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11.東成区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「東成区をあるく」に参加してきました。(20170110)

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大阪東成区の歴史ある街並み、神社仏閣などを歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温13℃、歩くにはちょうど良い気候。
お陰さまで気持ちの良いウォーキングになりました。


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早速ですが、地名読みクイズです。何と読むでしょうか?
関西の人であれば直ぐ分かるでしょうね。 答えは最後に・・・
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集合場所大阪城森ノ宮口を出発して玉造稲荷神社、比売許曽神社、亀の橋跡、熊野大神宮、妙法寺、法明寺、深江稲荷神社、安堵の辻を経由して東深江公園まで歩きました。

集合場所の大阪城森ノ宮口を出発します。
公園内の移動交通システムのロードトレインが今日も活躍しています。
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玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
紀元前12年の秋に創祀されたと伝えられる由緒ある神社。豊臣秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などが
並ぶ豊臣家ゆかりの神社でもあるそうです。
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玉造駅近くの公園で休憩になりました。

ビエラ玉造(びえらたまつくり)
玉造駅に隣接した列車の形の商業施設だそうです。
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比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)
下照比賣命(したてるひめのみこと)ほか五柱を奉斉する延喜式内名神大社(えんぎしきだいみょうじんたいしゃ)で垂仁天皇2年愛久目山(あくめやま)に下照比賣命を祀ったのを起源とするたいへん古い社で、推古天皇15年(607年)正遷宮(しょうせんぐう)の際に天皇の行幸(みゆき)があり、貞観元年(859年)神階を従四位に進められた歴史的にも有名な神社。石山合戦の兵火にあい現在地に移り、旧小橋村の氏神で、多数の文化財を有し、浪速文化の消息を知る貴重なものがあるそうです。
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暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)
大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道です。大阪高麗橋を起点として西から東へと通じ、暗越と呼ばれるように、生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったころから、この名称の由来があります。この奈良街道が開けていないその昔は、大阪から奈良へは日本最古の国道である竹の内街道が唯一のもので、奈良街道よりはるかに長いコースだったそうです。
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熊野大神宮(くまのだいじんぐう)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)ほか五柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。石山合戦の際、兵火にあいましたが再建され、元和(17世紀前期)以降大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした社で、熊野権現と称し、明治5年(1872)に現社号に改め、同44年(1911)旧東今里村氏神八剣神社を合祀したそうです。
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妙法寺(みょうほうじ)
聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されているそうです。
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この後、神路(しんみち)本通商店街の中を歩きます。
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法明寺(ほうみょうじ)
文保2年(1318年)融通大念仏宗(ゆうづうだいねんぶつしゅう)の中興の祖、法明上人(ほうみょうしょうにん)の開基で、境内に「雁塚(かりつか)」と呼ばれる二基の石塔があることで有名だそうです。
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深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)
宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡に指定されているそうです。
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安堵の辻(あんどのつじ)
深江の法明寺に残されている安堵の御影縁起(法明上人の弟の西願が、沙弥教信と法明上人がお話しされているところを描いた図)によると、貞和4年(1348年)の春突如として空中に紫の雲が現れ、その雲から尊い僧、沙弥教信が姿を現わし、法明上人に向って「あなたは永年念仏を唱えながら、人々を助けてこられました。おかげで来年の6月16日の朝、極楽へ安らかに旅立つことが出来るでしょう」と。上人はよいお告げを聞いたと喜び、お告げ通りに、その日に亡くなりました。その尊い僧に法明上人が出会ったところが辻だったので、この辻を“安堵(安心)の辻”と呼ぶようになったそうです。
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東深江公園で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、熊野大神宮御旅所、八王子神社御旅所、八王子神社、八坂神社を経由してJR森ノ宮駅まで歩きました。


熊野大神宮御旅所(くまのだいじんぐうおたびしょ)
元は八劒神社のあった場所。1911年、熊野大神宮に合祀された後は御旅所となっているそうです。
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八王子神社御旅所(はちおうじじんじゃおたびしょ)
明治22年迄は、この地一帯は東成郡西今里村と称し、素盞嗚命(すさのをのみこと)、奇稲田媛命(くしなだひめのみこと)、大貴大命(おおなくにのみこと)の三柱を奉斎する八剣神社がここに在り、此の村の氏神さまでした。その歴史は大変古く、仁徳天皇が高津宮の皇居守護神としてお祀りされたと伝えられています。その後仁壽2年9月に里人産土神として社殿を修営し、文保2年6月に改築を行ったと記録されていますが、大阪夏の陣の兵火にあい、寛永2年に再建し、江戸時代は八劒大明神(やつるぎだいみょうじん)と称し崇敬してきました。明治5年に村社となり八剣神社(やつるぎじんじゃ)と改称、明治42年11月に東成区中本に鎮座する八王子神社は(ちおうじじんじゃ)へ合祀し、現在は御旅所(おたびしょ)となっています。境内には大きな楠が在るところから、俗に「楠神社(くすのきじんじゃ)」と呼ばれています。明治18年6月の淀川切れ大洪水のとき、この地の住民40数名が此の楠の大枝に三日間避難して、かろうじて生命が助かったと語り伝えられているそうです。
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八王子神社(はちおうじじんじゃ)
八王子大神ほか四柱を奉斉する旧本庄村の氏神で、応神天皇3年の創建と伝え、孝徳天皇より高麗狗(こまいぬ)一対の献納があったと伝えられ、八王子稲荷社として、また“椿の宮”として知られました。明治5年(1872年)百済神社と改称、明治42年(1909年)旧西今里村の氏神八剣神社を合祀し八王子神社と改めたそうです。
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八阪神社(やさかじんじゃ)
素盞鳴尊(すさのおのみこと)ほか一柱を奉斉する旧中道村の氏神で、藤原道長がこの地に別業(別邸)を設け祀っていたのを、仁安元年(1166年)里人(さとびと)が社殿を再興し、天正12年(1584年)現在地に移転したと伝え、もと牛頭天王白山権現(ごずてんのうはくさんごんげん)と称しましたが、明治5年(1872年)八阪神社と改称したそうです。
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しっかりと手を清めていました。可愛いですね。
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この後、ゴールの森ノ宮駅まで歩きました。


冒頭の地名は 「くまた」 でした。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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