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23.北区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「北区をあるく」に参加してきました。(20171212)

大阪駅北側
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大阪北区の歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温6.5℃。少し寒かったですが、気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所扇町公園を出発して堀川戎神社、大阪天満宮、泉布観を経由してOAPまで歩きます。

扇町公園
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扇町公園を出発します。

堀川戎神社(ほりかわえびすじんじゃ)
商売繁昌の神「蛭子大神(えびすの おおかみ)」を祀り、「堀川のえべっさん」と慕われるお宮。毎年1月9~11日に行なわれる 十日戎(とおかえびす)が有名で、当日は商売繁盛を願う数十万の人々で賑わうそうです。
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天神橋筋商店街を通って大阪天満宮に向かいます。
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大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)
菅原道真公が祭られている大阪天満宮は大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれています。 年末年始や受験、梅見のシーズンには、多くの参拝者で賑わい、境内北側の星合池(通称亀の池)周辺の梅林などに合計約100本の梅の木があるそうです。
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少し休憩後、OAPに向かいます。

南天満公園を歩きます。
綺麗な紅葉もすっかり落葉していました。
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泉布観(せんぷかん)
大阪市内に現存する最も古い洋風建築で国の重要文化財にも指定されています。泉布観は造幣寮(現在の造幣局)の応接所として明治4年(1871年)2月に落成。泉布観の「泉布」は「貨幣」、「観」は「館」を意味し、明治天皇が訪問した際に自ら命名されたものだそうです。
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OAP
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OAPで昼食休憩になりました。


昼食休憩後、鶴満寺、与謝蕪村生誕の碑・毛馬閘門、豊崎神社、富島神社を経由して大阪駅まで歩きました。

大川沿いを歩きます。
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鶴満寺(かくまんじ)
寺伝によると、円仁(慈覚大師)が河内の国に開き、長年廃れていたのを南方村の猟師瓦林鶴林が長年の殺生を悔いて同村に再興、その後また荒廃していたのを寛保3年(1743年)大坂の豪商上田宗右衛門広久が譲り受けて当地に移し、京都の上善寺の僧忍鎧を招いて宝暦3年(1753年)堂宇を完成させたそうです。
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毛馬閘門が見えてきました。

毛馬閘門(けまこうもん)
大川は旧淀川。現在の淀川は明治初期にオランダ人技師ヨハネス・デレーケたちが毛馬の閘門からまっすぐ大阪湾に流れるように改修したそうです。


ちょうど開門して砂利採取船が通っていました。
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与謝蕪村生誕の碑
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淀川堤防を歩きます。
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豊崎神社(とよさきじんじゃ)
由緒によれば、豊崎宮が廃されて、宮跡は松林となり、八本松と呼ばれていた。 正暦年間(990年~995年)藤原重治がこの地の開拓にあたり、この樹林に小祠を建立して孝徳天皇を祀ったのが起こりだそうです。
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富島神社(とみしまじんじゃ)
当社の創立年代は不詳。社伝によると足利時代既に存在しており、午頭天王社・?園社としていた。明治元年の神仏習合禁令により神号に牛頭天王の使用が禁止されたので、明治2年浪速八十島の中の利島にちなみ、利島神社と改称。明治43年には昔この辺りを富島の荘と呼んでいたことから富島神社と改称して現在に至る。昭和20年6月1日の大阪空襲により、美津神社と神具庫をのこして建物はことごとく焼失したが、御霊代は別所に奉安してご安泰であつた。昭和30年7月拝殿を新築したそうです。
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この後、大阪駅まで歩きました。


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ご訪問していただきありがとうございました。




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