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年忘れ大阪天満天神御利益を求めて(大阪) [ウォーキング大阪市]

「年忘れ大阪天満天神御利益を求めて」に参加してきました。(20161228)

大阪天満宮
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大阪の年末の天満宮、天神橋筋商店街など、ご利益を求めて歩いてきました。

当日は雨、気温8度、多少肌寒い中でのウォーキングになりました。

私は2016年の歩き収めになりました。


ウォーク票 (1).JPG

地図 (1).JPG



集合場所中之島公園を出発して川崎橋、藤田邸跡公園、源八橋を経由して OAP(大阪アメニティパーク)まで歩きました。

集合場所の大阪市役所の南側の中之島公園を出発します。


大阪市役所
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中央公会堂
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土佐堀川
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難波橋
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天神橋
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大川沿いを歩きます。
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天満橋
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南天満公園を歩きます。
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川崎橋
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藤田邸跡公園(ふじたていあとこうえん)
藤田伝三郎男爵の本邸の庭園跡。近松門左衛門の最高傑作「心中天の網島」の場所だそうです。公園の横には藤田美術館と太閤園があります。
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桜宮橋
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OAPを対岸から望みます。
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源八橋を渡ってOAPにつきました。
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OAPで昼食休憩になりました。


昼食休憩の後、国分寺、天神橋筋商店街、大阪天満宮を経由して中之島公園まで歩きました。

国分寺(こくぶんじ)
当山の縁起は斉明天皇が659年(斉明天皇5年)唐より帰国した僧、道昭に命じて、先帝孝徳天皇の菩提を祈るため、長柄豊崎宮の旧址に一宇を建立し、「長柄寺」と称したのに始まる。その後、741年(天平13年)一国一寺の国分寺創建の詔勅により、攝津における金光明四天王護国の寺となり、「長柄国分寺」または「護国山国分寺」と称するようになった。 以来、1250年にわたり、孝徳、斉明天皇をはじめ、十四天皇の勅願道場として栄えたが、幾度の戦火や災禍を受けた。豊臣に滅亡の元和元年には全焼し、享保3年に落慶するも明治の廃仏毀釈などにより寺領は大幅に縮減され、加えて、第二次世界大戦の戦火で一宇を残さず灰燼に帰した。現在の本堂や諸堂は1965年(昭和40年)に再興、落慶法要が行われているそうです。
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天神橋筋商店街
南北約2.6kmと日本一長い商店街だそうです。

天神橋筋6丁目から南に2丁目まで歩きます。

天神橋筋6丁目
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左から天神橋筋5丁目、4丁目、3丁目
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天神橋筋2丁目
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大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)
菅原道真公が祭られている大阪天満宮は大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれています。 年末年始や受験、梅見のシーズンには、多くの参拝者で賑わい、境内北側の星合池(通称亀の池)周辺の梅林などに合計約100本の梅の木があるそうです。
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新年の準備が進められていました。
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この後、ゴールの中之島公園まで歩きました



皆さまのお陰で2016年も楽しく歩くことが出来ました。
有難うございました。



今回記事はNiceボタンをクローズさせていただきました。


ご訪問していただきありがとうございました。



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