通過します。
松下幸之助起業の地顕彰碑
世界的な企業として発展することになった「松下電器産業」の創業者である松下幸之助氏の起業の地。
平成16年11月、松下幸之助氏生誕110年を記念し、同氏をこの地域の「ものづくり」の象徴として、また、ひがしなりの誇りとして、その功績を称え、地元有志のグループが顕彰碑を建立されたそうです。
平戸公園に着きました。
平戸公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩したあと、八阪神社、善福寺、心眼寺、観音坂を経由して谷町四丁目駅まで歩きました。
八阪神社(やさかじんじゃ)
素盞鳴尊(すさのおのみこと)ほか一柱を奉斉する旧中道村の氏神で、藤原道長がこの地に別業(別邸)を設け祀っていたのを、仁安元年(1166年)里人(さとびと)が社殿を再興し、天正12年(1584年)現在地に移転したと伝え、もと牛頭天王白山権現(ごずてんのうはくさんごんげん)と称しましたが、明治5年(1872年)八阪神社と改称したそうです。
善福寺に向かいます。
善福寺(ぜんふくじ)
善福寺は大坂夏の陣の戦死者を弔うために建てられたと伝わるお寺。通称はどんどろ大師。「どんどろ」とは、天保年間の大坂城代で弘法大師を信仰した土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)の「土居殿」 がなまり、本尊の弘法大師がこの名称で呼ばれるようになったそうです。土井利位は幕府の老中となり水野忠邦の天保の改革に協力したそうです。
直ぐにある心眼寺を通過します。
心眼寺(しんがんじ)
真田幸村とその子・大助の供養のために真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てた寺。心眼寺周辺は大坂冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出丸・真田丸跡地だそうです。
空堀商店街を歩きます。
観音坂を通過します。
観音坂(かんのんざか))
この近くにかつて「和勝院」という寺があり、本尊が観音菩薩であったため観音坂となったそうです。
このあと、谷町四丁目駅まで歩きました。
GoToEatプレミアム食事券
第3回目(20201027)に予約したGoToEatプレミアム付食事券。元々10月29日に購入できる予定だったのが、大阪では用紙不足のため購入ができませんでした。約2週間遅れの昨日、漸く買うことができました。有効期限は来年3月31日まで。大事に使わせて頂きたいと思っています。
大幅に発券が遅れたのは想定外のことが起きたのでしょうが、システムの不完全さを感じました。そのような中、全国のファミマに設置されているマルチメディア端末「Famiポート」の「Famiポートコンシェルジュ」(2019/10/23~)がコールセンターから遠隔でリモート操作できるようになっているのは、操作不慣れな人にも便利と感じると同時にシステム化の進展に驚きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
生國魂神社
3密(密閉、密集、密接)のand条件、or条件を共に回避しながら、「谷町九丁目から谷町四丁目」に参加しました。当日は晴れ、最高気温18.3℃。爽やかな秋晴れの中、気持ち良いウォーキングになりました。
谷町
大阪の町名で谷町一丁目から谷町九丁目まである。八丁目と九丁目北部は谷町筋八丁目寺町と呼ばれる寺町で西隣の中寺(生玉筋中寺町)にかけて寺院が多くある。また、「タニマチ」は相撲の用語のひとつで、相撲の力士を後援している人やごひいき筋のことを指す隠語。タニマチは谷町に由来する言葉。町の名前が相撲の後援者を指す言葉となったのは、明治の末ごろ、大阪市南区(現・中央区)の谷町筋に「薄病院(すすきびょういん)」という外科の病院があり、この医院の医師であった薄恕一先生が大変な相撲愛好家で、相撲取りからは治療代をとらず、力士たちから大変慕われ、ここから相撲の支援者を「タニマチ」というようになったそうです。
集合場所谷町九丁目駅近くの生玉公園を出発して、大阪国際交流センター、桃谷公園、彌栄神社、御幸森天神社、コリアタウン、伝正院を経由して平戸公園まで歩きます。
集合場所の生玉公園
生玉公園を出発します。
暫く歩くと大阪国際交流センターの前を通過します。
大阪国際交流センター(おおさかこくさいこうりゅうせんたー)
1987年開館。1006名を収容する大ホールを備え、コンサートやライブ等も開催される。 箕面市に移転した大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)の跡地に、市民と在住外国人、留学生の国際交流やサポートのために設立されたそうです。
桃谷公園に向かいます。
細工谷界隈を歩きます。
桃谷公園に着きました。
少し休憩になりました。
彌栄神社(やえじんじゃ)
神祖素盞嗚命(すさのおのみこと)を文録年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)より分霊奉還したのがはじまりとのこと。その当時は牛頭(ごず)天王社と呼ばれ、創立以来旧木野(この)村の鎮守として崇敬厚く宮座(みやざ)を設けて奉仕し、明治5(1872)年村社に列せられ、社号もこの時に彌栄神社と改められたそうです。
コロナ対策でしょうね、狛犬(こまいぬ)がマスクしていました。
御幸森天神宮(みゆきもりてんじんぐう)
大阪コリアンタウンの街中にある御幸森天神宮。御幸森神社は百済の渡来人との関係がとても深い神社で、夏祭りや秋祭りには大阪ならではだんじりがこの周辺を練り歩き、毎年10月の生野祭りには御幸森天神宮も参加して盛大に行われています。御幸森天神宮の主祭神は仁徳天皇。御幸森の「御幸」という言葉、聞くとなんだか古典の授業で習ったことを思い出しますが、御幸とは古典の世界で天皇様がお出かけなさるという意味です。このあたりは、仁徳天皇が鷹狩りに来たり、この地の森で休憩したりしていたと言われているところ。そこから「御幸の森」と呼ばれるようになったという謂れがあるそうです。
コリアタウンを歩きます。
コリアタウン
JR環状線の鶴橋駅と桃谷駅の間にある商店街で、キムチやチヂミなど韓国食料品店や飲食店、民族衣装の店が300m程の通りに約150店舗が軒を並べる。多くは在日コリアンの人々による経営で、街中にハングルがあふれ、全国で最も在日コリアンの人々が集中する地域とされる。近年では、地元の人たちがNGOを結成し、他地方から修学旅行などで訪れる中高生を相手に、キムチづくりの体験やハングルの入門講座教室、街案内などをしているそうだ。ちなみに「御幸通り」の名称は、5世紀ごろこのあたりに百済から渡来した人々が暮らしており、当時の仁徳帝がその様子を視察に訪れた際に休んだ場所(いまの商店街の西外れにあった森)へ「御幸森神社」が建立されたことが由来であると伝えられているそうです。
近くの公園で休憩した後、平戸公園に向かいます。
雲の形がユニークと思いました。
伝正院の横にある松下幸之助起業の地顕彰碑を通過します。
松下幸之助起業の地顕彰碑
世界的な企業として発展することになった「松下電器産業」の創業者である松下幸之助氏の起業の地。
平成16年11月、松下幸之助氏生誕110年を記念し、同氏をこの地域の「ものづくり」の象徴として、また、ひがしなりの誇りとして、その功績を称え、地元有志のグループが顕彰碑を建立されたそうです。
平戸公園に着きました。
平戸公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩したあと、八阪神社、善福寺、心眼寺、観音坂を経由して谷町四丁目駅まで歩きました。
八阪神社(やさかじんじゃ)
素盞鳴尊(すさのおのみこと)ほか一柱を奉斉する旧中道村の氏神で、藤原道長がこの地に別業(別邸)を設け祀っていたのを、仁安元年(1166年)里人(さとびと)が社殿を再興し、天正12年(1584年)現在地に移転したと伝え、もと牛頭天王白山権現(ごずてんのうはくさんごんげん)と称しましたが、明治5年(1872年)八阪神社と改称したそうです。
善福寺に向かいます。
善福寺(ぜんふくじ)
善福寺は大坂夏の陣の戦死者を弔うために建てられたと伝わるお寺。通称はどんどろ大師。「どんどろ」とは、天保年間の大坂城代で弘法大師を信仰した土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)の「土居殿」 がなまり、本尊の弘法大師がこの名称で呼ばれるようになったそうです。土井利位は幕府の老中となり水野忠邦の天保の改革に協力したそうです。
直ぐにある心眼寺を通過します。
心眼寺(しんがんじ)
真田幸村とその子・大助の供養のために真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てた寺。心眼寺周辺は大坂冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出丸・真田丸跡地だそうです。
空堀商店街を歩きます。
観音坂を通過します。
観音坂(かんのんざか))
この近くにかつて「和勝院」という寺があり、本尊が観音菩薩であったため観音坂となったそうです。
このあと、谷町四丁目駅まで歩きました。
GoToEatプレミアム食事券
第3回目(20201027)に予約したGoToEatプレミアム付食事券。元々10月29日に購入できる予定だったのが、大阪では用紙不足のため購入ができませんでした。約2週間遅れの昨日、漸く買うことができました。有効期限は来年3月31日まで。大事に使わせて頂きたいと思っています。
大幅に発券が遅れたのは想定外のことが起きたのでしょうが、システムの不完全さを感じました。そのような中、全国のファミマに設置されているマルチメディア端末「Famiポート」の「Famiポートコンシェルジュ」(2019/10/23~)がコールセンターから遠隔でリモート操作できるようになっているのは、操作不慣れな人にも便利と感じると同時にシステム化の進展に驚きました。
ご訪問していただきありがとうございました。