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世界遺産の百舌鳥古墳巡り [ウォーキング大阪府南部]

世界遺産の百舌鳥古墳巡り(20200927)

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ニサンザイ古墳


3密(密閉、密集、密接)のand条件、or条件を共に回避しながら、「世界遺産の百舌鳥古墳巡り」に参加しました。当日は曇り晴れ、最高気温26.0℃。気持ち良いウォーキングになりました。
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百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)
日本最大の仁徳天皇陵をはじめ、第3位の履中天皇陵や第8位のニサンザイ古墳など、250メートルを越える巨大古墳を擁する日本を代表する中期古墳群。古墳は現在44基残っていますが、消滅した古墳を含めると100基以上の古墳が築かれていたことがわかっています。堺市内の東西・南北約4キロメートルの範囲に広がる古墳群。古墳時代、この一帯には100基を超える古墳が造られました。しかし、都市化の進展などによってその多くが失われ、現在は4世紀後半から6世紀前半に造られた44基の古墳が残っており、日本の古墳文化を物語る貴重な遺産だそうです。

今回は以下の古墳群を巡ってきました。
 1.反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)
 2.仁徳天皇陵古墳(にんとくてんのうりょうこふん)
 3.履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)
 4.いたすけ古墳(いたすけこふん)
 5.ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)
 6.御廟山古墳(ごびょうやまこふん)

古墳の説明を最後にまとめました。



集合場所堺市駅近くの公園を出発して、方違神社、反正天皇陵古墳、仁徳天皇陵古墳、日本庭園、履中天皇陵古墳を経由して大仙公園まで歩きました。

堺市駅近くの公園です。
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公園を出発して方違神社に向かいます。
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方違神社(ほうちがいじんじゃ)
河内・和泉・摂津三国の境にある方位のない清地とされ方除祈願で有名。遠方への旅や家を移る時などに参れば災難に会わないという言い伝えから、新築・転居等の厄除けで各地から多くの人々が参詣に来られるそうです。
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南側に反正天皇陵古墳がありました。

反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)
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仁徳天皇陵古墳に向かいます。

仁徳天皇陵古墳(にんとくてんのうりょうこふん)
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大仙公園で少し休憩後、大仙公園日本公園に向かいます。

大仙公園 日本庭園(にほんていえん)
総面積:26,000平方メートル、設計:中根金作。大仙公園の日本庭園は堺の歴史を背景にして作庭され、庭園様式は『築山林泉回遊式』を用いているそうです。
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履中天皇陵古墳に向かいます。
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履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)
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大仙公園に着きました。

大仙公園
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歩く会は大仙公園でゴールになりました。



もう少し歩きたかったので一人ウォークを追加しました

当初予定されていた残りのコース、いたすけ古墳、ニサンザイ古墳、百舌鳥八幡宮、御廟山古墳から百舌鳥駅までと、さらに中百舌鳥駅まで歩きました。


いたすけ古墳(いたすけこふん)
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ニサンザイ古墳に向かう途中に彼岸花が綺麗に咲いていました。
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ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)
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百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)
欽明天皇(532~571年)のころに建てられたと伝えられ、うっそうとした境内と重厚なたたずまいは歴史の古さを感じさせます。本殿右前にある大くすは幹囲り5.2m、樹高25mで樹齢は700年とも800年ともいわれている名古木で、府の天然記念物に指定されています。また、毎年旧暦8月15日の中秋の名月にかけて、勇壮なふとん太鼓を繰り出す「月見祭」は、農作の祈願と満月を祝う風習とが合わさって神社の祭りになったものといわれ、記録によると300年以上の伝統があります。太鼓を仕込んだ台の上に、朱色の座布団を5段重ねにした造りのふとん太鼓は、高さ約4m、重さ約3tもあり約70人で担ぎ「ベーラベーラベラショッショイ」というかけ声と太鼓の音で、まちを練り歩いた後神社に奉納されるそうです。
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御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
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百舌鳥駅に着きました。
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中百舌鳥駅に向かいます。
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中百舌鳥駅
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【今回訪れた百舌鳥古墳群】

1.反正天皇陵古墳(はんぜいてんのうりょうこふん)
百舌鳥古墳群の北端にある前方部を南に向けた前方後円墳で、現在は百舌鳥耳原三陵の北陵・反正天皇陵として宮内庁が管理しています。墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。仁徳天皇陵古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵では小さいほうですが理由はよくわかっていません。墳丘は3段に築かれその形や出土した埴輪から、5世紀中頃に造られたと考えられているそうです。

2.仁徳天皇陵古墳(にんとくてんのうりょうこふん)
エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。日本最大の前方後円墳で北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっていますが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、鹿、家などが出土しています。昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕が出土し、古墳が造られた年代を知る資料として話題になっています。明治5年(1872年)には、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土しました。出土品は
再び埋め戻されたといわれていますが、詳細な絵図の記録があり、甲冑は金銅製の立派なものだったようです。日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されたことがわかっているそうです。

3.履中天皇陵古墳(りちゅうてんのうりょうこふん)
百舌鳥古墳群では仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)に次ぐ巨大前方後円墳で、10基ほどの陪塚を従えていたことがわかっています。そのなかの七観山古墳は出土資料などから、仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたことがわかっています。墳丘の全長約365m、後円部径205 m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの規模の日本で3番目に大きい、石津ヶ丘にある前方部を南に向けた巨大前方後円墳です。墳丘は3段築成で西側のくびれ部には造出しがあり、主体部の構造や副葬品などはわかっていませんが葺石と埴輪があります。一重の盾形周濠と堤がめぐっていますが、平成6年(1994年)に外側に幅10m程の2重目の周濠が見つかっています。江戸時代の記録では、後円部中央に大きなくぼみがあったといわれていることから、すでに盗掘を受けている可能性があります。現在は百舌鳥耳原三陵の南陵・履中天皇陵として宮内庁が管理しているそうです。

4.いたすけ古墳(いたすけこふん)
百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置し、前方部を西に向ける3段築成の前方後円墳です。周囲には一重の濠が巡り、墳丘には埴輪と葺石(ふきいし)のあることが確認されています。埋葬部分の構造や副葬品は不明ですが、墳丘の形や埴輪の状況から5世紀中頃に築造されたと考えられます。周囲には陪塚(ばいちょう)とよばれる小形の古墳があり、善右ヱ門山(ぜんえもんやま)古墳が後円部の東側に現存しています。消滅した陪塚には吾呂茂塚(ごろもづか)古墳、播磨塚(はりまづか)古墳がありました。 いたすけ古墳は、昭和30年頃に土取り工事で破壊の危機にひんしましたが、市民による運動で保存が決まり、昭和31年に国指定史跡になりました。現在も濠の中に残されている橋げたは、土取り工事が行われようとしたときの名残です。保存運動の際に後円部から採集された冑形(かぶとがた)埴輪は実物の鉄製冑を忠実に模したもので、堺市の文化財保護のシンボルマークになりました。 いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群を構成する重要な前方後円墳というだけでなく、我が国における文化財保護の歴史を語るうえでも重要な古墳だそうです。

5.ニサンザイ古墳(にさんざいこふん)
百舌鳥古墳群の南東端にある前方部を西に向けた大型前方後円墳で、墳丘の規模は全長約300m、後円部径約170m、高さ約24.6m、前方部幅約224m、高さ約25.9mです。3段に築かれた墳丘はくびれ部の両側には造出しがあり、主体部の構造や副葬品は不明ですが、葺石と埴輪のあることが確認されています。現在は一重の盾形周濠がめぐっていますが、昭和51年(1976年)に周囲の発掘調査で外濠のあることがわかりました。前方部が広くどっしりと安定感のある古墳で、反正天皇陵古墳(田出井山古墳)のほぼ4倍の大きさです。また建造時期もほぼ同じことから、これを反正天皇陵と考えている説もあります。墳丘は宮内庁が反正天皇の空墓として、陵墓参考地に指定し管理しています。ニサンザイは陵(みささぎ)が語源と考えられ、前方部が大きく広がったその姿は古墳群の中で最も精美といわれ、百舌鳥古墳群の中で最も新しい、5世紀後半に造られたとされる古墳だそうです。

6.御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
百舌鳥本町にある前方部を西に向けた前方後円墳です。平成20年に行われた宮内庁と堺市による発掘調査により、規模が墳丘長約203m、後円部径約113m、前方部最大幅約136mと復元されました。墳丘は3段に築かれていて、南側のくびれ部には造出しがあります。葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません。周囲には盾形の濠と堤がめぐっていますが、最近の調査で二重の濠があることがわかっています。墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しているそうです。



少し暑かったですが、気持ちの良いウォーキングになりました。

当日、歩いた合計距離は約15kmでした。




東京証券取引所のシステム障害
2020年10月1日、アローヘッド(システム名)の機器故障によりシステム障害が発生し、終日売買の停止。アローヘッド内に設置された約350のサーバー群で構成される中の1つの共有ディスク装置が故障。テストでは正常動作していた予備の2号機への切り替えができなかったことが、終日のシステム障害につながったそうですね。世界的に影響のあるシステム。予備機への切り替えができなかった原因を早く究明されることを祈っています。
小遣い銭程度の株しか保有していませんが、再発しないことを祈っています。

(追記)20201005
システム障害の原因は記録装置が故障した場合、予備機に自動的に切り替えする設定にされていなかったことが原因だったようですね。なぜ、切り替えするように設定されなかったのか不明点が残りますが、まずは、システム障害の技術的な原因が解明されて良かったですね。


ご訪問していただきありがとうございました。



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