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大河ドラマプレウォーク(大阪の陣・歴史の舞台を歩く)(大阪) [ウォーキング大阪市]

「大河ドラマプレウォーク(大阪の陣・歴史の舞台を歩く)」に参加してきました。(20151004)

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当日は秋晴れの中、少し暑いくらいでしたが、来年(平成28年)大河ドラマの放映に先駆けて、大坂の陣の史跡を歩いてきました。

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集合場所近くの天王寺公園です。素晴らしい青空の広がる天気でした。天王寺公園は2015年10月1日から「てんしば」としてリニューアルオープンしていました。
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「てんしば」ではアカペラフェスティバル2015の準備がされていました。
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天王寺公園を出発して大阪市立美術館、茶臼山、安居神社、増福寺を経由して生国魂神社まで歩きます。


大阪市立美術館
天王寺公園内の美術館。特別展(大規模な美術展)や、収蔵品の展覧会、全関西美術展、日展などが開催される歴史ある大阪の美術館です。
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茶臼山の大坂の陣の石碑と看板
大坂冬の陣は徳川家康本陣跡、夏の陣は真田幸村本陣跡だそうです。
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安居神社
この地で真田幸村が戦死したといわれているそうです。
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真田幸村像
真田幸村(本名、真田 信繁)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。真田昌幸の次男。江戸時代初期の大坂の陣で豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、3500の兵を持って徳川家康の本陣まで攻め込んだ。後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将振りが記録され、それらを基に軍記物や講談や小説などが創作されて、真田十勇士を従えて宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となったそうです。
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増福寺
門の横に薄田隼人正(隼人)の墓がありました。薄田隼人正は豊臣秀頼に仕え、大坂の陣では侍大将に任じられた武将。無類の酒好きと伝えられ、1614年の大坂冬の陣では、博労ヶ渕の砦(現大阪市西区立売堀6丁目あたり)に立てこもり、木津川を上る徳川の軍勢を散々に打ち破り名を挙げたが、大勝利に酔い側近を引き連れ新町の色里に入り浸っているすきに、博労ヶ渕の砦を奪われ『橙(だいだい)武者』と評され1615年の夏の陣では東西両軍が相まみえた道明寺の戦いで後藤又兵衛、塙団右衛門など共々奮戦し、討死。講談本「立川文庫」のヒーローの一人である豪傑『岩見重太郎』のモデルと言われているそうです。
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生国魂神社
神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして日本総鎮守の神社だそうです。
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生国魂神社で少し休憩をした後、上六、小橋公園、心眼寺を経由して真田山公園で昼食休憩した後、三光神社、玉造稲荷神社、大阪城を歩いてJR大阪城公園にゴールしました。


小橋公園
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心眼寺
真田幸村とその子・大助の供養のために真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てた寺。心眼寺周辺は大坂冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出丸・真田丸跡地といわれる。「真田幸村出丸城跡」の碑が門の前にありました。
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三光神社
大坂の陣の際、真田幸村が大阪城からの抜け穴(地下道)を設けたことで有名な神社。境内には抜け穴跡の史跡や幸村像が残されているそうです。
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抜け穴跡
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真田幸村像
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玉造稲荷神社
紀元前12年の秋に創祀されたと伝えられる由緒ある神社。豊臣秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などが並ぶ豊臣家ゆかりの神社でもあるそうです。
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大阪城
現在の大阪城の天守は1997年に国の登録有形文化財に登録されているそうです。
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ご訪問していただきありがとうございました。




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