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12.生野区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「生野区をあるく」に参加してきました。(20150721)

当日はとても暑い中のウォーキング。しっかりと水分、塩分をとりながら歩きました。
ゴールの四天王寺では骨董市が開かれていました。

東巽緑地
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JR桃谷駅近くの桃谷公園を出発すると直ぐに白壁のある通りを経由して彌栄神社、御幸森神社、つるのはし跡、生野神社まで歩きます。
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彌栄神社
神祖素盞嗚命(すさのおのみこと)を文録年間に熊野巫神社(旧出雲国意宇郡)より分霊奉還したのがはじまりとのこと。その当時は牛頭(ごず)天王社と呼ばれ、創立以来旧木野(この)村の鎮守として崇敬厚く宮座(みやざ)を設けて奉仕し、明治5(1872)年村社に列せられ、社号もこの時に彌栄神社と改められたそうです。
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御幸森神社
仁徳天皇・少彦名命(すくなひこなのみこと)・押坂彦命(おさかひこのみこと)を主祭神としています。江戸時代には『御幸宮』または『天皇天神社』と称していました。社頭に立てられた由来碑によると、仁徳天皇のとき百済野の北端にあった小丘に鷹を放って天皇がそれをご覧になったところから御幸森の名が起こったそうです。
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つるのはし跡
『日本書紀』仁徳天皇14年の条に、猪甘津(いかいのつ)に小橋(おはし)を作った記事があり、記録に残る日本最古の橋で平野川(旧大和川)に架けられたもの。名の由来は、鶴が多く集まっていたからとも言われた。また、「津の橋」がなまったからとも言われている。明治7年、平野川浚渫のとき木橋から石橋に架け替えられた。そのときの親柱を記念に残し大きな橋跡の碑が建てられたそうです。
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生野神社
木瓜(もっこう)を神紋とする生野神社の古名は、牛頭(ごず)天王宮という神号を用い、明治5(1872)年村社、明治42(1909)年素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社を経て、戦後の昭和22(1947)年に生野神社と改称されたそうです
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生野神社からは巽公園で休憩したあと、巽東緑地まで歩きます。


巽東緑地は冒頭の写真のところです。


巽東公園で昼食頂いたあと、巽配水場の横を歩きます。
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平野川大橋、ここからは川の左側を歩きます
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今林公園
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中央卸市場東部市場の北側を歩きます。遠くにはゴール近くにある「あべのハルカス」が見えます。
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中央卸市場東部市場を通過した後、成恩寺、生野本通商店街、源ケ橋温泉を経由してゴールの四天王寺に向かいます。

成恩寺
 関白一条実経公が弘安2年(1278)山崎邑に創建し、臨済宗東福寺開山聖一国師の弟子奇山円然禅師を招して開山。宝興山成恩寺と名づけられ、その後梅田に移築。大阪駅の拡張により、現在の林寺の地に移転、東福寺大阪別院と改名。昭和61(1986)年6月に元の寺号の宝興山成恩寺。東福寺派の準別格として高い寺格をもっているそうです。
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生野本通商店街のアーケードに芸術作品が掲示されていました。
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源ヶ橋温泉
源ヶ橋温泉(げんがはし おんせん)は、大阪市生野区にある公衆浴場(風呂屋)。風呂屋および銭湯の建造物としては、初めて国の登録有形文化財に登録されたそうです。
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寺田町付近からのあべのハルカス
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ゴール四天王寺に着きました。
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美味しそうな「ところてん」の看板を見て迷わずに買っていました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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