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10.東淀川区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「東淀川区をあるく」に参加してきました。(20150303)

おおさか東線の工事中の鉄橋。単線から複線になっていました。
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ウォーク票 (1).JPG

東淀川区地図 (1).JPG




中島大水道顕彰碑
江戸時代に作られて大阪湾に直結した大水路。東淀川区から淀川区を抜け西淀川区に至り、大阪湾に直結した大水路は埋め立てられていますが、西淡路5丁目の新幹線の高架のそばに「新太郎松樋」の石柱と「中島大水道顕彰碑」が建てられていました。
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中島惣社
中島惣社は、孝徳天皇の白雉2年(651年)難波長柄豊碕に遷都されたころ、五穀豊饒を祈るために多くの神領を得て創建されたといわれているそうです。
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崇禅寺
崇禅寺は、織物の街桐生の西の山間、小倉の里に元久二年(1205)法然上人の弟子智明上人(桐生小倉の人、園田太郎成家)により開創され、その後南北朝の中頃、応安三年(1370)には、鎌倉大本山建長寺第四十五世東伝士啓禅師により、臨済宗の禅寺として開山され、その長い歴史と法灯を今日に伝えていて、この地方では「阿弥陀様の寺」として知られる古利だそうです。
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柴島神社
柴島神社は社伝によると、貞永元年(1232年)9月の大洪水時に、「仲哀天皇の森」という名の高地に避難していた村人のところに、柴に乗った小祠が流れ着き、まもなく水が引き救われたため、以後、産土神として奉祀したのが起源。村社の社格を与えられ、神饌幣帛料供進社に指定されていたところ、明治34年(1901年)4月淀川大改修工事のため、仲哀天皇社とともに現在地に移されたそうです。
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淀川堤防
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工事前の赤川鉄橋(参考)。ネットから引用させていただきました。
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大宮神社
大宮神社は第27代安閑(あんかん)天皇を主祭神として祀られた神社。社殿は、改修前の旧淀川北岸の堤に面していて、樹齢1000年以上という楠や杉、松の大樹が多数あったので「大宮の森」といわれ、淀川を上る船はこの森を目印に舵を北に取り、帆を逆に巻き上げ進行。明治33年(1900年)の淀川改修のため明治37年(1904年)に現在地に移建され、明治43年(1910年)に三番の豊国(ほうこく)神社を、大正8年(1919年)に橋寺の橋多賀神社を合祀されたそうです。
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大隅神社
大隅神社は1700年ほど前、大隅島に離宮を営んでおられた応神(おうじん)天皇(大隅宮:おおすみのみや)が崩御の後、里人が帝の御徳を慕い宮址に神祠(やしろ)を建立したのが起源とされているそうです。
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松山神社
松山神社は菅原道真が901年(昌泰4年)太宰府へ左遷されるとき、当地に立ち寄り(当地は、かって淀川尻にあった難波八十島の1つで中島と呼ばれた)、数千株の小松が生い茂る中島の景観を見て感動、『小松の詩』を吟じたといわれ、現在に残る小松の地名はこの故事に由来。道真は村人に自画像を与え、「永代に我が像をここに置くべし、この地に本心留めおくべし」との言葉を残したと伝わる。村人たちは道真の没後、その言葉通りに祠を建て、「小松の天満宮」として村の氏神として崇めたのを、創祀とするそうです。
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雪鯨橋(瑞光寺)
雪鯨橋は長さ約6m、幅約3mの橋で、欄干はクジラの骨で造られているそうです。
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途中で見かけて梅の花たち
大宮神社
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松山神社
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ご訪問していただきありがとうございました。




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