W11.歴史が物語る上町台地を歩こう(大阪市) [ウォーキング大阪市]
「歴史が物語る上町台地を歩こう」に参加してきました。(20190320)
大阪市立美術館
大阪上町台地の歴史的な神社仏閣などを歩いてきました。
当日は晴れ、曇り、最高気温19.4℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所森ノ宮駅近くの大阪城公園を出発して、 難波宮跡、玉造稲荷神社、三光神社、真田山公園、高津宮、生國魂神社を経由して生玉公園まで歩きます。
森ノ宮駅近くの大阪城公園
大阪城公園を出発します。
難波宮跡(なにわのみやあと)
大阪市中央区法円坂の一帯に広がっている史跡公園。昭和36年(1961)、飛鳥から奈良時代にかけて前後2期の難波宮跡が確認された。現在では、宮殿の中心部とされる約9万平方メートル余りの範囲が国の史跡に指定され、史跡公園として整備がすすめられているそうです。
玉造稲荷神社に着きました。
玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
紀元前12年の秋に創祀されたと伝えられる由緒ある神社。豊臣秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などが並ぶ豊臣家ゆかりの神社でもあるそうです。
三光神社に着きました。
三光神社(さんこうじんじゃ)
仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻り、古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれたらしい。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから「三光神社」と呼ばれている。大坂の陣の際、真田幸村が大阪城からの抜け穴(地下道)を設けたことで有名な神社。境内には抜け穴跡の史跡や幸村像が残されているそうです。
真田幸村像
真田山公園で少し休憩になりました。
高津宮に向かいます。
高津宮(こうづぐう)
貞観8年(866)、清和天皇の勅令によって難波高津宮の遺跡が探され、あったと定められた地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされている。700年後、正親町天皇の天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂城を築城した際にご神体を現在地に移したが、第2次世界大戦時の大阪大空襲で神社は悉く全焼。現在の社殿は、戦後に再建されたもの。古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていたそうです。
梅が咲いていました。
生國魂神社(いくたまじんじゃ)
神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして日本総鎮守の神社だそうです。
生國魂神社の直ぐ東側にある生玉公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、 安居神社、一心寺、てんしばを経由して天王寺駅まで歩きました。
安居神社(やすいじんじゃ)
大坂夏の陣で真田幸村が戦死した安居神社境内。慶長二十年(1615)五月七日、天王寺口の茶臼山に布陣した真田幸村は、毛利勝永らとともに徳川幕府軍と大激戦を繰り広げる。一時は幸村や勝永らの獅子奮迅の戦いぶりに幕府軍が大混乱になり徳川家康を窮地に追い込んだ。しかし、大兵力の幕府軍相手にさすがの幸村も力尽き、安居神社境内の一本松の下で休息しているところを松平忠直隊の武将に討ち取られたそうです。
真田幸村像
一心寺(いっしんじ)
骨仏の寺として有名な一心寺(いっしんじ)は大阪市天王寺区にある浄土宗の寺。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有していて、法然上人二十五霊跡第七番札所だそうです。
茶臼山
てんしば
この後、天王寺駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。
大阪市立美術館
大阪上町台地の歴史的な神社仏閣などを歩いてきました。
当日は晴れ、曇り、最高気温19.4℃。気持ち良いウォーキングになりました。
集合場所森ノ宮駅近くの大阪城公園を出発して、 難波宮跡、玉造稲荷神社、三光神社、真田山公園、高津宮、生國魂神社を経由して生玉公園まで歩きます。
森ノ宮駅近くの大阪城公園
大阪城公園を出発します。
難波宮跡(なにわのみやあと)
大阪市中央区法円坂の一帯に広がっている史跡公園。昭和36年(1961)、飛鳥から奈良時代にかけて前後2期の難波宮跡が確認された。現在では、宮殿の中心部とされる約9万平方メートル余りの範囲が国の史跡に指定され、史跡公園として整備がすすめられているそうです。
玉造稲荷神社に着きました。
玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
紀元前12年の秋に創祀されたと伝えられる由緒ある神社。豊臣秀頼奉納の鳥居や千利休の顕彰碑などが並ぶ豊臣家ゆかりの神社でもあるそうです。
三光神社に着きました。
三光神社(さんこうじんじゃ)
仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻り、古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれたらしい。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから「三光神社」と呼ばれている。大坂の陣の際、真田幸村が大阪城からの抜け穴(地下道)を設けたことで有名な神社。境内には抜け穴跡の史跡や幸村像が残されているそうです。
真田幸村像
真田山公園で少し休憩になりました。
高津宮に向かいます。
高津宮(こうづぐう)
貞観8年(866)、清和天皇の勅令によって難波高津宮の遺跡が探され、あったと定められた地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされている。700年後、正親町天皇の天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂城を築城した際にご神体を現在地に移したが、第2次世界大戦時の大阪大空襲で神社は悉く全焼。現在の社殿は、戦後に再建されたもの。古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていたそうです。
梅が咲いていました。
生國魂神社(いくたまじんじゃ)
神武東征に際し天皇みずから石山碕(現在の大阪城を含む一帯)に日本国土の御神霊、すなわち八十島神である生島大神・足島大神を祀られ、国土平安を祈請された事に始まる大阪最古にして日本総鎮守の神社だそうです。
生國魂神社の直ぐ東側にある生玉公園で昼食休憩になりました。
昼食休憩後、 安居神社、一心寺、てんしばを経由して天王寺駅まで歩きました。
安居神社(やすいじんじゃ)
大坂夏の陣で真田幸村が戦死した安居神社境内。慶長二十年(1615)五月七日、天王寺口の茶臼山に布陣した真田幸村は、毛利勝永らとともに徳川幕府軍と大激戦を繰り広げる。一時は幸村や勝永らの獅子奮迅の戦いぶりに幕府軍が大混乱になり徳川家康を窮地に追い込んだ。しかし、大兵力の幕府軍相手にさすがの幸村も力尽き、安居神社境内の一本松の下で休息しているところを松平忠直隊の武将に討ち取られたそうです。
真田幸村像
一心寺(いっしんじ)
骨仏の寺として有名な一心寺(いっしんじ)は大阪市天王寺区にある浄土宗の寺。天王寺公園に隣接した上町台地の崖線上に建ち、緑の多い広い境内を有していて、法然上人二十五霊跡第七番札所だそうです。
茶臼山
てんしば
この後、天王寺駅まで歩きました。
ご訪問していただきありがとうございました。