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高槻・鵜殿葦の原を歩く(大阪) [ウォーキング大阪府北中部]

「高槻・鵜殿葦の原を歩く」に参加してきました。(20150926)

鵜殿の葦原の石碑
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当日は天気の良い中のウォーキングでした。

キリスタン大名・高山右近が城主を務めた高槻城跡から、淀川沿いに進み一面にヨシが広がる壮大な鵜殿のヨシ原を通り、西国の町並みを歩きました。

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集合場所のJR高槻駅を出発して商店街の中を通り、野見神社、高槻城跡、冠須賀神社、淀川堤防を経由して鵜殿の葦原に向かいます。

高槻の商店街
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野見神社
宇多天皇の頃に、当地で流行した疫病を防ぐため、「牛頭天王(須佐之男命)を祀れば悪病が治まる」というご神託により創建。江戸期までは「牛頭天王社」と称し、明治期に野見宿禰命を合祀して、「野見神社」と改称したそうです。
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高槻城跡
高槻城は、南北朝期の入江氏の居館に始まり、永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内にとりこんで堅固な城郭を築く。また右近は熱心なキリシタンで、キリスト教を手厚く保護し、天主教会堂を拠点に布教をすすめていたと伝えられているそうです。
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高槻市立歴史民俗資料館
高槻城跡公園の中にありました。
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冠須賀神社<かんむりすがじんじゃ>
旧野中村の鎮守で「かすが神社」とも呼ばれる。須賀町という町名の由来になったともいわれ、14世紀頃に冠庄の開発と在地武士の定住に伴い春日社を勧請し、冠須賀としたそうです
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長閑な田園景色を眺めながら歩いたあと、さらに淀川沿いに鵜殿の葦原まで歩きます。
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鵜殿の葦原
鵜殿のヨシ原(うどののよしはら)とは、大阪府高槻市鵜殿から上牧に広がる淀川右岸河川敷のヨシ原(ヨシの群生地)のこと。大阪みどりの百選、関西自然に親しむ風景100選にも選定されているそうです。
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鵜殿の葦原付近で昼食休憩をした後、さらに淀川堤防沿いを歩いき、本澄寺を経由してゴールのJR島本駅まで歩きました。


本澄寺
日蓮聖人顕示の大曼陀羅が本尊の日蓮宗寺院。この地には上牧の地名の由来となった天皇や公卿の牧場があり、その一つ烏丸家の領地に創建。烏丸家や足利将軍家が崇敬していたそうです。
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島本町立歴史文化資料館
JR島本駅の前にありました。
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JR島本駅
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ウォーキングの途中で見かけた彼岸花
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ご訪問していただきありがとうございました。




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