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16.住吉区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「住吉区をあるく」に参加してきました。(20160112)

住吉大社の有名な反橋(太鼓橋)
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当日は最高気温10℃と平年並みの気温。少し寒く感じる中の気持ち良いウォーキングになりました。

大阪住吉区の住吉大社、あびこ観音などの由緒ある神社および住宅街の街並みを楽しんできました。

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集合場所の住吉大社を出発して、一旦北に歩き生根神社、六道の辻・閻魔地蔵を見たあと、南に向かい住吉行宮跡、止止呂支売命神社を経由して沢之町公園、住吉区役所まで歩きます。


住吉大社
航海の神・祓の神・歌の神として古くから崇敬されている大社で、本殿4棟は桧皮葺・切妻造り妻入りの「住吉造り」と称され、現存のものは文化7年 (1810)に造営されたもので特色ある神社建築により国宝に指定。境内には石灯ろうが600余基ありますが、これは大阪・堺をはじめ全国の商人から奉納されたもので、また、反橋(太鼓橋)は鎌倉時代以前からあったことが古書により確認されている。おもな祭礼・神事としては、5月の「卯の葉神事」、6月14日の「御田植神事」、7月30日から8月1日までの「住吉祭」などがよく知られている。3万坪ある境内には、重要文化財の石舞台や南門・東西楽所などがあり、「田植踊り」や「住吉踊り」で有名な「御田植神事」は、昭和54年重要無形文化財として指定されたそうです。
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種貸社。一寸師発祥の地。
縁結びのご利益で有名な神様から誕生した、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られている。この神様は、稲の精霊で、稲には繁殖のご利益がある穀霊が宿っていると言われている。ふくよかな女性が優しい顔で赤ちゃんを抱っこしている「種貸人形」という置物が大変人気。ちなみに、昔話でも有名な一寸法師は、子宝に恵まれなかった初老の夫婦が、ここの住吉大社にお参りに来てから授かった子供なのだそうです。
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生根神社 (いくねじんじゃ)
祭神は少彦名命で、江戸時代は住吉大社の摂社であったが、明治5年分離されて郷社となる。本殿は淀君が寄進し、片桐且元の手で竣工されたといわれている。桧皮葺・壱間社流造りの建物で、正面千鳥破風や扉の装飾などに、桃山時代の華麗な様式を残していて、「住吉大社造営記」によれば、慶長5、6年 (1600年頃)の建立とされている。昭和45年2月、府の有形文化財に指定されたそうです。
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住吉行宮(あんぐう)跡
南朝の後村上天皇は、正平6年(1351)、北朝を奉じる足利義詮が降伏を申し出たので、翌年奈良県賀名生から住吉大社宮司津守国夏邸内の正印殿に移り、ここを行宮(行幸時の仮の宮居)とした。そのうち義詮は勢力をもり返して天皇の軍は敗れ、ふたたび賀名生に戻りました。後村上天皇はその後、たびたび行幸されましたが、ついに京都奪還はならず正平23年(1368)3月11日、41歳でこの地で亡くなられた。つぎの長慶天皇が即位されたのもこの地だそうです。
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止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ) (通称、若松神社)
素盞鳴命・稲田姫命を主神とする式内社。創建は不詳。通称、若松神社とあるのは承久3年(1221)後鳥羽上皇が熊野詣をされた際、当神社境内の若松の林の中に御所を作り、その行宮を若松御所と称したことに由来しているそうです。
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沢之町公園で休憩した後、極楽寺、雲上地蔵尊、大和川沿い、大阪市立大学のキャンパス間のメタセコイア並木道を経由して浅香中央公園まで歩きます。


極楽寺(ごくらくじ)
創建年は不祥。本尊毘沙門天はここから南に広がっていた榎津庄(奈良~平安期に見られる郷)にあった寺のものと伝えられている。境内には大きな一基の毘沙門天石灯籠がある。表面の磨滅は甚だしいが、建武3年(1336)丙子3月の銘があり、重要文化財に指定。一説によると当寺に祈願して誕生した楠木正成の寄進と伝えられているそうです。
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雲上地蔵尊
地蔵さんと、神さんが同じ御堂の青銅色屋根下に同居しておられます。
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大和川沿いを歩きます。
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メタセコイアの並木道を歩きます。
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浅香中央公園
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浅香中央公園での昼食休憩後、再び大和川沿い、大依羅神社、あびこ観音寺を経由してJR長居駅まで歩きました。


大依羅神社 (おおよさみ じんじゃ)
祭神は、依羅吾彦の祖先である建豊波豆羅和気王を主神として合祀。依羅吾彦は、14代仲哀天皇に従って「熊襲征伐」に出かけたこともあり、この地に住んで豪族となる。日本書紀によると、当神社は広大で、依羅氏が代々神主となっていたが、南北朝の戦乱により依羅氏が滅び、社殿も焼失。現在の本殿の西北側にある古井戸は「庭井の清水」と呼ばれ、庭井の地名もこの伝説によるといわれているそうです。
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あびこ観音寺
正式には「吾彦山」、寺号を「大聖観音寺」と称し、日本最古の観音信仰道場・厄除けの寺として有名。昔、この地に住んでいた依羅吾彦という勢力のある一族が、百済の聖明王から身の丈約5cmの小さな観音像を贈られ、人々は御堂を建てて信心したが、今から約1400年前、聖徳太子がこの地を訪ねられた際、観世音菩薩のお告げを受け、当寺を創建されたと伝えられている。毎年恒例の「節分厄除大法会」は、厄除開運・無病息災・諸願成就を祈る人々でにぎわっている。
また、大阪夏の陣の折、徳川家康が真田幸村に責められ、かくまってもらったところでもあるそうです。
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今回、歩いた住吉区の区役所です。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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