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大阪歴史の発祥地_上町台地を歩く [ウォーキング大阪市]

「大阪歴史の発祥地上町台地を歩く」に参加してきました。(20171217)

大阪城
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大阪歴史の発祥地 上町台地を歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温7.7℃。少し寒かったですが気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所大阪城公園駅を出発して大阪城、熊野街道、高津宮を経由して生玉公園まで歩きます。

大阪城公園駅前の広場を出発します。
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大阪城(おおさかじょう)
大阪城は大阪上町台地の北端に位置。当地には戦国時代末期から安土桃山時代初期にかけて石山本願寺があったが、1580年の石山合戦で焼失した後、豊臣秀吉によって大坂城が築かれたそうです。
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MIRAIZA OSAKA-JO(ミライザ大阪城)
2017年10月19日(木)オープン。旧第四師団司令部庁舎(もと大阪市立博物館)を改修。旧第四師団司令部庁舎の建物を維持しながらも、内装はレストランやお土産売り場、カフェなどを融合した複合施設になっているそうです。
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熊野街道を歩きます。
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高津宮(こうづぐう)
貞観8年(866)、清和天皇の勅令によって難波高津宮の遺跡が探され、あったと定められた地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされている。700年後、正親町天皇の天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂城を築城した際にご神体を現在地に移したが、第2次世界大戦時の大阪大空襲で神社は悉く全焼。現在の社殿は、戦後に再建されたもの。古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていたそうです。
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生國魂神社(いくたまじんじゃ)
神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして日本総鎮守の神社だそうです。
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生國魂神社の横にある生玉公園で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、愛染堂、安居神社、庚申堂、四天王寺、新歌舞伎座、三光神社を経由して森ノ宮駅まで歩きました。

愛染堂(あいせんどう)
愛染堂(勝鬘院(しょうまんいん))は聖徳太子が開いた施薬院に始まり、鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権・北条時頼から寺領を寄進されたといわれているそうです。毎年6月30日から7月2日は大阪三大夏祭りのひとつの愛染まつりが催されるそうです。
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安居神社(やすいじんじゃ)
落語「天神山」の舞台。 真田幸村が戦死したところといわれているそうです。
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庚申堂(こうしんどう)
四天王寺の南門から南へ300mの庚申堂(こうしんどう)は、庶民信仰に支えられる浪花の名刹で、かつては四天王寺の境内の一部であったそうです。「庚申」は道教の影響を受けた日本人の信仰のひとつで、三尸(さんし)という虫に由来している。人間の体内には3匹の虫が住みつき、その人の行動を監視している。そして庚申(かのえのさる)の夜、眠っている人の体から虫が抜け出して、その人の罪や過ちのいちいちを天帝に告げるという。そこから、庚申の日に眠らず「庚申待ち」という慣わしが生まれたとか。四天王寺・庚申堂は大宝元年(701)正月庚申の日に、毫範という僧侶の前に青面金剛童子が現れ庚申の法を伝授したと伝えられる。現在、60日に一度巡ってくる庚申の日には、境内にコンニャクの店が出ている。庚申のコンニャクを北向きで食べると頭痛が治るとの言い伝えがあり、大勢の参拝者で賑わうそうです。
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四天王寺(してんのうじ)
四天王寺は、推古天皇元年(593)に聖徳太子によって建立。「四天王寺式 伽藍配置」は6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされているそうです。
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上町台地を歩きます。
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新歌舞伎座の横を通過します。
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真田山公園で少し休憩になりました。
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三光神社(さんこうじんじゃ)
仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻り、古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれたらしい。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから「三光神社」と呼ばれている。大坂の陣の際、真田幸村が大阪城からの抜け穴(地下道)を設けたことで有名な神社。境内には抜け穴跡の史跡や幸村像が残されているそうです。
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この後、森ノ宮駅まで歩きました。


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ご訪問していただきありがとうございました。




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