大阪七福神(大阪市) [ウォーキング大阪市]
「大阪七福神」に参加してきました。(20180819)
七福神
大阪市の七福神を訪れてきました。
当日は曇り、最高気温33.0℃。暑かったですが、気持ちの良いウォーキングになりました。
七福神
七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称。「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に今も生き続けてきているそうです。
大阪七福神は以下の神様です。
1.三光神社 寿老神 富貴長寿の神
2.長久寺 福禄寿 招徳人望の神
3.法案寺 弁財天 知恵財宝の神
4.大乗坊 毘沙門天 融通招徳の神
5.大国主神社 日出大国神 福徳開運の神
6.今宮戎神社 戎大神 商売繁盛の神
7.四天王寺 布袋尊 笑門来福の神
集合場所森ノ宮駅近くの公園を出発して玉造稲荷神社、三光神社、長久寺、高津宮、法案寺、大乗坊を経由してなんばパークスまで歩きます。
森ノ宮駅近くの公園
公園を出発します。
玉造稲荷神社を通過します。
三光神社に着きました。
これから七福神を巡ります。
三光神社(さんこうじんじゃ)
仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻り、古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれた。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから「三光神社」と呼ばれているそうです。
寿老神(じゅろうじん)
長久寺に向かいます。
長久寺(ちょうきゅうじ)
当山の縁起は、1579年豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。1712年本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、1751~1764年、1764~1771年間に復興した。その後、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小。現在の本堂は1963年に完成したそうです。
高津宮を通過します。
法案寺に着きました。
法案寺(ほうあんじ)
法案寺は大阪府大阪市中央区にある仏教寺院。詳名は法案寺南坊。 通称・日本橋聖天。山号は志宜山。高野山真言宗・準別格本山。 本尊・薬師如来。現在、仮本堂には聖観音・歓喜天・不動明王・弘法大師などを祀り、境内には弁財天・不動明王・地蔵菩薩などが祀られているそうです。
弁財天(べんざいてん)
道頓堀を渡ります。
大乗坊(だいじょうぼう)
当山は元は四天王寺の東北方、牛崎と云う所に在った寶満寺37坊の1つ。織田信長の石山本願寺攻めの合戦(1570~1580年)に巻き込まれ、再三にわたる兵火の難を逃れるため、当時の住職の秀言律師は本尊の毘沙門天の仏頭を奉じ、ここ難波村(現在の日本橋筋)に草庵を起こし、大乗坊を再興したそうです。
毘沙門天(びしゃもんてん)
なんばパークスに着きました。
なんばパークスで昼食休憩になりました。
昼食休憩後、大黒主神社、今宮戎神社、布袋堂を経由して天王寺駅まで歩きました。
なんばパークスを出発します。
大黒主神社(おおくにぬしじんじゃ)
当神社の縁起は、社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、この地に松を三本植えて、そこに素戔嗚尊を祀り、渡航安全を祈願したのが始まりとし、この松の木にちなみ「松本宮」と称したという。中世以降は牛頭、天王社、祇園社などの名が残り、明治初年の神仏分離令により「八坂神社」と改称されている。現在の社名となったのは1887~1896年。この「敷津松之宮」は素盞鳴尊、大国主命、奇稲田姫命、事代主命、少彦名命とポピュラーな名前の神々が祀られている。「大阪七福神」の1つ『木津の大国さん』で知られる「大国主神社」は「敷津松之宮」の摂社だそうです。
大黒天(だいこくてん)
今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
大阪の商売の神様として有名な神社。聖徳太子が四天王寺を建立したときに同地西方の鎮護として祀ったのが始めと伝えられ、天照皇大神、事代主命、外三神を祭神とする。1月9日~11日の3日間にわたり行われる「十日戎」には約100万人の参詣者が訪れるそうです。
四天王寺(してんのうじ)
四天王寺は聖徳太子建立七大寺の一つ。山号は荒陵山、本尊は救世観音菩薩である。「金光明四天王大護国寺」ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称だそうです。
布袋堂
四天王寺の布袋尊は、「乳布袋」や「乳のおんばさん」と呼ばれていて、お乳が出ない人にはお乳を授け、出過ぎて困る人には乳上げを授けてくれると言われているそうです。
この後、天王寺駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
七福神
大阪市の七福神を訪れてきました。
当日は曇り、最高気温33.0℃。暑かったですが、気持ちの良いウォーキングになりました。
七福神
七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称。「七難即滅、七福即生」の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。七福神の信仰は、室町時代の末期のころより生じ、当時の庶民性に合致して民間信仰の最も完全な形となって育てられてきました。特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に今も生き続けてきているそうです。
大阪七福神は以下の神様です。
1.三光神社 寿老神 富貴長寿の神
2.長久寺 福禄寿 招徳人望の神
3.法案寺 弁財天 知恵財宝の神
4.大乗坊 毘沙門天 融通招徳の神
5.大国主神社 日出大国神 福徳開運の神
6.今宮戎神社 戎大神 商売繁盛の神
7.四天王寺 布袋尊 笑門来福の神
集合場所森ノ宮駅近くの公園を出発して玉造稲荷神社、三光神社、長久寺、高津宮、法案寺、大乗坊を経由してなんばパークスまで歩きます。
森ノ宮駅近くの公園
公園を出発します。
玉造稲荷神社を通過します。
三光神社に着きました。
これから七福神を巡ります。
三光神社(さんこうじんじゃ)
仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻り、古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれた。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから「三光神社」と呼ばれているそうです。
寿老神(じゅろうじん)
長久寺に向かいます。
長久寺(ちょうきゅうじ)
当山の縁起は、1579年豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。1712年本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、1751~1764年、1764~1771年間に復興した。その後、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小。現在の本堂は1963年に完成したそうです。
高津宮を通過します。
法案寺に着きました。
法案寺(ほうあんじ)
法案寺は大阪府大阪市中央区にある仏教寺院。詳名は法案寺南坊。 通称・日本橋聖天。山号は志宜山。高野山真言宗・準別格本山。 本尊・薬師如来。現在、仮本堂には聖観音・歓喜天・不動明王・弘法大師などを祀り、境内には弁財天・不動明王・地蔵菩薩などが祀られているそうです。
弁財天(べんざいてん)
道頓堀を渡ります。
大乗坊(だいじょうぼう)
当山は元は四天王寺の東北方、牛崎と云う所に在った寶満寺37坊の1つ。織田信長の石山本願寺攻めの合戦(1570~1580年)に巻き込まれ、再三にわたる兵火の難を逃れるため、当時の住職の秀言律師は本尊の毘沙門天の仏頭を奉じ、ここ難波村(現在の日本橋筋)に草庵を起こし、大乗坊を再興したそうです。
毘沙門天(びしゃもんてん)
なんばパークスに着きました。
なんばパークスで昼食休憩になりました。
昼食休憩後、大黒主神社、今宮戎神社、布袋堂を経由して天王寺駅まで歩きました。
なんばパークスを出発します。
大黒主神社(おおくにぬしじんじゃ)
当神社の縁起は、社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、この地に松を三本植えて、そこに素戔嗚尊を祀り、渡航安全を祈願したのが始まりとし、この松の木にちなみ「松本宮」と称したという。中世以降は牛頭、天王社、祇園社などの名が残り、明治初年の神仏分離令により「八坂神社」と改称されている。現在の社名となったのは1887~1896年。この「敷津松之宮」は素盞鳴尊、大国主命、奇稲田姫命、事代主命、少彦名命とポピュラーな名前の神々が祀られている。「大阪七福神」の1つ『木津の大国さん』で知られる「大国主神社」は「敷津松之宮」の摂社だそうです。
大黒天(だいこくてん)
今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
大阪の商売の神様として有名な神社。聖徳太子が四天王寺を建立したときに同地西方の鎮護として祀ったのが始めと伝えられ、天照皇大神、事代主命、外三神を祭神とする。1月9日~11日の3日間にわたり行われる「十日戎」には約100万人の参詣者が訪れるそうです。
四天王寺(してんのうじ)
四天王寺は聖徳太子建立七大寺の一つ。山号は荒陵山、本尊は救世観音菩薩である。「金光明四天王大護国寺」ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称だそうです。
布袋堂
四天王寺の布袋尊は、「乳布袋」や「乳のおんばさん」と呼ばれていて、お乳が出ない人にはお乳を授け、出過ぎて困る人には乳上げを授けてくれると言われているそうです。
この後、天王寺駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。