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17.東住吉区をあるく(大阪) [ウォーキング大阪24区]

「東住吉区をあるく」に参加してきました。(20181211)

長居公園
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大阪東住吉区の歴史的な街並みを歩いてきました。

当日は晴れ、曇り、最高気温11.4℃。気持ち良いウォーキングになりました。


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集合場所長居公園を出発して、行基の墓、矢田教育の森公園、阿麻美許曾神社、常栄寺、中臣須牟地神社 を経由して喜連西中央公園まで歩きます。

長居公園を出発します。
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行基の墓を通過します。

行基の墓(ぎょうきのはか)
公園南矢田の共同墓地内にある行基菩薩の墓。有名な生駒竹林寺墓所や往生院火葬場跡は歴史学的に確認できますので、この墓は単なる「供養墓」だと考えられているそうです。
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矢田教育の森公園に着きました。
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暫く休憩後、大和川に架かる行基大橋を渡ります。

この辺りは大和川の南側も大阪市になります。

阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)
祭神素盞嗚命(すさのおのみこと)ほか。大和川の南へくい込んだ市域南端にあり、大同年間(806~10)の創建というが不詳。境内地は広く、大樹が多く残る。かつて行基(ぎょうき)がこの地に住み、住民に便宜を与えたと伝えられている。付近の大和川にかかる「行基大橋」の橋名は、この伝えによっているそうです。
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再び、大和川を渡ります。

大和川堤防を歩きます。
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常栄寺(じょうえいじ)
この寺は天正9年(1581年)に浄土真宗の寺院として開基。徳川家康の政策により、本願寺が西本願寺と東本願寺に分裂した1602年に教如が率いる東本願寺に属したそうです。
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中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)
中臣須牢地神社は、延喜式内(えんぎしきない)の古社であるが創建不詳。祭神は須牢地神、住吉三神ほか。中臣氏(藤原鎌足(かまたり)・不比等(ふひと)らがいる)の祖先を祭り、難波において王権のもと、最も古くから行われてきた八十島(やそじま)祭に関係したそうです。
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喜連西中央公園に向かいます。
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喜連西中央公園
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喜連西中央公園で昼食休憩になりました。


昼食休憩後、覚林寺、湯里住吉神社、中井神社、天神社旅所碑、京善寺、桑津天神社、榎神社を経由して文の里駅まで歩きました。


覚林寺(かくりんじ)
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湯里住吉神社(ゆざとすみよしじんじゃ)
信長の焼討(1577~1580)や大坂冬の陣(1614)と夏の陣(1615)の兵火に遭い、社殿や社記を全て焼失して、神社由緒がわからなくなったそうです。当社は初めは須牟地神社と呼ばれ、その後、住吉二之宮、湯屋島(湯谷島)住吉との社名を経て、現在は湯里住吉神社と呼ばれているそうです。
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中井神社(なかいじんじゃ)
中井神社は、三代実録(西暦901年)という書物に摂津の国「田辺東神(ひがしかみ)」と記されていて、古くは、ご祭神にちなんで「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とよばれていました。その昔、社前に、清水の湧く井戸があり、人々は、「汚れ(けがれ)のない霊水」としてたいせつにしていたので、中野村の井戸の有るところのお社として、明治時代の初めに中井神社と改められたそうです。(中井神社発行の神社暦による) 中井神社の東神に対し西神が山阪神社といわれているそうです。
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今川緑道を歩いて今川公園に向かいます。
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今川公園
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暫く休憩後、榎神社まで歩きます。

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天神社旅所碑を通過します。
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京善寺(きょうぜんじ)
当山の縁起は、古くは「金剛院」と称せられ厄除祈願道場として栄えていたが、1615年(元和元年)大坂夏の陣に合戦の場となり、兵火で寺は焼失したため、詳細は不明とのこと。この時期、寺は荒廃したが、1653年(承応2年)桑津村の篤信者富井部氏などの霊夢に不動明王が出現され、寺の再興を告げられたため、紀州より観弘実誉阿闍梨を招き堂宇を再興、寺号を心王山殊勝院京善寺と改めた。紀州根来寺の不動明王と同木同作(興教大師の作と伝えられる)の不動明王を勧請し本尊とした。以来、「身代り厄除け不動」「くわづ不動」として多くの人々の信仰を集め、現在に至っているそうです。
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桑津天神社(くわづてんじんじゃ)
「日本書記」によると応神天皇(4世紀)の頃、日向の国から美女の誉高い、髪長媛(かみながひめ) を召され桑津の地に住まわせたと記される。媛はのちに仁徳天皇の妃となられた。髪長媛は桑津天神社に奉祀される以前は、明治6年廃寺となった金蓮寺が髪長媛の宮跡であった関係で、境内の八幡宮に奉祀されています。また桑津天神社には少彦名命(すくなひこなのみこと)も祀られているが、これは髪長媛の病気祈願のため医薬の祖神である少彦名命が祀られたとの伝えによっているそうです。
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榎神社(えのきじんじゃ)
現在地に樹齢800有余年を数える榎の大木があり、土地の人々がこの木をご神体として社殿をつくり、年々参詣者も増加したので、昭和27年4月に宗教法人となり、翌28年に拝殿と社務所を新設した極めて新しい由緒の神社だそうです。 
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この後、文の里駅まで歩きました。



ご訪問していただきありがとうございました。




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