大阪七福神めぐりと住吉さんウォーク(大阪) [ウォーキング大阪市]
大阪七福神めぐりと住吉さんウォークに参加してきました。(20160111)
天王寺公園
当日は晴れ、曇りの天気の中での楽しいウォーキングでした。
大阪の七福神を参拝して沢山のご利益がいただけるようにお願いしてきました。また、午後は天王寺から熊野街道を経由して住吉大社まで歩きました。
大阪七福神は以下の神様です。
1.三光神社 寿老神 富貴長寿の神
2.長久寺 福禄寿 招徳人望の神
3.法案寺 弁財天 知恵財宝の神
4.大乗坊 毘沙門天 融通招徳の神
5.大国主神社 日出大国神 福徳開運の神
6.今宮戎神社 戎大神 商売繁盛の神
7.四天王寺 布袋尊 笑門来福の神
集合場所のJR玉造駅近くの公園を出発して、三光神社、長久寺、法案寺、大乗坊まで歩きなんばパークスで休憩になりました。
集合場所のJR玉造駅近くの公園です。
三光神社
仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻り、古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれた。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから「三光神社」と呼ばれているそうです。
寿老神
谷町7丁目交差点を渡ります。
谷町7丁目近くに長久寺があります。
長久寺
当山の縁起は、1579年豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。1712年本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、1751~1764年、1764~1771年間に復興した。その後、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小。現在の本堂は1963年に完成したそうです。
長久寺から次の法案寺に向かいます。
道頓堀を一旦北に渡ります
法案寺
法案寺は大阪府大阪市中央区にある仏教寺院。詳名は法案寺南坊。 通称・日本橋聖天。山号は志宜山。高野山真言宗・準別格本山。 本尊・薬師如来。現在、仮本堂には聖観音・歓喜天・不動明王・弘法大師などを祀り、境内には弁財天・不動明王・地蔵菩薩などが祀られているそうです。
弁財天
その後、堺筋を南下して高島屋東別館のところを西に曲がり、大乗坊に向かいます。
高島屋東別館
大乗坊
当山は元は四天王寺の東北方、牛崎と云う所に在った寶満寺37坊の1つ。織田信長の石山本願寺攻めの合戦(1570~1580年)に巻き込まれ、再三にわたる兵火の難を逃れるため、当時の住職の秀言律師は本尊の毘沙門天の仏頭を奉じ、ここ難波村(現在の日本橋筋)に草庵を起こし、大乗坊を再興したそうです。
なんばパークスで休憩になりました。
休憩後、大国主神社、今宮戎神社、四天王寺を経由して天王寺公園まで歩きます。天王寺公園で昼食休憩になりました。
大国主神社
当神社の縁起は、社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、この地に松を三本植えて、そこに素戔嗚尊を祀り、渡航安全を祈願したのが始まりとし、この松の木にちなみ「松本宮」と称したという。中世以降は牛頭、天王社、祇園社などの名が残り、明治初年の神仏分離令により「八坂神社」と改称されている。現在の社名となったのは1887~1896年。この「敷津松之宮」は素盞鳴尊、大国主命、奇稲田姫命、事代主命、少彦名命とポピュラーな名前の神々が祀られている。「大阪七福神」の1つ『木津の大国さん』で知られる「大国主神社」は「敷津松之宮」の摂社だそうです。
今宮戎では十日戎(とおかえびす)が開催されていて多くの人がお参りしていました。
今宮戎神社
大阪の商売の神様として有名な神社。聖徳太子が四天王寺を建立したときに同地西方の鎮護として祀ったのが始めと伝えられ、天照皇大神、事代主命、外三神を祭神とする。1月9日~11日の3日間にわたり行われる「十日戎」には約100万人の参詣者が訪れるそうです。
商売繁盛しますように。
四天王寺
四天王寺は聖徳太子建立七大寺の一つ。山号は荒陵山、本尊は救世観音菩薩である。「金光明四天王大護国寺」ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称だそうです。
布袋尊
五重塔は平成27年9月8日から約3年間にわたる中心伽藍耐震改修工事が行われていました。
天王寺公園で休憩します。冒頭の写真の場所です。
昼食休憩後はアベノハルカスを近くから見上げたあとは熊野街道を経由して万代池公園、住吉大社まで歩きました。
「てんしば」から見上げるアベノハルカス
熊野街道
阪堺電車
チンチン電車としても有名ですね。カラフルな車体が目立ちます。
住吉大社
住吉大社は式内社、摂津国一宮、二十二社の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国に約2,300社ある住吉神社の総本社であるほか、下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名だそうです。
反橋(そりばし)(「太鼓橋」ともよばれる)
住吉の象徴として大変有名で太鼓橋 (たいこばし) とも呼ばれ石の橋脚は慶長年間に淀君が奉納したものであるといわれている。昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたそうです。川端康成が、小説『反橋』で「上るよりもおりる方がこはいものです」と書いたことでも知られる。この橋を渡るのは、神さまに近づくのに罪や穢 (けが) れを祓 (はら) い清めるため。反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられているためだそうです。
大きな「おみくじ」、楽しそうですね。多くの行列ができていました。
ご訪問していただきありがとうございました。
天王寺公園
当日は晴れ、曇りの天気の中での楽しいウォーキングでした。
大阪の七福神を参拝して沢山のご利益がいただけるようにお願いしてきました。また、午後は天王寺から熊野街道を経由して住吉大社まで歩きました。
大阪七福神は以下の神様です。
1.三光神社 寿老神 富貴長寿の神
2.長久寺 福禄寿 招徳人望の神
3.法案寺 弁財天 知恵財宝の神
4.大乗坊 毘沙門天 融通招徳の神
5.大国主神社 日出大国神 福徳開運の神
6.今宮戎神社 戎大神 商売繁盛の神
7.四天王寺 布袋尊 笑門来福の神
集合場所のJR玉造駅近くの公園を出発して、三光神社、長久寺、法案寺、大乗坊まで歩きなんばパークスで休憩になりました。
集合場所のJR玉造駅近くの公園です。
三光神社
仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻り、古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれた。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから「三光神社」と呼ばれているそうです。
寿老神
谷町7丁目交差点を渡ります。
谷町7丁目近くに長久寺があります。
長久寺
当山の縁起は、1579年豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。1712年本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、1751~1764年、1764~1771年間に復興した。その後、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小。現在の本堂は1963年に完成したそうです。
長久寺から次の法案寺に向かいます。
道頓堀を一旦北に渡ります
法案寺
法案寺は大阪府大阪市中央区にある仏教寺院。詳名は法案寺南坊。 通称・日本橋聖天。山号は志宜山。高野山真言宗・準別格本山。 本尊・薬師如来。現在、仮本堂には聖観音・歓喜天・不動明王・弘法大師などを祀り、境内には弁財天・不動明王・地蔵菩薩などが祀られているそうです。
弁財天
その後、堺筋を南下して高島屋東別館のところを西に曲がり、大乗坊に向かいます。
高島屋東別館
大乗坊
当山は元は四天王寺の東北方、牛崎と云う所に在った寶満寺37坊の1つ。織田信長の石山本願寺攻めの合戦(1570~1580年)に巻き込まれ、再三にわたる兵火の難を逃れるため、当時の住職の秀言律師は本尊の毘沙門天の仏頭を奉じ、ここ難波村(現在の日本橋筋)に草庵を起こし、大乗坊を再興したそうです。
なんばパークスで休憩になりました。
休憩後、大国主神社、今宮戎神社、四天王寺を経由して天王寺公園まで歩きます。天王寺公園で昼食休憩になりました。
大国主神社
当神社の縁起は、社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、この地に松を三本植えて、そこに素戔嗚尊を祀り、渡航安全を祈願したのが始まりとし、この松の木にちなみ「松本宮」と称したという。中世以降は牛頭、天王社、祇園社などの名が残り、明治初年の神仏分離令により「八坂神社」と改称されている。現在の社名となったのは1887~1896年。この「敷津松之宮」は素盞鳴尊、大国主命、奇稲田姫命、事代主命、少彦名命とポピュラーな名前の神々が祀られている。「大阪七福神」の1つ『木津の大国さん』で知られる「大国主神社」は「敷津松之宮」の摂社だそうです。
今宮戎では十日戎(とおかえびす)が開催されていて多くの人がお参りしていました。
今宮戎神社
大阪の商売の神様として有名な神社。聖徳太子が四天王寺を建立したときに同地西方の鎮護として祀ったのが始めと伝えられ、天照皇大神、事代主命、外三神を祭神とする。1月9日~11日の3日間にわたり行われる「十日戎」には約100万人の参詣者が訪れるそうです。
商売繁盛しますように。
四天王寺
四天王寺は聖徳太子建立七大寺の一つ。山号は荒陵山、本尊は救世観音菩薩である。「金光明四天王大護国寺」ともいう。 『日本書紀』によれば推古天皇元年に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称だそうです。
布袋尊
五重塔は平成27年9月8日から約3年間にわたる中心伽藍耐震改修工事が行われていました。
天王寺公園で休憩します。冒頭の写真の場所です。
昼食休憩後はアベノハルカスを近くから見上げたあとは熊野街道を経由して万代池公園、住吉大社まで歩きました。
「てんしば」から見上げるアベノハルカス
熊野街道
阪堺電車
チンチン電車としても有名ですね。カラフルな車体が目立ちます。
住吉大社
住吉大社は式内社、摂津国一宮、二十二社の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国に約2,300社ある住吉神社の総本社であるほか、下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名だそうです。
反橋(そりばし)(「太鼓橋」ともよばれる)
住吉の象徴として大変有名で太鼓橋 (たいこばし) とも呼ばれ石の橋脚は慶長年間に淀君が奉納したものであるといわれている。昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたそうです。川端康成が、小説『反橋』で「上るよりもおりる方がこはいものです」と書いたことでも知られる。この橋を渡るのは、神さまに近づくのに罪や穢 (けが) れを祓 (はら) い清めるため。反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられているためだそうです。
大きな「おみくじ」、楽しそうですね。多くの行列ができていました。
ご訪問していただきありがとうございました。