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いにしえの歴史を訪ねて(大阪) [ウォーキング大阪市]

「いにしえの歴史を訪ねて」に参加してきました。(20160601)

毛馬の閘門
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大阪の梅田界隈に残る与謝蕪村の足跡、後白河法皇に関連する歴史などを歩いてきました。

当日は晴れ、気持ち良いウォーキングになりました。

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集合場所の扇町公園を出発して、梅田界隈、中津駅、天神橋筋8丁目、長柄橋、旧閘門、淀川神社を経由して桜ノ宮公園まで歩きます。

扇町公園
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茶屋町
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与謝蕪村の句(碑)
与謝蕪村(よさ ぶそん)享保元年(1716年)-天明3年(1784年)は江戸時代中期の日本の俳人、画家。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。摂津国東成郡毛馬村(けまむら)(大阪市都島区毛馬町)に生まれたそうです。
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MBS本社
大阪のTBS系列局です。
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天神橋筋8丁目
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長柄橋
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毛馬の洗堰と閘門
明治18年(1885)の大水害を機に淀川の大改修が行われ、同43年に新淀川が開削されました。このとき毛馬で新淀川と分岐する旧淀川の水量調節と舟運の便のために建設されたのが毛馬洗堰と閘門です。洗堰は川の水が常にその上を流れ越す程度の高さに作った堰、閘門は水位の高低差の大きい河川で水を堰き止めて船舶を通過させる装置です。 設計者はオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケで、閘門は明治40年、洗堰は同43年に竣工しました。大正7年(1918)に第2閘門が竣工すると元の閘門は平時は開放、高水時は閉鎖して洪水を防ぐ役割を果たしました。 その後、昭和49年(1974)上流に新毛馬水門・閘門が築造され、同57年に新しく淀川大堰が完成したことにより、旧洗堰と閘門は役目を終えて閉鎖されましたが、一部はわが国の近代治水工事の貴重な遺産として河川公園内に保存されているそうです。

淀川大堰
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旧閘門
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淀川神社
明治42年(1909)政府の神社合祀令により、城北村大字毛馬(現毛馬町、大東町)の氏神である八幡神社が大阪市北区中野町(現中野町)の櫻宮に、また城北村大字友渕(現友渕町、毛馬町の一部)の氏神である十五神社が古市村大字南島(現旭区)の大宮神社に合祀されました。 のち毛馬・友渕の両地域では失われた神社復興の願いが強く、昭和26年(1951)に旧十五神社の境内地と社殿を用いて、旧十五神社と旧八幡神社を合祀し、毛馬町・友渕町・大東町の総鎮守として再建されたのが淀川神社です。祭神は天照皇大神と八幡大神だそうです。
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桜ノ宮公園で昼食休憩になりました。

遠足の子供たちを見かけました。
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昼食休憩後は渡辺綱・駒つなぎの樟、母恩寺、大阪府水道発祥の地を経由してゴールのJR桜ノ宮駅まで歩きました。

渡辺綱・駒つなぎの樟
当地は明治42年(1909)まで旧善源寺村の産土神社が鎮座したところで、この樟の大樹は同社の境内にあったものです。この樹は平安時代の中ごろ、源頼光が社を創建する際に植えたもので、頼光の家臣の渡辺綱が参詣するとき馬をつないだとの伝承があるところから「渡辺綱・駒つなぎの樟」と呼ばれています。この伝承は当地が鎌倉期に源氏ゆかりの多田院領善源寺荘であったことや、この樹が樹齢 900年余もの大木であるところから、酒呑童子退治で有名な源頼光や渡辺綱に結びつけられて生まれたものと考えられます。『大阪府全志』によれば、大正の頃、この樟は周囲約12メートル、高さ約30メートルもの大木でした。昭和のはじめに大阪府の天然記念物に指定されましたが、戦災で枯死し現在は往時の姿を偲ばせるだけになっているそうです。
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母恩寺
旧沢上江村(滓上江村とも書く)の地にある浄土宗の尼寺で、寺伝によれば仁安3年(1168)に後白河法皇が生母待賢門院の菩提を弔うために創建し、母后報恩の意を籠めて寺号としたといわれています。もとは数箇所の荘園と大伽藍を有する大きな寺院でしたが、度重なる洪水や兵火に罹り衰微したと伝えられています。元禄14年(1701)刊の『摂陽群談』によれば、本尊の阿弥陀仏は恵心僧都の作といい、またこの寺の尼僧が作る美しい綿帽子は「滓上江の綿帽子」として名高く、名物になっていたといわれているそうです。
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大阪府水道発祥の地
沖積地である大阪ではほとんどの井戸水が飲料に適さず、市民は桜宮付近で汲んだ淀川の水を買って飲んでいましたが、明治19年、23年にコレラが流行し、良好な飲料水の提供と消防力強化のために上水道の設置が急務となりました。そこで 256万円余の費用と3年余の歳月をかけて、明治28年(1895)11月に大阪市ではじめての水源地として完成したのが桜宮水源地です。 桜宮水源地はポンプで大阪城内の貯水池に送水し自然流下により市内に供給する方式で、1日 51,240立方メートル、61万人分の給水能力を有しましたが、市域拡大に伴う人口増加で明治34年に拡張され、大正3年(1914)に柴島浄水場(現東淀川区)の完成により給水を休止し、同9年に廃されたそうです。都島橋東詰の公園に水道70周年を記念して昭和40年に建てられた「水道発祥之地」の碑がありました。
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この後、ゴールのJR桜ノ宮駅まで歩きました。
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(感謝とお詫び)
いつもNiceを頂き有難うございます。

勝手を言って申し訳ありませんが、今回Niceを閉じさせて頂きます。



ご訪問していただきありがとうございました。



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