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高槻から茨木へ 冬の風物詩を訪ねて(大阪府北中部) [ウォーキング大阪府北中部]

「高槻から茨木へ 冬の風物詩を訪ねて」に参加してきました。(20190123)

耳原公園
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大阪高槻茨木の歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、最高気温12.4℃。気持ち良いウォーキングになりました。

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地図 (1).jpg



集合場所高槻駅近くの公園を出発して、芥川桜堤公園、今城塚古墳、太田茶臼山古墳、阿為神社を経由して耳原公園まで歩きます。

高槻駅近くの公園
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公園を出発します。
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芥川沿いを歩きます。
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芥川桜堤公園で休憩後、今城塚古墳に向かいます。



今城塚古墳(いましろづかこふん)
日本で唯一、人が自由に出入りできる巨大な古代大王墓。三島平野のほぼ中央に位置する、淀川流域で最大級の前方後円墳であり、第26代継体天皇の真の陵墓と考えられている。発掘調査も国内では類を見ない長期なものだったそうです。
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太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん)
この古墳は、全長226m、前方部幅147m、後円部径138mの一重の濠をもつ大きな前方後円墳。前方部端幅と後円部径があまり違わない点、平坦地に造られていることなどから、古墳時代中頃のものと考えられている。継体天皇は、前代の天皇に後継者がなかったので、越前から迎えられ507年に楠葉宮で即位したとされている。この古墳が継体天皇陵と認定されたのは元禄の頃で、今城塚古墳が御陵ではとの説もあり、結論はでていないそうです。
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西国街道を歩きます。

西国街道(さいごくかいどう)
西国街道は京都(東寺口)から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路。近世から近代にかけて、幾多の人物が往来し、物資が流れ、情報や文化の伝播を担う動脈だったそうです。
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阿為神社を通過します。

阿為神社(あいじんじゃ)
この地方一帯は、早くから中臣氏の一族である中臣藍連(なかとみのあいらじ)の所領であった。その祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀ったのが「阿為神社」であり、『延喜式神名帳』に名が記されている延喜式内の古社である。所蔵されている重要美術品の『三角縁二神二獣鏡』は、同地の「将軍山古墳」から出土し、邪馬台から大和朝廷初期の頃、中国(魏)から渡来したものとも考えられているそうです。
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耳原公園に着きました。

冒頭の写真のところです。

耳原公園で昼食休憩になりました。


昼食休憩後は上穂積公園を経由して茨木駅まで歩きました。

亀岡街道を歩きます。

亀岡街道(かめおかかいどう)
亀岡街道は大阪より北摂を経由して丹波の亀岡(現・京都府亀岡市)に通じていた、全長約33.96kmの旧街道。古来から丹波の薪炭・農産物の大阪市内への輸送路であったそうです。
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上穂積公園で休憩後、茨木駅に向かいます。
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茨木駅に着きました。
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ご訪問していただきありがとうございました。



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