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「大阪港ものがたり」の地をめぐる(大阪) [ウォーキング大阪市]

「大阪港ものがたり」の地をめぐるに参加してきました。(20180204)

大阪開港の地碑
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大阪開港の地など歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温5.3℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所JR今宮駅近くの公園出発して大阪開港の地碑、外国人居留地跡を経由して靭公園まで歩きます。

JR今宮駅近くの公園
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公園を出発して大阪開港の地碑に向かいます。
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大正駅近くを通過します。
大阪ドームが見えました。
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大阪開港の地碑に着きました。

冒頭の写真のところです。

大阪開港の地碑(おおさかかいこうのちひ)
江戸時代末期の“安政5ヶ国条約”により 神奈川・函館・長崎・兵庫・新潟の5カ所が 開港。当初 大阪は東京とともに“開市”されたが 開港場に指定されていなかったが, 1868(明治元)年に大阪は開港されて川口に大阪港が造られ、川口付近には 外国人居留地が設けられたそうです。


近くの広場で休憩後、外国人居留地跡、靭公園に向かいます。

川口居留地跡(かわぐちきょりゅうちあと)
明治元年大阪開港と同時に、この付近約26,000平方メートルに外国人居留地が設けられ、諸外国に競売された。そこには街路樹が植えられ、石油ランプの街灯、舗装道路に沿ってバンガロー風の洋館が並んだ。この一角は治外法権を有し特権をふるったが、付近は大阪人には新奇さに満ちた名所であった。明治32年条約改正により居留地は廃止され、大阪市にひきつがれた。川口の港の機能低下により、居留民は神戸へと離れて行ったが、あとへはキリスト教関係者が定住、病院・学校(特に女子教育)の経営に力が注がれたそうです。
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川口基督教会(かわぐちきりすときょうかい)
明治初期に創設された教会で、川口に外国人居留地が設置され、多くの外国人が居住。長崎から大阪にやってきた米国聖公会宣教師が英学講義所の開講と英語での礼拝を始めたそうです。
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靭公園
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靭公園で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、 大阪城公園を経由してJR森ノ宮駅まで歩きました。

靭公園を出発します。
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四つ橋筋を渡ります。
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御堂筋を渡ります。
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本町近くでユニークな車を見かけました。
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大阪城公園に着きました。
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この後、JR森ノ宮駅まで歩きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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