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暗越奈良街道と深江菅笠ゆかりの地を巡る(大阪) [ウォーキング大阪市]

「暗越奈良街道と深江菅笠ゆかりの地を巡る」に参加してきました。(20170624)

鴻池四季彩々とおり
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大阪の暗越奈良街道及び深江菅笠ゆかりなど歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、30.4℃、少し汗ばむ感じのウォーキングになりました。

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深江菅笠(ふかえのすげがさ)
昔、深江は良質の菅草が豊かに自生する浪速の一島でしたが、第11代垂仁天皇の御代に、大和国笠縫邑(やまとのくにかさぬいむら)より、笠を縫うことを仕事とした一族が移住し、代々菅笠を作ったことから、笠縫島といわれるようになりました。以後、歴代天皇御即位、大嘗祭(だいじょうさい)の時をはじめ、20年に一度の伊勢神宮式年遷宮に使用する菅笠はすべて深江で作り献納してきました。江戸時代には大阪玉造の二軒茶屋を起点として、伊勢音頭をうたいながら、集団で参宮したものですが、人々は道中安全を願って、(菅には浄めるはたらきがあると信じられていました)深江で菅笠を買い求め賑やかに旅をしました。江戸時代の末期からは菅の釜敷きや、瓶敷き、皿敷き(今のコースターのようなもの)などの菅細工も作られ、皿敷きは明治や大正の頃には、イギリスやアメリカにも輸出されたそうです。
(以下の画像はネットから引用させていただきました)

菅笠_大野笠 (1).JPG


集合場所玉造駅近くの公園を出発して深江稲荷神社、御厨公園を経由して本庄南公園まで歩きます。

玉造駅近くの公園で出発式の説明があります。
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玉造駅を背にして歩きます。
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暗越奈良街道の標識がありました。

暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)
大阪から奈良へ通じる旧街道として、4~500年前に開けた街道。生駒山系の暗峠を越えて奈良に行く最短コースの街道だったころから、この名称の由来になっているそうです。
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深江稲荷神社に向かいます。
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深江稲荷神社(ふかえいなりじんじゃ)
宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603年)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。笠縫部(かさぬいべ)との関係が深く、現在境内が「笠縫邑跡(かさぬいむらあと)」「深江菅笠ゆかりの地」として大阪府、大阪市から史跡に指定されているそうです。
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御厨公園で休憩になりました。
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休憩後、本庄南公園に向かいます。

大阪府立中央図書館(荒本)の前を通過します。本庄南公園はすぐ近くです。
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本庄南公園で昼食休憩になりました。

本庄南公園
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昼食休憩後、 寺島公園、鴻池四季彩々とおり、安田東交差点、鶴見緑地公園、蒲生4丁目を経由して京橋駅まで歩きました。

寺島公園
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鴻池四季彩々とおり
冒頭の写真のところです。

安田東交差点
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鶴見緑地公園で少し休憩になりました。
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京橋に向かいます。
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蒲生4丁目交差点
ゴールの京橋に近づきました。
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ゴールの京橋です。
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今回、Niceを閉じさせて頂きます。


ご訪問していただきありがとうございました。



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