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遺跡と西国街道の茨木を歩く(大阪) [ウォーキング大阪府北中部]

「遺跡と西国街道の茨木を歩く」に参加してきました。(20161101)

煉瓦作りJR高架下
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大阪茨木市の遺跡、由緒ある神社と西国街道を歩いてきました。

当日は晴れ、気温も19.7度と気持ちウォーキングになりました。

ウォーク票 (1).JPG

地図 (2).JPG



集合場所JR茨木駅を出発して茨木神社、煉瓦作りJR高架下、保健所、総持寺、阿為神社、法華寺を経由して耳原公園まで歩きます。

JR茨木駅を出発します。
暫くすると遊歩道を歩きます。
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茨木神社(いばらきじんじゃ)
中条村・茨木村の氏神として多くの人々の崇敬を集め、楠木正成公が茨木城築城の際、現在の地へ奉遷し、以後代々の城主は厚い崇敬を捧げた。特に豊臣時代には、城主中川清秀、片桐貞隆等が上田を寄進し、徳川時代には、藩主永井家、大阪城代等から祭礼毎に重役を代参させるなど氏子と共に尊崇の誠を捧げたとされるそうです。
当日はゴール解散後に訪れました。
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煉瓦作りJR高架下
冒頭の写真のところです。

保健所で休憩になりました。
ホトトギスの花が綺麗に咲いていました。
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茨木川沿いを歩きます。
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総持寺(そうじじ)
総持寺は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所。本尊は千手観音だそうです。
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西河原公園で休憩をはさみ名神高速道路を通過します。

阿為神社(あいじんじゃ)
この地方一帯は、早くから中臣氏の一族である中臣藍連(なかとみのあいらじ)の所領であった。その祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀ったのが「阿為神社」であり、『延喜式神名帳』に名が記されている延喜式内の古社である。所蔵されている重要美術品の『三角縁二神二獣鏡』は、同地の「将軍山古墳」から出土し、邪馬台から大和朝廷初期の頃、中国(魏)から渡来したものとも考えられているそうです。
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法華寺(ほっけじ)
法華寺は妙法山法華寺。顕本法華宗(旧日蓮宗妙満寺派)のお寺だそうです。
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耳原公園(みのはらこうえん)
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ここで昼食休憩になりました。


休憩後は新星坐天照御魂神社、郡山宿本陣を経由してJR茨木駅まで歩きました。

長い名前の神社の看板がありました。読めないです。
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新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)
「新屋坐天照御魂」を社名とする神社は大阪府茨木市内に三社あり、延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』に「新屋坐天照御魂神社三座 並名神大月次新嘗 就中天照御魂神一座預相嘗祭」として記載される式内社(名神大社)。西福井が中心的な神社。社名にある「新屋」とは「新野」を意味し、古代における新開拓地の意味であるとされるそうです。
今回訪れたのは西福井でしたが、本殿にお参りできませんでした。
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郡山宿本陣(こおりやましゅくほんじん)
郡山宿は京都と西宮を結ぶ西国街道のほぼ真ん中に位置し、江戸時代には西国の大名などが参勤交代の時に宿泊しました。1718年に類焼にあい、1721年に再建されて以来、およそ290年間そのままの規模で残され、昭和23年に国指定史跡に指定された。御成門のそばにあった椿の木が毎年五色の花を咲かせたことから、「椿の本陣」と呼ばれ、人々に親しまれています。忠臣蔵で有名な赤穂城主、浅野内匠頭も宿泊した記録があるそうです。
現在、本陣当主が生活されているそうです。

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庭にはツワブキの花を綺麗に咲かせておられました。
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茨木カントリークラブの横を歩きます。
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この後、ゴールのJR茨木駅まで歩きました。


(感謝とお詫び)
いつも訪問して頂き有難うございます。

勝手を言って申し訳ありませんが、今回、Niceを閉じさせて頂きます。


ご訪問していただきありがとうございました。






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