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08.浪速区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「浪速区をあるく」に参加してきました。(20170711)

湊町リバープレイス
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大阪の浪速区の歴史ある街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、34.0℃、暑かったですが気持の良いウォーキングになりました。


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地図 (1).JPG



集合場所湊町リバープレイスを出発して勘助島の渡し碑、浪速神社、唯尊寺、難波八阪神社、大国主神社、高岸公園まで歩きます。

湊町リバープレイスを出発して近くの公園で休憩になりました。
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休憩後、暫く歩くと京セラドーム大阪が見えてきました。
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勘助島の渡し碑
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木津川を渡ります。
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浪速神社に向かいます。

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浪速神社(なにわじんじゃ)
坐摩(ざま)神社の末社として、坐摩大神(いかすりのおおかみ)を祭神としているほか、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)、白髭大神(しらひげおおかみ)も祀っています。 大祭として、元旦祭、春祭、夏祭、秋祭があり、特に7月21日、22日の夏祭は布団太鼓の巡行がにぎやかに行われています。神社前公園には大阪大空襲(昭和 20年3月13日)による犠牲者の供養塔が昭和52年(1977年)に建てられ、再び戦争をしないとの願いと平和への祈りが込められています。昭和60年(1985年)には、無縁仏の供養のため五輪塔が建てられたそうです。
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この後、唯尊寺、難波八阪神社に向かいます。

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唯尊寺(ゆいせんじ)
用明天皇の時代に天種子命(あめのたねこのみこと)の裔である迹見赤摂(とみいちひ)が、木津浦に草庵を構えたのが起こりと伝えられ、その後三十三世光重が蓮如上人の弟子となり明応7年(1498年)坊舎を建立、天正7年(1579年)唯専寺の号と安阿弥作の木像を授与されました。本願寺と織田信長との石山合戦の際の功績により、明治44年(1911年)に本山から由緒寺として認められました。境内には寛永14年(1637年)鋳造の梵鐘(ぼんしょう)や木津勘助の墓があるそうです。
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難波八阪神社(なんばやさかじんじゃ)
古来難波下の宮と称し、難波一帯の産土神(うぶすなのかみ)でした。もとは神仏混交でしたが、維新後、神仏分離により寺は廃絶し、明治5年(1872年)に郷社となりました。当社の祭神、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治され、民の困苦を除かれた故事に基づき始められたという綱曳神事は、「摂津名所図絵」や「摂津名所図会大成」にも紹介されています。また、平成13年(2001年)度には、大阪市で初めての無形民俗文化財に指定されました。現在の社殿は、昭和49年(1974年)5月に改築され、都心部の社として近代的に生まれ変わり、絵馬殿は獅子頭をかたどった規模(高12m、幅11m、奥行10m)の大きなものだそうです。
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絵馬殿
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この後、大国主神社から木津卸売市場、高岸公園まで歩きます。

大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)
社伝によれば、神功皇后が三韓を平定されて住吉大社に凱旋報告のため、敷津浦を航海されたとき、敷津浜に荒い波がうちよせられるのを見られ、『これから汐が満ちてはいけません』と松の木を渚に三本植え、素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りになり航海の安全を祈られたことから「松之宮」と呼ばれたとあります。敷津松之宮と“木津の大国さん”で知られる大国主神社とが相殿となっています。境内には木津勘助の銅像と折口信夫の歌碑があります。毎年1月9日から 11日には大国まつりが行なわれるそうです。
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木津卸売市場
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高岸公園
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ここで、昼食休憩になりました。


昼食休憩後、 今宮戎神社、廣田神社、通天閣、てんしばを経由してJR 天王寺駅まで歩きました。

今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
商売繁盛の神様で「十日えびす(えべっさん)」(毎年1月9日~11日)は「商売繁盛笹持ってこい」の掛け声もにぎやかに福笹をもとめる参拝者が100万人を超え、新春早々のまつりとしてにぎわいます。事代主命(ことしろぬしのみこと)・(えびすがみ)は、もともと漁労民の信仰に始まり、中世に入って市神様として祀られ、大阪の商工業の発展とともに商売繁盛の守神として信仰されてきました。元禄時代には今日と同じような祭礼が始まりました。正面で参拝後社殿の裏へ回ってドラを打ち、再度お願いする習慣があるそうです。
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廣田神社(ひろたじんじゃ)
もと天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)ですが創建年代は不詳です。古い由緒を持つとともに江戸時代には廣田の杜といわれ、うっそうとした森のなかに社がありました。当時は境内も広く、紅白二種の萩を植えた茶店があって、萩の茶屋と呼ばれていたといわれています。桜の木も多く美しい社であったとのことです。無病息災・痔疾をはじめ難病治癒にご利益があり、アカエイ(関西ではアカエ)を神使とするユニークな神社で、叡知の“エイ”に通じることから合格・必勝の祈願をかなえるといわれ、広く信仰されているそうです。
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通天閣(つうてんかく)
明治45年(1912年)パリのエッフェル塔をモデルに建設され、全国的にもその名が知られている大阪のシンボル通天閣は、「天に通ずる塔」という意味で、現在の通天閣は2代目です。初代通天閣は、産業振興の目的で開かれた内国勧業博覧会の会場跡地を利用してルナパークと共に造られました。通天閣とルナパークはロープウェーで結ばれ一大娯楽場としてデビューし、市民の憩いの場として親しまれました。昭和18年に解体されましたが、地元の人々の努力により昭和31年(1956年)に再建され、再び大阪のシンボルとしてよみがえり、今も市民から愛され、親しまれています。現在の通天閣は高さ103mで、91mの展望台から晴れの日には淡路島や和歌山まで見渡せるそうです。
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新世界市場の中を通ります。
初めて歩きました。
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市立美術館とアベノハルカスを臨みます。
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てんしば
「てんしば」は新しく生まれ変わった天王寺公園です。
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この後、JR 天王寺駅まで歩きました。


今回、Niceを閉じさせて頂きます。


ご訪問していただきありがとうございました。






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